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頭フル回転か、それともボーっとしているのか

私はかつて中高の数学の教員でした。しばしば、生徒に問題演習をさせました。果たして、生徒が「頭をフル回転させているところ」なのか、それとも単に「ボーっとしているところ」なのかは分からないものでした。ボーッとしている(かのように見える)生徒を放置して、先輩の教師から(しばしば後輩の教師からも)叱られることは稀ではありませんでした。しかしこの「頭がフル回転しているのか、それとも単にボーっとしているのか」がハタから見ても分からないという点は、実は奥の深い問いです。

大学院の博士課程のオリエンテーションでのことです。ある世界的に有名な(東大の先生の多くはその道で世界的に有名でしたが)トポロジーの先生が「自分のスタイルを確立して欲しい」と言って、2つの例を挙げました。1つは有名かもしれない例で、岡潔(おか・きよし)さんの話でした。もっぱらエッセイで有名になっていますが、実は国際的な業績を残した大学者です。岡さんが、若いころ、北大でひたすら寝ていた話です。もうひとつは、その先生は具体的な名前は出しませんでしたが、明らかに、ジョンソンという数学者のことを言っていました。ジョンソンは、1980年前後に画期的な論文をいくつか書き、そのあと数学界から消えました。カヌーをこぐのに夢中になってしまったそうなのです。そのガイダンスをなさった先生は、この2つの例を挙げられたのでした。

私が間接的に知っていた、ある地方国立大の工学部の先生がいました。その先生はヴァイオリンを弾くのが大好きで、もうすっかり研究のほうは放り投げてしまって、ひたすら地元のアマチュアオーケストラでヴァイオリンを弾いているのでした。ずっと助教授のままでした(当時は「准教授」のことを「助教授」と言いました)。でも、その先生も、結果を出さないからといって、大学をクビになったりはしませんでした。これは大学というところのいいところです。「フル回転しているのか、それともボーっとしているのか」はハタから見ても分かりません。こういう先生に給料を払い続けるリスクを犯しても、研究というものの自由を守る。それがアカデミアの世界のいいところでした。

ほんとうに、10年、15年に1度のペースくらいで、優れた論文を書く研究者もいるのです。具体的な名前を出しますと、セルフという数学者がいます。モース理論の一種で、セルフ理論と言われる優れた業績があります。しかし、セルフの「セルフ理論以外の業績」というものが思い当たらないのです。ある院生(彼もとっくに母校の東大の准教授ですが)が、セルフ理論のセミナー発表をしたことがありました。それを聞いていた彼の指導教官(私の指導教官ではなかったですが)は、「セルフって他の仕事を知らないねえ。『その後のセルフ』って誰か知らない?」と言って笑っていました。ときどき、文科省が「5年で結果を出せ」みたいなことを言ってくると、東大の先生がた(に限らないでしょうけど)は猛烈に反発していたものです。さきの「ヴァイオリン大好き先生」もクビにならないところが学問の世界の良さです。

私も「フルスピードでやっているのに、のんびりやっているようにしか見えない」人間でした。両親からも「のんーびりやっているのな!」とどれほど叱られたことでしょう。「じつは自分は自分なりにフルスピードでやっているのだ」と認識できるようになるのに40年以上の年月が必要でした。お子さんがボーっとしているようにしか見えない親御さん、どうかお子さんを責めないでくださいね!

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