いい人、感じのいい人、最低の人

 「いい人」と言われる人がいます。いっぽうで「感じのいい人」がいます。「どうでもいい人」もいます。ひどい目にあわされた人を思い出してみると、けっこう「感じのいい人」が多くいることに気づきます。笑顔を絶やさず、だれとでもほがらか。もちろんいかにも意地悪な人でほんとうに意地悪な人もいるのですが、ひどい人で「感じのいい人」が多数いることは確かであるようです。

 私のだいぶ前の上司で、ある牧師がいました。私を司書室へ追いやった張本人です。彼はあるとき、司書教諭の勉強をする司書室の私のところへ来て、さんざん私をバカにした挙句に、ひときわ高い声で「ここは天国みたいだねえ!」と言いました。皮肉を言っているのです。おのれ「天国」というキリスト教ワードで皮肉が言えるとは、天国を信じていないな!

 という「最低の」牧師も、「感じのいい人」でした。その好感度の高さで、いまはえらく出世して、大教会の牧師になっています。たくさんの献金で潤っているでしょう。いっぽうで私はかなり第一印象の悪い人間で「なんだこいつ」と思われるタイプです。

 いろいろな「感じのいい人」がいます。「感じのいい」と言ってもさまざまで、「だれとでも仲良くできる」と言えば聞こえはいいですが、あっちへいい顔、こっちへいい顔する「八方美人」であることもあります。何種類も顔を持っていて、意識的にか無意識的にか使い分けている人もいます。いや私も含めほとんどの人が「顔の使い分け」をしているのでしょう。教員時代の同じ部活の顧問にもいました。とても感じのいい人で、人望がありましたが、面倒なことはすべて私にやらせ、何年も私をこき使った挙句に私がいらなくなったら何のあいさつもなくポイ捨てされました。有益な情報はすべて私から吸い出そうとしていました。結局、私は利用されるだけ利用されたのです。彼は、人として最低だと思います。

 しかし、「人として最低」という人はいるのだろうか。これもまたわからないことです。私に陰湿なハラスメントをしてきた上司も、別の面では「最低ではない」のかもしれません。非常に人望のあるハラスメント上司もいます。私にだけではなく、いろいろな人にハラスメントをしているのですが、ようするに「弱い者いじめ」しかしないので、うまく世を渡っておられるのです。いや「強い者いじめ」という言葉が世の中に存在しないからには、およそ「いじめ」というものは、弱い者にたいしてするものなのでしょう。

 「100%いい人」がいないということと同様「100%悪い人」もいないのでしょう。いじめられているときは受け入れがたいことですけど。

 テレビなどでハッカー(クラッカー)が、いかにも「悪い顔」でコンピュータの操作をしているイラストなどがうつったりしますが、ほんとうの悪者は、「感じのいい人」なのかもしれません。少なくとも、日本有数の大きなプロテスタントの教会の主任牧師(なのです)は、その「天国という言葉で皮肉が言える」最低の牧師であることを言っておきましょう。私の書くことはすべてフィクションですけどね。


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