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どうぞお大事に~

あるプロのオルガニストがいます。オルガニストとして確固とした地位をお持ちです。その人はまた、SNSみたいなものが大好きでした。いまもやっておられるのでしょうが、以下は2004年の話であり、まだ、HTMLで作ったホームページと「掲示板」の文化の時代の話です。

早川正昭先生という有名な指揮者がいます。2004年の1月31日の東大オーケストラの定期演奏会を指揮することになっていましたが、急病で別の指揮者が指揮しました。この年の最後のころ、たまたま早川先生がある別のアマチュア・オーケストラを指揮する演奏会を聴きました。2004年12月26日のことでした。普通に元気に指揮しておられました。

このことを彼女の掲示板で報告したときのことです。彼女は「早川先生どうぞお大事に~」と書かれました。「待てよ」と思いました。早川先生が体調不良だったのは約1年前だ。ついこのあいだの演奏会では元気に指揮なさっていたのだ。それを報告したのだ。彼女が人の文章をちゃんと読んでいないことがわかりました。ただ、「病気の人がいる」と聞くと条件反射的に「どうぞお大事に~」と言っているだけなのだ。これに気づくのに十数年の時を要しましたが、そのオルガニストの彼女の特徴はだんだんわかってきたのでした。

2年前、私はある町で「炊き出し」に参加しました。ボランティアをしました。その日は雨が降っており、私はカッパを配る担当をしました。始めるのが遅かったこともあり、私はホームレスの皆さんに10着くらいしかカッパを配れませんでした。担当のNPOの人に「すみません、お役に立てませんで」と申しますと、担当の人は「いえいえ、とても役に立ちましたよ、ありがとうございます」とおっしゃいました。私は傷つきました。傷ついたというか興ざめというか。なぜなら、私は自分が役に立っていないことを知っていたから。私は職場で、これよりはるかに役に立たなくはない(でも役に立たない)ことをしては叱られ続けていました。たった10着のカッパをもたもたと配ったくらいで「ほめられる」わけがないのは私自身がよくわかっていました。だから、やみくもに人をほめればいいというものでもない。

だから「どうぞお大事に~」と言うのも「とても役に立ちましたよ、ありがとうございます」と言うのも、一見、思いやりに満ちている発言のように見えますが、やみくもに言ってはいけないのです。いずれの発言も、「自分は思いやりに満ちている」と思っている人の発言であることが共通していますね。的を外していてはいけないのです。ツイッターをやっていても、私のあらゆるツイートに「いいね」してくる人よりも、ほんとうに「いい」ツイートにだけ「いいね」してくる人のほうが信頼できます。「ちゃんと読んでくれているな」という気がするからです。

そういうわけで「病気だ」と聞いただけで条件反射的に「どうぞお大事に~」と言う人は、必ずしも思いやりがあるわけではないのです。2004年の話ですが、どういう状況なのかが理解できたのは最近です。私もこういう人になっていないかどうか、気をつける必要があると思いました。

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