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水がお酒に変わるとき

 

 聖書のお話です。ガリラヤのカナで、婚礼がありました。結婚披露宴ですね。ところが、かんじんなときに、お酒が足りなくなってしまったのです。飲んでいる最中に、お酒が切れるというのは、どれほどのピンチでしょうか。イエスの母は、イエスに、どうにかしてもらえるように頼みました。イエスは、かめに水をいっぱい入れさせました。それを幹事のところにもっていくと、なんと、水は、お酒になっていたのです!しかも、とってもおいしいぶどう酒になっていたのです。助かった!よかったですね、という、「カナでの婚礼」は、そういうお話です。

 では、水がお酒に変わったときは、このときだけなのでしょうか。違うと思います。これよりずっと後の日本で、水はお酒に変わっています。

 ある息子の父親が危篤でした。息子は、どうにかして、父親が亡くなる前に、父の好きな、お酒を飲ませてやりたいと思っていました。しかし、貧しかったので、お酒は手に入りませんでした。
 ある日、息子は、ある滝の前を通りました。いいにおいがしました。滝の水をすくって飲んでみると、お酒でした。しかも、とてもおいしい上等のお酒でした。息子は、そのお酒に変わった水をくみ、帰って、父親に飲ませることができました。お父さんは、おいしいおいしいとお酒を飲んで、まもなく亡くなりました。

 (「養老の滝」という居酒屋チェーン店がありますが、この故事に基づいた店名です。)

 このときも、イエスさまが、水をお酒に変えてくださったのではないでしょうか。

 こうして、現在にいたるまで、困っている人に、水はお酒に変わり続け、困っている人、悩んでいる人、苦しんでいる人に、奇跡は起こり続けているのです。

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