「大道具」か「男のロマン」か
私は、学生時代、数学の研究をしていました。かじった程度で、25歳の大病になり、研究者としての道を閉ざされることになりましたが、どういう研究者であったか。
数学のことを、知らないかたに説明するのは、とっても難しいのですが、あえて説明を試みます。いわゆる「大道具」を使って、難しい理論などをたくさん使いながら、いかにも難しそうな数学をやるタイプか、それとも、わりとエレメンタリーな(=初歩的な)道具しか使わず、「男のロマン」みたいな(?)感じでやるのか、というと、明らかに後者のタイプであったようです。
ですから、私の自己評価としては、なんだか「幼稚」なことをしているなあオレ、と思っていたのですが、なぜか、私の研究は、いろいろな人に、感心されていました。意外なほど。
ちょっと、このnoteでも、片鱗が見えるかもしれません。その傾向。
つまり、講演でもなんでも、すごく難しいことを話されるかたがおられます。難しい言葉を使って、難しい内容を話されるかたがあります。ちょっと、この文脈の流れだと、そういう人をバカにしているかのように読めるかもしれませんが、そういうつもりはありません。そういう人は、数学で言えば、「大道具」を使って、「難しい」数学をやる人に似ています。私からしたらかっこいいです。賢い人だなあと思います。それと比べると、私の数学はエレメンタリーです。幼稚です。やさしいです。まるで私のnoteの記事みたいだと思いませんか。私、数学の論文でも、こういう傾向の研究をしていたのです。あまり賢くありませんのでね(笑)。でも、みなさん、私の研究の成果に、なぜかすごく感心してくれたんですよね。自分でもふしぎでしたよ。みなさんのほうがずっと賢いんじゃない?って思っていたんですけどね。
(だから数学の研究者になれていたらこんなに困窮しないですんだのに、まあいまとなってはしようがありませんね。)
そういう自分の傾向に気がついたからには、せめて、このnoteでも、「やさしい言葉なんだけど、意味のある内容」のものをなるべく書くことを目指そうかな!やることのない現在、やはり、noteの記事を書くことは、「生きるモチベーション」たりうるので。
この文章は、あまり内容がありませんね。すみません。難しい言葉を使った難しい講演ばかりが賢いわけではないことを言ったくらいですかね。
以上です。お読みくださりありがとうございました。