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本物と偽物の区別はつかない

本物と偽物の区別はつかないのです。

「やればできる」という言葉は、「できないのはやらないからだ」と人を責める言葉である場合と、本来の意味である励ましの言葉という側面があります。

「教育ママ」というのも、本来は「子どもにいい教育を受けさせたい」と思っている愛情ある母親のことを指すのです。

「お金儲け」というのも、我利我利亡者の意味だけではなく、本来的には、信頼関係を作る目的でお金を使い、友達が増えて、お金が増えるという、積極的な意味での金儲けの意味があった。

つくづく、本物と偽物の区別はつかない。

じつはこれはクラシック音楽オタク話です。すみませんね。ブラームスの交響曲のよさが、私は高校時代までわからなかったのです。それはひとえに演奏のせいでありました。

最近、ある有名な指揮者(故人)、有名なオケの演奏するブラームスの交響曲第1番(YouTube)を聴いて、ああ、かつての「ブラームスのよさ」がわからずに聴いていたころのブラームス1番の演奏だ、と感じたのです。

私は、長いこと、ブラームスのよさがわかりませんでした。私がブラームスに開眼したのは、大学1年のときでした。大学入学直後だと思います。

逆に言うと、高校までの私には、ブラームスのよさはわかっていませんでした。高校までのオケでやっていたブラームス作品は、高校1年のときのハンガリー舞曲第5番、第6番(シュメリンク編)だけでした。これらは少しブラームスのよさとは違う。

地元のアマチュアオケの演奏も聴きました。少なくとも交響曲第1番と第2番は聴きました。よさはわかりませんでした。

実家には交響曲第4番のカセットテープがありました。しかし、私にブラームスのよさはわかりませんでした。

私がブラームスのよさに目覚めたのは、いま手元にある、ストコフスキー指揮ロンドン交響楽団のCDを聴いたときです。

これは、18歳のとき、大学入学直後に購入したCDです。ですからもう30年くらい持っています。

1972年6月14日、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールでの演奏。

(翌日、ロイヤル・アルバート・ホールで、同じプログラムで、デッカの有名なライヴ・レコーディングがありますが、それとは別の日の演奏です。)

はじめて聴いたときの感動は非常に大きかったです。聴いている皆さんと一緒に拍手がしたかったです。

あまり言葉を費やすことができません。「本物と偽物の区別はつかない」としか言いようがありません。

この日は、ワーグナーの「マイスタージンガー」前奏曲、ドビュッシーの牧神の午後への前奏曲、グラズノフのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン:シルヴィア・マルコヴィチ)、ブラームスの交響曲第1番、チャイコフスキーのスラヴ行進曲が演奏されています。

これは、ストコフスキーのロンドン交響楽団デビュー60周年を記念した演奏会であり、1922年5月22日に、同じプログラムで、演奏会が行われています。(ソロはエフレム・ジンバリスト。)ストコフスキーがシンシナティからフィラデルフィアに移るタイミングで行われた演奏会ですね。

その60年後の1972年のライヴ録音であるわけです。このCDには、あとそのグラズノフのヴァイオリン協奏曲が収録されています。1972年は、5月9日にアメリカでの最後の演奏会を終えて、拠点をイギリスに移したタイミングで行われています。

私がこのCDを買った同じころ、やはり購入したCDで、フィラデルフィア管弦楽団の1927年のブラ1もあります。これもすばらしい演奏です。完成度からいくと1927年盤となるでしょう。これの話もいずれ書きたいと思います。

私がブラームスに目覚めた、貴重な思い出のあるCDのお話でした。それにしても、微分よりも積分よりも、ブラームスに目覚めるほうが遅かったのですね、私は。

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