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単位取得退学

 私のnoteの記事から、抜粋されて、クリスチャンプレスというインターネット新聞に掲載されている話は前にも書いたことがあると思います。タイトルは「発達障害クリスチャンのつぶやき」、プロフィールは「発達障害の当事者。偶然に偶然が重なってプロテスタント教会で洗礼を受ける。東京大学大学院博士課程単位取得退学。クラシック音楽オタク。好きな言葉は「見ないで信じる者は幸いである」。」となっています。

 障害は振りかざしたくない気がしたので、「発達障害クリスチャンのつぶやき」という題にするのにはいささか抵抗がありました。しかし、結果的に、私の記事は発達障害ネタが多いですし、さらに、考えてみると、誰しもひとを蹴落としてでも自分の生き残りをかけるのですから、自分の特性を振りかざしてライターをすることは当たり前の話だと思ったことや、それから考えてみると、障害者支援の人も、障害者自身の書いたものは支援の参考になると言っていましたので、こういう物書きがいてもいいのでしょう。いまは、このタイトルをすすめてくださった編集のかたに感謝しています。この題でよかったです。

 好きな言葉として「見ないで信じる者は幸いである」を挙げていますが、これは聖書の言葉です。しかし、「好きな聖書の言葉は」としなかったのには、こだわりがあります。「好きな聖書の言葉は」と書いてしまうと、「聖書の言葉のなかでは、これが好き」という意味になりますが、私にとって「見ないで信じる者は幸いである」という言葉は、「あらゆる言葉のなかで最も好きな言葉」だからです。(ちなみに、これはどの翻訳でもありません。強いていうと口語訳聖書に近いですが、字句通りではないです。もはや、自分のなかでこなれすぎて、自分の言葉になっているのです。)

 最終学歴も、まるで東大を振りかざしているようで、あまり気はすすまなかったのですが(これ東大あるあるで、東大のなかでは誰も気にしていませんが、東大の人って、外部で「東大風を吹かせているように思われてやしないか」と、ものすごく気にしているものです)、編集のかたの熱心なすすめで、載せました。これも、よかったと思っています。なかんずく、私の最終学歴の「博士課程単位取得退学」というのが気に入っています。この、なんともいえないみっともなさが。

 何十年も前から言われているのです。博士課程で単位を取得して、博士論文は提出せずに辞めたという人を「単位取得退学」と言うという、「退学」という言葉のみっともなさですね。多くの人は、これをうまくごまかして書いています。たとえば、ある牧師(奥田知志さんですが)は、プロフィールに「九州大学大学院博士課程後期単位取得」と書いておられます。これもおそらく「単位取得退学」なのですが、「退学」がみっともなくて、「単位取得」と書いているのだと思います。それからたとえば、講演会などの講師が、自分の最終学歴を正直に「単位取得退学」と書いたら、聴衆のひそひそ話で「あの先生、退学ですってよ」と聞こえてきた、などという話も聞きます。それくらい、「単位取得退学」という最終学歴は、「かっこわるい、みっともない」と思われているものなのです。(「中退」のほうがよっぽどかっこいいよね。)

 でも、そこがいいと私は思っております。なにもかもが中途半端な私の人生を象徴するような最終学歴で、気に入っています。大学院博士課程単位取得退学。(ハローワークとかで、多くの人が「高卒」「大卒」と書くらんで、私はこの「大学院博士課程単位取得退学」の13文字を無理やり入れ込まねばならないんですけどね。どう短くしようにもこれ以上、短くならない。そして、どうせ「院卒」とかに書き直されてしまうのですけどね。)

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