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宮川彬良の思い出

いまから7年前、2016年のことです。私はその年が教師として最後の年でした。もちろん最初からそうわかっていたわけではなく、結果的にそうなっただけなのですが、とにかく、2006年から11年間続いた教員生活の最後の年の出来事です。

中学や高校には、芸術鑑賞会というものがあります。皆さんも、中高時代、年に1度、ホールなどに連れて行かれて、なにかを鑑賞した思い出がおありではないかと思います。私も、それを11回、経験しましたので(皆勤していると思いますね。たまたまですが)、そういった記事は、11回ぶん、書けるはずですが、とくに印象に残っている、この最後の年の芸術鑑賞会について、書きたいと思います。

芸術鑑賞の演目を決定する権利は、私の勤めていた学校の場合、教頭にありました。そのときの教頭は、自称クラシック音楽通でした。彼が教務部長であったころ、私も深夜の職員室で、彼が小さな音量で流す、マーラーの「巨人」などに付き合わされたものです。彼が非常に興奮して、唯一、私に貸してきたCDは、佐村河内守の交響曲第1番「HIROSHIMA」でした。そんな彼が教頭の時代、彼はオーケストラ演奏会を芸術鑑賞に持って来ようとしました。それは、多くの担任の反対するものでした。多くの担任は「クラシック音楽は生徒が寝る」と言って反対したのでした。個人的に私は、東大オケの時代に小学校回りを経験しており(その記事は書いたことがあります。最後にリンクをはりますね)、決して生徒は寝たりしないこと、生のオーケストラの迫力に押されて、集中してお聴きになる生徒さんが大半であることを知っていましたが、私のごとき徹底的なダメ教員の思うことなどが通るわけはないので、もちろん黙っていました。しかし、その教頭はどうしてもオケを呼びたいらしく、最終的に、ある地元のプロオケを起用した以下のオーケストラ企画を通したのでした。それが宮川彬良のハチャメチャコンサートだったのです。本日はそのときの感想を書きます。

芸術鑑賞を企画して、中高に売る商売は、かなりもうかる仕事のようでした。私は事務員として、総務の経験もありますが、そういった営業の手紙はたくさん届くのでした。芸術鑑賞係(この場合、教頭)はそのなかからよりどりみどりでした。変わった芸術鑑賞もたくさんあったものです。ある年は「落語とジャズ」でした。いかに中高生を飽きさせず、かつ、うまいこと学校に気に入られて、会を成立させるか、という興行のようでした。この宮川彬良のハチャメチャコンサートもそんなうちのひとつだったことになります。

宮川彬良(みやがわあきら)という音楽家はご存じでしょうか。タレント作曲家です。代表的な作品としてマツケンサンバがあり、これが流行った当時は、これを指揮する宮川さんの姿をよくテレビで見たものです。実は宮川彬良氏が有名なのは、父親も有名な作曲家だからです。宮川泰(みやがわひろし)と言います。父もまたタレント作曲家であったようです。パパ宮川の有名な作品として、宇宙戦艦ヤマトがあります。その二代目タレント作曲家がこの日の主役であり、作曲、編曲、指揮、トークをすべてひとりでこなしました。オケは先述の通り、地元のあるプロオケです。

ちょっと脱線です。私の住む地方都市には、フル編成のプロオケが複数あります。しかし、なぜかこの日のオケは、このときしか聴いていないのです。有名なオケであり、この地に17年も住んでいたら、何回か聴いていておかしくないと思うのですが、なぜかこの日しか聴いていないオケです。しかも、このようなハチャメチャコンサートだと、オケの実力はほとんどわからないものです。このオケでベートーヴェンやブラームスを聴いてみたかった気もします。ちなみにこのオケには、東大オケからプロになった先輩が、一時期、在籍していたと聞いたことがあります。その名前をこの地の音楽家(このオケが斎藤一郎の指揮でヤナーチェクのシンフォニエッタをやったときにテレビ放送され、そのときにエキストラ出演しているのを見たフルート奏者の先生。ちなみに斎藤氏も学生寮の先輩です)に聞くと、確かにいたようです。ただし、私がこの地に来るころには、その先輩は、別の地のプロオケの首席奏者となっていたのでした。日本を代表するオーボエ奏者になっておられました。プロの音楽家になることは大変ですが、こうしてたまに、本当になれる人もいるのです。ちなみに、障害者手帳を取得してから調べたことで、このオケには、障害者割引がないことを知りました。別のプロオケは全公演が2割引きでした。もっとも障害者手帳を持ってからの私は貧乏すぎて、プロオケなど聴けなくなりましたので、関係ありませんが。しかし、同じ地方のオケのサービスで、差があるように見えます。これは、そのオケの財力によるものだと、だんだんわかってきました。障害者割引のあるオケは、バックにこの地の大企業がついているのでした。なるほどね。

さて、ホールに生徒が集まり、芸術鑑賞会が始まりました。終始、宮川氏がトークと指揮を担当します。編曲もすべて自分の手によるものであることを強調していました。まず自作の「風のオリヴァストロ」が演奏されました。自信作として冒頭に持ってきたと考えられます。そこからはいろいろな作曲家の作品の編曲となりました。グレイ作曲の「サンダーバードのテーマ」、それから、ケラー作曲の「奥様は魔女」。ここで、ある既婚の女性教諭が、一芸をやらされていました。芸術鑑賞というのは生徒に受けねばなりません。しばしば名物教諭が出演させられるのでした。上述の「落語とジャズ」のときも「ちりとてちん」を演じさせられていた男性教諭はいたものです。そこからだんだん宮川氏のハチャメチャになってきました。「アイネクライネタンゴムジーク」とか、「エリーゼのために」や「英雄ポロネーズ」のハチャメチャ編曲がありました。そして、エルマー・バーンスタインの「大脱走マーチ」が演奏されました。これは7年前、トクホ胡麻麦茶の宣伝で使われていた音楽だそうでした。エルマー・バーンスタインは有名な映画音楽作曲家であり、指揮者で「ウエストサイドストーリー」の作曲家であるレナード・バーンスタインとは別人です。そしてまた自作の「オーケストラの森」。そして、ラストがパパ宮川の代表作「宇宙戦艦ヤマト」でした。宮川彬良氏は「父は大きい」と言っていました。もう7年も前の話なので、いまどうなっているかわかりませんが、そのころ彬良さんの子供たちも三代目の作曲家として音楽を始めたと言っていたのです。確かに、その日、演奏された音楽のなかで、最も立派な音楽が「宇宙戦艦ヤマト」であったと思います。宮川氏は、やはり父親を超えることができていないのかもしれません。実際、宇宙戦艦ヤマトはその日のオオトリでした。あるいは、この音楽が最も立派な音楽に聴こえるように、その日のプログラムは考え抜かれていたのかもしれません。(いくら有名な映画音楽をやると言っても、たとえばスターウォーズをやったら、宇宙戦艦ヤマトはかすんでしまうでしょうからね。)

私はもう、その年は。副担任でさえもなく、補助席のような席でお情けのようにその芸術鑑賞会を聴いたのですが、隣に座っていたちょっとオタクっぽい生徒さんが、興奮気味に「宇宙戦艦ヤマト」の音楽を聴いていたのが印象的でした。確かに、宇宙戦艦ヤマトを、フルオーケストラの生演奏で聴く機会はなかなかないと言えます。彼が喜んで聴いていただけでも、この芸術鑑賞会は成功であったと、私は感じたものです。(ひとりに理解されれば大成功であることは、算数・数学のオンライン講師をやってみて痛感しているところでもあります。)

そのようなわけで、宮川彬良さんのハチャメチャコンサートは終わったのでした。2016年の6月15日のことでした。終わった後、その自称クラシック音楽通の教頭が、学内のメーリングリストでアンケートなどをつのっていたことなどをかすかに記憶しています。皆さんがどういう反応であったかは覚えていませんが、こういうコンサートがあったということです。あくまで生徒の引率という仕事であったため、お金をもらいながら聴いてしまったコンサートでした。

最後に、東大オケの小学校まわりの記事をはりますね。


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