見出し画像

励ましの言葉は、しばしば腹が立つ

 私の友人で、「わかる」という言葉を禁句にしている人がいます。人の話を聴きながら、うかつに「わかる」と言ってしまって、「お前になにがわかる!」という思いをさせないためのようです。でも、それが、「わかる」を禁句にして、達成されることかどうかはわかりません。私も、なにもわかってない人に、「わかる」と言われたら、ものすごく腹が立ちまた悲しくなりますが、逆に、「それめっちゃわかる」と言われて、とてもうれしくなることもあります。なんなんでしょうね。(だいいち、「わかる」が禁句だったら、「アーメン(それわかる)」も禁句になると思いますけどね…。)

 同様な言葉に、「だいじょうぶだ」というものがあります。晴佐久昌英神父様が有名かな。これも、「だいじょうぶだ」と言われて、すごく心強いときもあるのと、「絶対大丈夫!」とか言われて、なんて無責任な!と腹の立つときもあります。なんなんでしょうね、その違い。「だいじょぶだあー」と言っていた志村けんは、さっさとコロナで亡くなりました。ぜんぜんだいじょうぶじゃない。

 「祈ってます」っていう言葉もね。なんか、なぐさめる言葉に困った人が、とりあえず言う言葉みたいで、悲しくなるときがある(そう思われていることを知っている人も多いので、連発しないようにしている人も多い)一方で、「祈っています」と言われて、ほんとうに心強いこともあるのです。実際に祈っているかどうかに関わらないと思います。これも、ほんとうに不思議なことです。

 奥田知志牧師(←また出た。よほど好きだね、私)の説教で、岡林信康の「くそくらえ節」が紹介されました。「ある日聖なる宗教家 信者の前でお説教 この世でがまんをしていれば きっと天国生けまっせ ウソコクなこの野郎 こきゃあがったなこの野郎 見て来たようなウソをこくなよ 聖なる神の使者」。…私、よく、この世で報われなくても(報われないほど)、天国で報われるっていう話をしちゃって、これは人を励ましているようで、いっしょうけんめい自分に言い聞かせているつもりなのですが、それが不愉快なかたもいらっしゃるのですよね…。ほんとうに、ひとはさまざまというか、いや、私だって、ひとから、「この世でがまんをしていれば きっと天国行けまっせ」とか言われたら、腹が立つかもしれない。立つだろう。

 なんなんでしょうね!これ、私の未解決問題です!みなさんは、どのように思われますか?励ましの言葉は、しばしば腹が立つ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?