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東大オケの小学校まわり

(本日の記事はクラシック音楽オタク話ではありません。ふだんなかなか皆さんがお知りになる機会がないと思われる東大生(東大オーケストラ)の小学校まわりの話を書きたいと思います。クラシック音楽に興味のないかたでもお楽しみいただけるように書きたいと思います。よろしければお読みくださいね。)


私は学生時代、東大オーケストラ(東京大学音楽部管弦楽団)に入っていました。東大には複数のオーケストラが存在しますが、最も歴史のある、いわゆる「東大のオーケストラ」と思われているところがここです。このオーケストラにいるのは、東大生だけです(指揮者とハープの賛助の先生を除きます)。私が在籍していたのは30年近く前であり、しかももろもろの事情で2年と1か月くらいしか在籍しませんでしたので、東大オケの経験が限られていますが、しかし、その2年と1か月ではかり知れないものを得ました。とりあえず東大オケに当時いらした4人の指揮者の先生(駒場祭担当、五月祭担当、サマーコンサート担当、定期演奏会担当)のすべてを経験できましたし、あらゆる合宿の経験、曲決めの経験、ツアーの経験…と、ひととおり経験できたのが今考えるとありがたかったです。


本日は、五月祭という、五月に本郷キャンパスで行われる学園祭における演奏と、それと同じ指揮者、同じプログラムで行われる「小学校まわり」の話について書きたいと思います。


「駒場祭」「サマーコンサート」「定期演奏会」が、厳密なパートリーダーの会議と、厳密な選曲会議をへて、よくある学生オケの「3曲プログラム」に落ち着くのに対して、この五月祭および小学校まわりの選曲は変わっていました。私は担当したことがないのでどうやって決まっているかわかりませんでしたが、私が大学2年できちんと参加した唯一の五月祭および小学校まわりのプログラムは以下のようなものでした。

・ビゼー「カルメン」第1幕前奏曲

・チャイコフスキー「くるみ割り人形」組曲より抜粋4曲

・メンデルスゾーン「真夏の夜の夢」より結婚行進曲

・バーンスタイン「ウエストサイドストーリー」メドレー

・ドヴォルザーク「交響曲第9番『新世界より』第4楽章」

クラシック音楽がお好きなかたにはお分かりいただけます通り、かなり「親しみやすい」プログラムですよね。曲順は、私は少し記憶に自信がなく、チャイコフスキーとメンデルスゾーンはこの逆だったかもしれません。


五月祭は、安田講堂における本番と、「第二食堂」と言われる食堂の上の階での演奏がありました。五月祭というのは2日くらいかけて行われる学園祭だった気がします。片方の日が安田講堂で、もう片方の日が第二食堂だった気がします。記憶違いでしたらすみません。


クラシック音楽マニア話は書かないと言ったものの、私の出番であったチャイコフスキーとメンデルスゾーンの曲について少しだけ書かせてください。チャイコフスキーの「くるみ割り人形」組曲は、「行進曲」「中国の踊り」「あし笛の踊り」「トレパーク」の4曲の抜粋で、私は2番フルートでした。テレビコマーシャルなどにも使われており(とくに「あし笛の踊り」はソフトバンクのコマーシャルで一時期よく聴きました)、多くの人は耳になじみのある音楽だと思います。チェレスタを要する「こんぺいとうの踊り」や、ハープを要する「花のワルツ」を省いた選曲だと思われます。フルートの活躍の場があまりないチャイコフスキーの交響曲とは対照的に、これらの曲はかなりフルートが「おいしい」のでした。とくに「中国の踊り」と「あし笛の踊り」です。前者は指揮者の提案で、1番フルートがソロを吹くとき1番の先輩が立ち、ピッコロの出番でピッコロの先輩も立ち、最後に2番フルートの私が加わるところで私も立つ…という演出が考えられましたが、同様に立つことを要求されたクラリネット2番の友人が嫌がったため、指揮者が機嫌を悪くしてこの案はなくなりました。「あし笛の踊り」は、その先輩の先生のもとで嫌な目にあった話をだいぶ前に書いたことがありますね。「行進曲」は、なぜか個人レッスンで習ったことがあります。私のフルートの先生は、たまに気まぐれに、「そのときオーケストラでやっている曲」をレッスンで見てくれるときがありました。中間部の難しいところを「ぜんぜん吹けていないではないか」と笑われた記憶があります(私の先生は「そこはお客さんには聴こえないからごまかしてしまえ」という発想のまったくないオケマンでした)。


メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」の「結婚行進曲」は、さらに有名な曲であると思われます。トランペットの「パパパパーン、パパパパーン」という音型で始まる、気恥ずかしいほど有名な曲です。「結婚行進曲」という名のクラシック音楽で有名なものはもうひとつあり、ワーグナーの「ローエングリン」の「結婚行進曲」です。これも極めて有名です。お聴きになればおそらくご存知です。この演奏のときからずっとのちに、偶然に偶然が重なってクリスチャンとなった私は、友人のキリスト教式結婚式および披露宴にずいぶん出ましたが、「真夏の夜の夢の結婚行進曲」を聴いたことは一度もありません。「真夏の夜の夢」はハッピーエンドにならないストーリーだからだ、という説明を聞いたことがありますが、私は「真夏の夜の夢」のストーリーを知りません。いくらなんでもシェークスピアだし、知っておくべきかもしれませんが、この曲はストーリーを知らなくても演奏できてしまうのです。このときは別の先輩が1番を吹くときの2番フルートでしたが、徹底的にしごかれました。私の「教育」のための乗り番であったのではないかと思われるほどでした。メンデルスゾーンのオーケストラ曲は極めて難しく、なかんずく木管楽器を弦楽器のようにきざませるのが好きです(「イタリア」をご存知のかたは「イタリア」の冒頭を思い出されたし)。「真夏の夜の夢」は、どう聴いても「序曲」はとてつもない木管の難しさであり、「スケルツォ」も木管楽器はサーカスのようで、「夜想曲」はホルンが協奏曲のようです。この「結婚行進曲」も「全員が演奏しているからごまかせる」だけであって、まじめにやったら極めて難しいのです。それでその先輩は極めて厳しく「しごいて」きました。あまりの恐ろしさに、私は安田講堂での本番、「吹き真似」をして音を出さなかったものです。しかし、曲の終盤、少し音を出したらその恐ろしい先輩がこちらに動きを見せ、フルートどうしがぶつかり、少し「カチャ」っといいました。「お前、なにをしている!」というところでしょう。恐ろしい。「くるみ割り人形」の先輩も厳しかったですが、そちらはなぜか勢いで吹くとたいがい音程があうので、それであわせていました。とにかく「結婚行進曲」は難しい。このときの嫌な思い出から「自分の結婚式では決してこの曲は流させないぞ!」と思ったものですが、それから10年以上あとの自分の結婚式のころ、私は当時は思いもよらなかったクリスチャンなどになっており、本物の教会でキリスト教式の結婚式を挙げ、前奏も後奏も自分で編曲したブルックナーの交響曲第7番の一部をオルガニストに演奏してもらったのでした。披露宴は近所のホテルにて、入退場はニコレのバッハ、披露宴のあいだはデボストによるフルート業界曲集のCDを流してもらいました。この結婚式や結婚披露宴での音楽の話はまたいつかしましょう。


第二食堂の上階での演奏のときには「1分間指揮者コーナー」というものがありました。ベートーヴェンの「運命」の出だしから提示部全体までのおよそ1分間を観客のなかからつのって指揮させる「お遊び」でした。私はこのときの運命の演奏はしていません。のちに客となってから、この東大オケの「1分間指揮者コーナー」が全国放送されたことがあります。私は客席にいました。ある首相経験者の政治家が指揮台に立ったことがあるのです。その政治家の子どもがオケのなかにいたのでした。私はオンエアは見ていませんが、これはご覧になったというかたがときどきおられます。まさか私は「1分間指揮者」をしたことはありませんが、ずっとのち、教員になってオーケストラの顧問となって指揮者になったとき、この「運命」をほんとうに指揮することがあったものです。そのときの話もいつか書きましょう。


東大オケの「1分間指揮者コーナー」は必ず「運命の出だし1分」と決まっていましたが(いまは知りません)、高校のオケの文化祭でも「1分間指揮者コーナー」はあり、曲はさまざまでした。だいたいはかつてやったことのある曲の使いまわしでしたが、まず、学内向けの発表では、「名物先生」に指揮してもらうのでした。なぜか私の高校には名物先生がそろっており、指揮者には事欠かないのでした。これは学内で大変受けました。そして、一般公開の日には、やはり客席から指揮者をつのるのでした。以下は私が卒業して後輩の演奏を聴いたときのことでしたが、本物の指揮者(そのオケは文化祭は学生指揮でしたが)が指揮したときは「スターウォーズ」だったのに、ようやく客席から呼び出したお客さんが棒を振り下ろしたときは全然違う曲をオケが演奏し始まる…という意地悪をしているところを見ました。話がそれました。


さて、五月祭が終わりますと、サマーコンサートの練習となります。しかし、このプログラムは、「小学校まわり」で用いられるのでした。たくさんの小学校をまわりました。まず、東京近辺の小学校をまわりました。ツアーに出発してからも、旅先で小学校をまわりました。ここに当時の「バイブル」と言われる紙の資料があります。ツアーのことについて詳細を書いた必須の書物です。当時はインターネットも携帯電話もメールもパソコンもないのが当たり前の時代です。ときどき手書きの原稿すらある紙媒体の資料です。しかし、現役東大生が現役東大生のために書いた資料であり、なかなかおもしろいものだと言えるでしょう。これを見る限りでも、地方で2箇所の小学校をまわっています。昼に京都の小学校をまわり、夜には尼崎のホールでサマーコンサートをしている日もあります(ダブルヘッダー)。このように、東大オケのツアーは、皆さんがご覧になるプログラムと別のもうひとつのプログラムがあり、別の指揮者で小学校まわりをしているのです。


五月祭と違うところは、「司会のおねえさん」役が立てられたことです。それから、「楽器の紹介」がありました。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ・・・と各パートの代表が楽器の紹介をし、1フレーズを演奏するのでした。私の記憶では、コントラバスの紹介をした先輩はいつも「大きな栗の木の下で」を弾いていました(違ったかな?でもたしかいわゆる純然たる「クラシック音楽」ではなかったと思います)。フルートの先輩はいつもシュテックメストの「歌の翼」幻想曲の一節を吹いていました(フルート業界の人でないと知らない曲だろうと思います)。ピッコロの紹介もあったはずですが、ピッコロ紹介担当の仲間がなにを吹いていたのか覚えていません。オーボエの先輩はマニアックであり、2番の後輩とともにバルトークの「オケコン」の一部を吹いていたときがありました。たしかコーラングレの人はもっとマニアックであり、毎回、コーラングレの活躍する異なる名曲を披露していたと思います。(これを聴きながら指揮者の先生は小声で「その選曲は違う!」とつぶやくのが常でしたが、じつはそのコーラングレの人はずっとダメ出しされており、ついにドヴォルザークの「新世界」を吹いたとき指揮の先生は「それ!」と言いました。)クラリネットの先輩が後輩と2人でプーランクの2本クラリネットソナタを吹いた日もありました(なかなか突拍子もない曲です。一度聴いたら忘れられない)。ホルンの先輩が4人出て来て、ウェーバーの「魔弾の射手」序曲の冒頭のホルン四重奏を吹いた日もありました(いわゆる讃美歌で有名な「主よ、み手もて」の旋律です。そのころはそれが讃美歌だとはまったく知りませんでしたが)。これは実は団員に聴かせているのであり「どうだ、へたであろう。この曲のホルンがどれほど難しいかわかったか。とくに弦楽器の諸君!だから、この曲を選ばないでね!」という意味だったようなのですが、ほんとうにそれで弦楽器の人に真意が伝わったかはわかりません。とにかく団員にとっても楽しいものでした。


小学生がそんなに「オーケストラ」だの「クラシック音楽」だのを飽きずに聴くかどうか、心配なさったかもしれません。実際、ずっとのちに教員になったとき、必ず芸術鑑賞会がありましたが、教頭から「オーケストラ」だの「クラシック音楽」の案が出るたび、担任から「生徒が寝る」と言われて却下となったものです(1回、どうしてもクラシック音楽の好きな教頭がごり押ししたことがあり、そのときは折衷案として某タレント作曲家を指揮者に招いて「ハチャメチャコンサート」をしたものです)。しかし、実際には違いました。小学生は非常に真剣に聴いてくれました。なにしろ自分たちの体育館に百人くらいのさまざまな楽器を持ったお兄さん、お姉さんが入って来て、ド迫力で「カルメン前奏曲」を演奏し始まるのです!(この曲こそどなたでもご存知と思われるものすごく有名な曲で、YouTubeで最もよく使われるクラシック音楽であると聞いたことがあります。)みんな、食い入るように聴いてくれていました。とてもやりがいがありました。


どうやって小学校が決まるかというのはよくわかりませんが、どうやらその小学校の卒業生が団員の場合に決まるらしいのでした。小学校としても「卒業生が東大に入り、そのオーケストラを率いて母校に凱旋する」というのは好ましいと思われたということではないかと思われます。地方公演での小学校まわりも同様であったと思われます。そもそも東大オケの地方公演そのものが、そういったいわゆる「東大ブランド」で成立しているようなものであることは確かなことのようでした。私はかつてnoteで「東大オケはもう聴かない」という記事を書いたことがあります。入学から三十年近くがたつ東大および東大オケですが、この三十年で明らかに東大の水準は落ちていると思われるのに、なぜか「東大ブランド」は強まっており、それはオケの水準にも表れているのでした。明らかにわれわれのころの精緻なアンサンブルは失われて、アンコールの「ビーシェーン」と言われる歌の悪乗りがひどくなっていくのを見て来たからです。残念なことです。私が東大や東大院が好きなのは、とてもよかった母校だからでありまして、東大ブランドではないのです(とはいえ私も高校名は伏せているのに東大は出しているという嫌らしい人間です。私がもし他大学だったら大学や大学院の名前を出していまごろnoteを書いているかどうかわかりません)。こんなことを書こうと思って書き始めた記事ではなかったのですが、結果的にこうなってしまいました。あの小学校まわりは楽しかったけれど、東大ブランドに支えられていたのか。でも、逆に言うと多くの東大オケ団員は、純粋に小学校まわりを楽しんでいたのでした。ある小学校では、アンコールに「となりのトトロ」の「さんぽ」(歩こう、歩こう、私は元気)をリクエストされたらしく、これは2番フルートで乗りました。ある先輩が編曲をし、小学生の皆さんと歌いました。たのしかったです。


以上です。念のため「カルメン前奏曲」がどれほど有名な曲であるかをお分かりいただくための動画をリンクではりましてこの記事を終わります。お読みくださりありがとうございました。


(フィリップ・ジョルダンの「闘牛士のような」指揮が見ものです。この曲をよくご存知のかたでも見る価値はありますよ。)


(※サムネはシャガです。きょう、外出したときに見たのですよね。いつもこの時期に図書館に行くときに見ます。この花の名前を教えてくれたのも東大オケの親友でありました!)

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