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外山雄三を讃えて⑦:「悲愴」「はげ山の一夜」

 このシリーズでは、1996年に生を聴いて衝撃を受けて以来、追いかけ続けている音楽家・外山雄三の印象に残る演奏会を紹介して参りました。今回は少し違います。きのう入手したCDを聴いた感想です。

 外山雄三のCDは少なかったです。そのなかでも、外山の得意とする、日本のオーケストラ曲の録音が多かったわけです。今回(昨年、2020年)のように、いわゆる通常のクラシック音楽の録音は、とても少なかったです。それが、一気にパブリッシュされましたので、そのことをあるかたのnoteで知って以来(リンクがはれなくてすみません)、聴きたいと願っておりましたが、金銭的な余裕がなく、なかなか入手できませんでした。以下のようなCDが発売されております。
・ベートーヴェン:交響曲全集(大阪交響楽団)
・チャイコフスキー:交響曲第4番、ロミオとジュリエット(大阪交響楽団)
・チャイコフスキー:交響曲第5番、ボロディン:だったん人の踊り(大阪交響楽団)
・チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」、ムソルグスキー:はげ山の一夜(大阪交響楽団)
このうち、どれでもよかったのですが、カンで、「悲愴」「はげ山の一夜」の1枚を購入いたしました。ゆうべ届き、なるべく1回限りのコンサートを聴くつもりで、神経を集中して聴きました。やはり、すごい演奏です。外山雄三の特徴として、意固地なまでに作曲家の書いた通りに演奏する(させる)というものがありますが、その意固地なところが名演奏を生むというその特徴はこのCDでもはっきり聴き取ることができました。

 「コンサートのつもりで」と言っても限界はあります。きたない自室の、新品なのにあまり調子のよくないCDプレイヤーで聴くわけで、しかも、もちろん外出もせず、着替えず、ホールで開演を待つのでもなく、とにかく演奏会の要素はないのでありまして、疑似コンサートです。それでも、充分に満足のいくものでした。

 上に書きました大阪交響楽団のCDは、どれも私が外山雄三の生で聴いたことのない作品ばかりでした。それは運がいいとも言えますが、「悲愴」は、ちょっとだけ、聴いたことがあります。いずれもだいぶ前ですが、第3楽章を神奈川フィルのCDで、そして、ラジオで、オーケストラは忘れましたが、第2楽章を聴いたのです。もちろんそのときの演奏と今回の演奏は異なりますが、そのときのかすかな記憶があります。

 「悲愴」全体の感想ですが、さすが、作曲家の書いた通りです!この演奏が異様に聴こえるとしたら、ちょっと「『悲愴』とはこういう曲だ」というイメージが強すぎるということだと思います。全体的にゆっくりに聴こえるのは、(とくに神奈川フィルでも聴いた第3楽章が、)多くの場合、テンポが動いて、盛り上がると速くなっていく演奏を聴きなれていて、そのイメージに反するからだろうと思います。私は絶対音感がありますが、外山雄三は、絶対テンポ感があるのか?と思うほど、インテンポを保ちます(作曲家がテンポを動かすように指示しない限りは)。第2楽章は、記憶にあるその演奏よりもテンポが遅くなっている(記憶にあるテンポはかなり速かった。今回、多数派のテンポになった)のですが、第3楽章は神奈川フィルのときよりもさらに磨きがかかっていて、ほんとうに「スコアに書いてある通り」になっています。このような演奏は、なかなか聴けません。
 
 また、金管楽器のテヌート気味の演奏にも意味があると思います。しばしば金管楽器は、あたかも鐘でも鳴らすかのように、音を出してから減衰する演奏家が多いのです。なぜかはわかりません。しかし、フルートの私でも、若いころ、楽器の先生に、そのことを注意されたことがあります。ピアノではないのですから、やはり減衰してはおかしいと思うのです。これも外山雄三のこだわりではないかと思います。

 オーケストラ(大阪交響楽団)は、指揮者に訓練されたように、誠実に、ひとつひとつの音を出していきます。そこかしこに、外山雄三のこだわりが聴き取れます。ほんとうに楽譜に書いてあるとおりなのです。(楽譜に書いてあるとおりと言っても、もちろんそこには必ず主観が入ります。つまり外山雄三の主観、大阪交響楽団の主観、さまざまなものが入っていますが、私は、この演奏が好き。「いい」というと価値判断が入ってしまいますので、「好き」という好みの問題にしておきます。)

 こういう演奏を印象批評してはいけないわけでありまして、しかしCDに書いてある文章も、印象批評じゃないかと思われる文章で、なかなか外山雄三の真価を伝える文章ではないと思います。私のこの文章もそうですけど。

 「はげ山の一夜」は、これまた期待をさらに上回るすごい演奏であり、「やはり外山雄三はただものではなかった」ということを改めて思わされるばかりです。これは、リムスキーコルサコフが完成させたスコアによるのですが、こういう場合も、外山雄三は、「スコアの通りに」演奏する方向へ向かいます。生で聴いた日本フィルのバッハ=ストコフスキーの「トッカータとフーガ」も(そういえば日本フィルは、この作品を1965年にストコフスキー本人の指揮で演奏している)、バッハの書いた通りではなく、ストコフスキーの書いた通りになります。そして、ストコフスキーが残した録音のようになるのではなく、ストコフスキーの書いたスコアの通りになります。ですから、なにか倒錯しているような気がしなくもないのですが、とにかく外山雄三が極めてすぐれた指揮者であることは間違いなく、それは、ほんのちょっと指揮をしたことのある私のわずかな経験から言っても、オーケストラにこれだけ言うことを聞かせられるだけでも、ものすごいことと言わなければなりません。稀有な演奏で、稀有な指揮者でしょう。

 そういうわけで、どうしても、何十年も前の演奏会の感想を書いているのではなく、CDとなると、いろいろなCD、「悲愴」であれば、有名な、カラヤンやムラヴィンスキーの演奏などと比べられてしまいますので、そこを差別化できると判断したキングレコードに感謝し、また、これはこの文章をお読みのかたも、このCDを買って聴けば、どういう演奏か、わかることです。当然、「よくない」というふうに言う人が現れるでしょうし、今回の私も、ちょっと、意固地というか、へそまがりな感じに書いてしまいました。これは、通むけなのか、あるいは初心者むけなのか。テレビでも見ましたが、かつての大阪交響楽団は、かなり珍しい曲をつぎつぎとやっていまして、そういう曲よりは、こういった、オーケストラの基本の曲のほうが、オーケストラのうまさなども、よりはっきりわかるように思います。しかし、ほんとうに指揮者の言う通り、楽譜に書いてあるとおり、ていねいに演奏されており、すごいと思います。引き続き、このシリーズのCDは、買い続けていきたいと思います。(やはり、外山雄三ファンのためのCDのような気がしまして、さっさと買わないと廃盤になって手に入らなくなる危険性があるため、私のようなコアなファンは、早く入手しなければなりませんが、ほんとうにお金がないので…。)

 ファンとしては感謝すべきもので、もっとCDを出して欲しいのですが、すでに買いきれないほど出ているという状態になりました。少しずつ、買っていきます。これをお読みのみなさんも、よろしければCDをお求めになり、できれば、生で聴けるかたは生の演奏会をお聴きください。外山雄三は90歳になりましたが、とても元気で、作曲も指揮も続けています。

 どうも、たいした文章にはならないみたいで、申し訳ございません。もちろんチャイコフスキー(とムソルグスキー、リムスキーコルサコフ)が偉大なのであり、その書き残したことを、ここまでのこだわりをもって再現できる外山雄三と大阪交響楽団は、すごいのです。ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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