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岩城宏之の思い出

2004年のことだと思います。岩城宏之指揮、東京フィルハーモニー交響楽団(東フィル)の演奏会を聴きました。いただきもののチケットです(東フィルの合唱に入っておられるかたからいただきました)。岩城宏之の指揮を生で聴いたのは唯一の機会です(このあと亡くなられたのでほんとうに唯一の機会です)。東フィルを聴いたのも、唯一の経験です(東フィルの先生に、ご指導いただいたことはたくさんありますが)。プログラムは、以下の3曲。マルティヌーの「フランチェスコのフレスコ」(日本初演)、ヤナーチェクのシンフォニエッタ、ドヴォルザークの新世界。ホールは忘れましたが、岩城宏之の顔をよく覚えていますので、いわゆる「サントリーホールのP席」みたいなチケットだったと考えられます(つまり、「オーケストラより後ろの席」)。2004年らしいというのは、ドヴォルザーク・イヤーだったと記憶しているからです(ドヴォルザークは1904年没。つまり没後100年だったのではないかと)。

まず、マルティヌーの「フランチェスコのフレスコ」。二十一世紀に入ってからの日本初演ということで、ずいぶん珍しい曲だったのだろうと思われるかもしれませんが、これが、なぜ2004年まで日本で演奏されてこなかったのであろうかという曲で、マルティヌーらしい聴きやすい曲で、この演奏会はひとりで行った記憶がありますが、友人に話したら、CDを持っていましたし。もしご興味をお持ちでしたら、YouTubeなどでお聴きください。

(ついでに「業界曲」の宣伝です。マルティヌーは、「フルートソナタ(第1番)」もフルート業界では有名です。よろしければお聴きください。マルティヌーには、フルートを含む室内楽曲も多いです。)

つぎの曲です。ヤナーチェクのシンフォニエッタ。この曲は、この演奏会よりずっとあとですが、いつだったか、村上春樹が小説のなかで登場させたらしく、文学ファンのあいだでもちょっと有名になった曲です(古い話で恐縮です)。全部で5楽章からなり、第1楽章はバンダ(別動隊)によるファンファーレであり、第5楽章に、このバンダによるファンファーレは再び登場して曲はしめくくられます。以前、この曲は、あるアマチュア学生オケの演奏で聴きました(人生で、この2回、生で聴いた曲と思われます)。そのときは真正面から聴きましたので、バンダが最後に立ち上がるところもはっきり見ました。なかなか視覚的にも効果があり、感動的です。そして、岩城宏之のときは、なにしろ「指揮者の顔が見える席」ですから、バンダが立ち上がるところは見られませんでした。この曲は、よく、(発達障害の二次障害である精神病を患う前、)図書館でスコアを借りては、フルートパートをさらった(吹いてみた)のですが、なかなかフルートはおいしい上、たくさんのフルート(ピッコロ持ち替えを含む)を必要とする曲で、ヤナーチェクはかなり変わったオーケストレーションをする作曲家であることは認識できました。その、第5楽章のファンファーレの回帰の話題に戻りますと、あたかも、「日本基督教団信仰告白」を読んでいて、最後に使徒信条が現れるのと、この曲の第5楽章の最後にファンファーレが戻ってくるのが、同じような感動のような気がするのですが…おそらく私のように感じる人は、私くらいでしょうか…。バカでごめんなさいね。
ちなみにヤナーチェクのシンフォニエッタでは、これよりずっと後、2012年3月24日に行われた演奏会で(これはこの岩城宏之の演奏会とは違って検索で出る)、外山雄三指揮、音楽大学フェスティバル・オーケストラの演奏会でも取り上げられ、私は生では聴いていませんが、テレビでやったのを録画して、BDで持っています。外山雄三は、第5楽章の基本テンポを、ファンファーレのテンポより少し速めに設定し、ファンファーレの回帰で、少しテンポを落として、第1楽章のテンポにそろえました。うまい演奏だなあと感心しました。(のちに、そのように指揮する指揮者は外山だけではないと知りましたが。)「テレビで観た外山雄三」と「生で聴いた岩城宏之」を比較するのは悪趣味かもしれませんが、つい比較してしまいますね…。

さて、後半の、ドヴォルザークの「新世界」です。岩城宏之は、「ドヴォルザークが書いたとおりに演奏する」と宣言して、この演奏会に臨んだと聞きましたが、とくに驚くような演奏ではありませんでした。慣習的にテンポを落とすところで、落とさなかったくらい…?これもじつは、「楽譜通りの演奏」で有名な外山雄三が、非常に個性的な「新世界」を披露することで知られています。ときどき、外山雄三の「新世界」が超個性的であったことを書いているインターネットの記事を読むたびに、いったい外山雄三の「楽譜通りの新世界」とはどのようなものであろうか、気になってなりません。昨年(2020年)の5月に、外山雄三指揮、大阪交響楽団が、ドヴォルザークの交響曲8番、9番(新世界)を演奏する予定で、結局、コロナでなくなったのですが、私は、生で聴きに行くこともできず、あるレコード会社へ、「CD化してください」とメールし、電話までしてダメおししましたが…。新録音でなくてもいいですから、過去の放送音源でもいいので、CD化してほしいです…。ごめんなさいね、今度は「うわさの外山雄三」と「生で聴いた岩城宏之」を比較してしまいました。すみません、「岩城宏之の思い出」という題で、外山雄三の話ばかり書いて…。しかし、いまごろ、おそらく、私の郵便受けには、外山雄三/大阪交響楽団によるベートーヴェン交響曲全集のCDが届いているはず…。私、「ベートーヴェン交響曲全集」を買うのは、生まれてはじめてなんですよ。ごめんなさいね、最後まで外山雄三の話でした。岩城宏之の顔はよく見えましたが、にこやかに指揮しておられました。おっかない顔で指揮をする(そして、実際におっかないと聞く)外山雄三とは違いますね。とにかく、私にとって唯一の岩城宏之の思い出です。唯一の東フィルの思い出でもあります。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました!

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