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どんな仕事も罪深い

 最近、インパルスの板倉俊之さんのつぎの記事を読みました。(律儀にお読みにならなくてだいじょうぶです。)私なりにあらすじを書いてみますね。


 東日本大震災の直後、板倉さんは、お笑いのネタを考えることが不謹慎に思えていたそうです。それくらい深刻なニュースがテレビから流れて来ていたわけです。救助活動をしている人を見て、自分は「必要のない仕事をしている」とお気づきになった。お笑いは「娯楽」だからです。数年後に高校時代のお友達に会いました。そのお友達は消防士をしていました。板倉さんは「消防士は必要な仕事だ」と思ったわけです。そのお友達も東日本大震災のときは被災地で働きづめだったそうです。しかし、そのお友達は、そのころは精神的にきつくて、お笑いのDVDを借りて(インパルスのではなかったそうですが)、笑ってだいぶ楽になったと言っていて、それで板倉さんは、お笑いが人を助ける人の救いになっていたことを知ります。板倉さんはその記事を「ただやっている本人に自覚がないだけで、きっとどんな仕事も、見知らぬ誰かの救いになっている」と結んでおられます。

 これを読んで私の感じたことです。それはおっしゃる通りですけど、その一方で、どんな仕事も、見知らぬ誰かに迷惑をかけているという面がある、ということを思いました。

 教員だったころに、中学生のための仕事に関する講演会で、ある有名な自動車メーカーの人が話されました。私はその話を聞いて、気が遠くなるような思いがしました。考えてみると、自動車というものは、たくさんの排気ガスを出します。そして、私のよく知らないたくさんの原料を使っているでしょう。どれほど環境汚染をしているかわからない製品です。それを日常的に販売している人は、いったいどういう気持ちで仕事をしているのだろうか…。ごめんなさいね、自動車メーカーの批判ではありません。どんな仕事でもそうなのです。どんな仕事も「罪深い」のです。

 私のしていた「教員」という仕事も、確かに「子どもに勉強を教える」というような、「人を救う」仕事でもありますが、その一方で、この仕事がどれだけ罪深いか、嫌というほど感じてきました。「いい大学に受からないと人生は終わりだぞ」と迫りすぎることによって、どれだけの人が苦しんできたことでしょう。センター試験の成績を見て自殺する生徒さんもいたりするわけです。板倉さんの仕事である「お笑い」も、いったいどれくらいの人を傷つけているのか、わかりません。(私もお笑いで地味に傷ついた経験はありますよ!誰のどのネタとは言いませんけど。)

 牧師の説教で傷ついていた人も知っています。それも、その牧師が思いもよらぬことで。「説教」に限らず、「人前でしゃべる」ということは、きっと誰かを傷つけているのです。

 そういうわけで、板倉さんの言うことも一理ありますが、なにごともプラスの面だけではなくマイナスの面があります。どんな仕事も誰かの救いになっている反面、どんな仕事も「罪深い」のです。

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