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おすすめの曲㉘:バッハ=ストコフスキー「トッカータとフーガ」

 (これは私がときどき書く、クラシック音楽オタクネタです。長さも気にせず、だらだらと書く可能性があります。そんな記事でもよろしければどうぞお読みください。おもしろいかどうかは保証できません…)

 バッハの「トッカータとフーガ ニ短調」というオルガン曲をご存知のかたはいらっしゃるでしょうか。嘉門達夫の替え歌「チャラリー鼻から牛乳」という歌詞で有名になっています。「あの曲か!」と思われたかもしれません(もっとも嘉門達夫もだいぶ古いネタですので、若いかたはぴんと来ない可能性が大きいですが)。私がこの曲をはじめて聴いたのは、小学生のころ、自宅にあったヘルムート・ヴァルヒャのレコードにおいてでした。よく聴いたものです。本日は、これをオーケストラ用に、しかも後期ロマン派の大オーケストラ用に編曲した、ストコフスキー編曲についての記事です。

 中学生のころ買ったCDがあります。もしかしたら生まれてはじめて買ったCDがこれかもしれません。いまでも持っています。オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団による「オーケストラ名曲集」というCDでした。ほとんどは編曲ものでした。これに、オーケストラ版の「トッカータとフーガ」が入っているのです。オーマンディ編曲と書いてあります。オルガンによるオリジナル版を知っている私には、かなり違和感のあるものでした。このCDには、いい編曲・演奏のものもたくさん入っています。ウィリアム・スミス編曲のドビュッシーの「夢」などはいい編曲です(気に入って、高校時代に、私はこれを木管五重奏用に編曲して、オケの仲間とやりました。私の編曲はいただけないものでしたが)。話は戻りますが、オーマンディ編曲・指揮によるバッハの「トッカータとフーガ」がよくない理由は、あとからだんだんわかりました。それもこれから書いていきます。

 バッハの曲のオーケストラ用編曲は、さまざまなものがあります。ウェーベルン編曲による「リチェルカータ」(「音楽のささげもの」より)などは有名です。しかし、ストコフスキーのように、あたかも後期ロマン派の作品のようにバッハの作品をフルオーケストラにたくさん編曲した人はほかにいないでしょう。ストコフスキーの音楽的キャリアのスタートは「教会のオルガニスト兼聖歌隊指揮者」というものであったので、同世代の指揮者と比べて、バッハのオルガン曲などについて詳しかったことは確かだと思います。たくさんの編曲作品が残されましたが、きょうは、この有名な「トッカータとフーガ」のみについて触れます。

 オーマンディの編曲と異なり、ストコフスキーの編曲は、スッと耳に入ってくる自然なものでした。最初に聴いたのは、チェコフィルを指揮したストコフスキー最晩年の「バッハ編曲集」のCDだったかもしれません。ほかにもすばらしい曲、すばらしい編曲・指揮によるものがいろいろ入っており、なかでも「パッサカリアとフーガ」にはハマりましたが、これについて書くのは別の機会にいたします。「パッサカリアとフーガ」は気に入りすぎて、そのストコフスキーのCDから「採譜(耳コピ)」し、ピアノ連弾用に編曲したことがあります。

 さて、ストコフスキーという指揮者を、ディズニー映画「ファンタジア」で知ったというかたは少なくないようです。私はあとから「ファンタジア」を知ったのですが、ディズニーの「ファンタジア」は音楽の映画で、ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団の演奏するさまざまな曲とアニメとの融合です。ミッキーマウスが魔法使いの弟子になるシーンは、記憶にあるというかたも少なくないのではないでしょうか。あれはデュカスの「魔法使いの弟子」という曲に基づいた映像です。さて、この映画の冒頭で使われているのが、バッハ=ストコフスキーの「トッカータとフーガ」です。これでストコフスキーのこの作品は、世界中のファンの知るところとなり、以来、ストコフスキーは、世界中のオケに客演するときに、必ずと言ってよいほど、この曲を持って歩きました。1965年に来日したときもやっています。日本フィルを指揮した録音が残っています。(日本武道館でのライヴです。武道館を最初に音楽の会場として使った音楽家は、このときのストコフスキーです。ビートルズより先です。ちなみに私も武道館ライヴの経験が2回あります。大学の入学式でのオーケストラ演奏ですけど。)

 オーマンディの編曲・指揮について、のちほどわかったことは、つまりフィラデルフィアの聴衆は、ストコフスキーの「シンフォニック・バッハ」に慣れていて、それが聴きたかったということです。フィラデルフィアでのストコフスキーの後任であるオーマンディも、やらざるを得なかった(しぶしぶなのか、喜んでやっていたのかまでは知りません)のです。そして、上述の「生まれて初めて買ったCD」に含まれていた演奏は、へんにストコフスキーを意識したものになっており、はじめて聴いた私には違和感の強いものだったのです。元祖であるストコフスキーの編曲・指揮には最初から納得ずくでなじむことができました。のちに私はクリスチャンとなり、パイプオルガンは身近な楽器になりましたが(弾けるわけではありません!礼拝に行くたびに聴く楽器だ、ということです)、それとは関係なくバッハ=ストコフスキーの「トッカータとフーガ」や「パッサカリアとフーガ」は好きでした。(ちなみに、教会の礼拝でこれらの曲を聴くことはまずありません。礼拝の前奏や後奏としては長すぎるからです。「チャペルコンサート」的なものではときどき聴く曲です。)

 ずっとのちに、この曲は、自分でやる機会に恵まれました。ある吹奏楽団にエキストラで行っていたころ、その吹奏楽団が取り上げたのです。この曲は、吹奏楽のレパートリーとしても定着しています。もともとオルガンという「風を送る」ことによって音が鳴る楽器による作品であることと、吹奏楽という「吹いて音を出す楽器中心のアンサンブル」というのは、相性がいいのかもしれません。そのときの編曲者は、まずオルガンから吹奏楽に編曲した人がデュポンという人で、さらにそのときの指揮者(おそらくアマチュアの団員指揮者ではなかろうか)が、大幅に手を入れて、「ストコフスキー風」にしていました。私はその指揮者と仲良くなり(まだYouTubeなどない時代です。DVDさえありませんでした)、その指揮者に、ストコフスキーがシカゴ交響楽団を指揮した映像をVHSでお貸ししました。カメラワークのおかしな映像でしたが、おそらくストコフスキー本人の指揮する「映像」としては、これが最もよく撮れているものではないかと思います。合宿にも参加し、楽しい経験でした。まだ発達障害の二次障害として精神障害を患う前でした(私は発達障害の二次障害として精神障害を患って以来、なぜか楽器がへたになりました。非常に悲しく、また、くやしいことです)。こういうエキストラは「団費を払う必要はない代わりに、謝礼をもらうこともない」という「プラマイゼロ」のエキストラで、無料で楽しませていただきました。その団とは、良好な関係を保ち、エキストラを辞めたのちも、しばしば仲間の演奏を聴きに行ったものです。とにかくバッハ=ストコフスキーの「トッカータとフーガ」を吹奏楽とはいえやれたのはうれしかった経験です。

 この作品を生で聴いた経験は2度あります。1999年にデュトワ指揮N響で、また、2001年に外山雄三指揮日本フィルで。いずれも記事にしたことがありますので、はっておきますね。わざわざ読まなくてだいじょうぶですよ。興味をお持ちくださったかただけ、お読みくだされば…。外山雄三指揮のときのオケは、1965年にストコフスキー本人が指揮をしたオケである日本フィルですね。いずれも貴重な経験でした。とくに外山雄三の演奏は印象に残っています。


 この曲の冒頭、嘉門達夫が「チャラリー」と歌うところですが、原曲のバッハは、「ラ」のトリルしか書いていません。ストコフスキーのこの編曲では、「下に1回」(「ラソラー」)となっています。以下は、楽譜で見ただけで、音として聴いたことはありませんが、これをピアノかなにかに編曲してあるもので、このトリルを「上に2回」(「ラシラシラ―」)と書いてある楽譜を見たことがあります(ブゾーニか誰かの編曲?)。また、以下のも楽譜で見ただけですが、「下に1回、半音」(「ラソ♯ラー」)というのも見たことがあります。もしかしたら、この曲の出だしのトリルのしかた(「下に1回、全音で」すなわち「ラソラー」)を全世界的に広めたのはストコフスキーの「ファンタジア」なのだろうか?と思うほどです。この情報、間違いでしたらごめんなさいね。ちなみに、現代のオルガニストは、「下に複数回、全音」というのが多いようです(「ラソラソラソラー」)。それにあわせた吹奏楽の演奏も聴いたことがあります。私がやらせていただいたときは、ストコフスキーと同じ「ラソラー」でしたけど。

 最後に、YouTubeをはりつけて終わります。例のディズニー映画「ファンタジア」でのストコフスキーの「自作自演」です。絶対音感のある私には、ちょっと高めに聴こえる動画です。この映画の動画を見て「トイレで手の水を切っているような指揮」と評した音楽ライターの文章を読んだことがありますが、たしかにそう見えるかもしれません(笑)。律儀にご覧になる必要はありませんよ。10分弱かかりますので。スルーでだいじょうぶです。


 あまりおもしろい記事でなくてごめんなさいね。私が、この曲が好きだ、ということが伝わったら幸いです。ここまでお読みくださりありがとうございました。

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