見出し画像

ストコフスキー指揮のラフマニノフの交響曲第3番

これは私がときどき書くクラシック音楽オタクネタの記事です。ごく普通の記事(数学の生徒さんの紹介)は本日の午後6時半に予約投稿される予定です。クラシック音楽オタクネタにご興味のないかたはどうぞそちらをご覧くださいませ。これはだらだら書くオタク記事です!

以前、ストコフスキー指揮ロイヤルフィルの弦楽作品集のCDを(ほしいと思ってから長い時間をへて)購入した話は書いたと思います。そのときにも少し触れました、ストコフスキー指揮ナショナル・フィルによるラフマニノフの交響曲第3番とヴォカリーズのCDについて書きます。

ラフマニノフの交響曲第3番は、ストコフスキーがフィラデルフィア管弦楽団で世界初演した曲です。それは1936年のことでした。それから40年近くが経過した1975年にこのレコーディングはなされました。ストコフスキーが93歳になる年です。ときどきレコード会社は、ストコフスキーが初演した音楽で、後年に評価の定まった(定まっていない曲も)曲を録音することがありました。そんなレコーディングのひとつであるわけです。この調子でストコフスキーがもっと長生きしたら(ストコフスキーは1977年に95歳の若さで亡くなります。そのときあと4、5年のレコーディングの契約が残っていたと聞きます)、たとえばヴァレーズのアメリカやアルカナもレコーディングされた可能性があると思っています。かえすがえすもくやしいですが、とにかくこのラフマニノフの交響曲第3番が残ったことは喜ばしいことだと言えます。

今年(2023年)は、ラフマニノフの生誕150年であり、いろいろクラシック音楽界ではもよおしがなされているようです。ピアノ協奏曲全曲演奏会などもよおされているようです。最近、見たのは、プレトニョフがピアニストとして来日してのラフマニノフのピアノ協奏曲全曲演奏会でした。(ラフマニノフのピアノ協奏曲は4曲あり、1晩で聴くのはきついと思われ、2晩に分けてやるようです。これにパガニーニ狂詩曲も含める場合もあるらしいです。)これはなかなか私が学生時代から考えると想像できなかったことです。21世紀に入って、こんなにラフマニノフが再評価されるとは思っていなかったのです。

30年くらい前、私は東大オケにいました。生意気な東大生は、ショスタコーヴィチやマーラーをやりたがりました。実際にショスタコーヴィチの交響曲第9番、第5番、「黄金時代」のポルカはやりましたし(私はいずれも乗らず)、マーラーもどうにか五月祭(と小学校まわり)で交響曲第7番の第3楽章をやったものです(これも乗らず)。どうしてもやりたかったのですね。このわりに、ラフマニノフは軽んじられていました。おもに交響曲第2番が候補曲に挙がっては、多く弦楽器のパートリーダーから落とされて行きました。生意気な東大生はラフマニノフの2番を「曲じゃない」と紙媒体の曲決めの冊子(曲決めバイブルと言いました)に書いていたものです。「曲じゃない」はひどいわけですが、そののち、私が大学院生のころ、東大オケは定期演奏会でラフマニノフの交響曲第2番を演奏しました(確か2004年)。時代は変わったものだと思いましたが、いまやラフマニノフの交響曲第2番は、アマチュアオーケストラが普通に演奏する演目のひとつとなりました。意外なことです。

この30年に、どのような変化があったのか、だいたい想像できますので、それを書きたいと思います。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番のような作品は、ラフマニノフ存命中から人気がありました。ラフマニノフ本人のピアノ、ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団のレコードは、アコースティック録音の時代の1924年からあります。いまからちょうど99年も前の録音です。(その3年後に電気録音がされました。いまおもに聴かれるのは電気録音のほうです。)いわゆる甘い旋律と、私の感覚ではそれ以上に甘い和声進行で、聴く人に人気のある曲だったのです。その40年後くらいにはたとえばヴァン・クライバーンのレコードが大ヒットしたこともあります。常に人気のある作品でした。これら「甘い旋律」というイメージから、以下のような発言がありました。

往年の大ピアニストであるクラウディオ・アラウが、なぜラフマニノフを弾かないのかと聞かれて「あれはハリウッドの作曲家だから」と答えた、という話があります。「あれは安っぽい映画音楽みたいなものなのだ」という趣旨の発言でしょう。それから、例のショスタコーヴィチが自分の作曲の学生に「ハイドンのようであるべきだ。ラフマニノフのようであってはならない」と言った、ということがあります。ショスタコーヴィチですらそういう認識であったということです。

そして、過去にも何度か書いている話です。私が20歳ごろに交際していた彼女は、違うオケの仲間でした。彼女が別の吹奏楽団で、ラフマニノフの交響的舞曲の第3曲をやることになったそうです。私はその本番は聴いていません。ただ、吹奏楽の世界はそのへんはけっこう進取的なのでした。デュトワ指揮モントリオール交響楽団が来日し、ラフマニノフの交響的舞曲を披露しました。日本の評論家のひとりは「デュトワはこのようなラフマニノフの駄作でも名演奏をなしとげた」と書きました。この人物に限らず、当時は、ラフマニノフの交響的舞曲を「駄作」という音楽評論家は少なからずいたものです。パガニーニ狂詩曲の第18変奏を「ここで関係のない主題が出る」と書いていた評論家もいます(上下転回形であることは私は気づいていました)。とにかく、「ラフマニノフは甘い旋律を書いてこその作曲家である」という認識が当時のおもな日本の評論家にあったのでしょう。つまり、ラフマニノフの交響的舞曲には「甘い旋律」は出ないからなのです!

私がラフマニノフの交響的舞曲をはじめて聴いたのはいつか。それは、アシュケナージ指揮コンセルトヘボウ管弦楽団のカセットテープを聴いたときです。衝撃的な出会いでした。これはラフマニノフの最高傑作であると確信したものです(ラフマニノフの作品のすべてを聴いたわけではないにしても。いまだに)。これは30年くらい前の話であるわけです。アルゲリッチとエコノムの2台ピアノ版のCDも聴きました(これはエコノム編曲のチャイコフスキーの「くるみ割り人形」組曲が組み合わされており、アルバムのコンセプトとしては明らかにラフマニノフがメインなのに、メインがくるみ割り人形のほうであるかのように売られていたものです)。そして、その吹奏楽でやった彼女にも押される形で、外山雄三指揮仙台フィルの東京公演を聴きました。ラフマニノフの交響的舞曲をやったのです。そのときの記事は書きました。外山雄三のライヴを聴いた最初となりました。感銘を受けました。ラフマニノフの交響的舞曲は私のなかでラフマニノフの最高傑作という位置づけとなったまま今日に至ります。

そして、ようやく交響曲第3番ですが、これは、もしラフマニノフが交響的舞曲を書いていかなったら、これがラフマニノフの最高傑作だったろうというほどの傑作です。ラフマニノフの和声進行の妙はさえており、これは晩年のラフマニノフが到達した境地を示しています。これも最近は世界的に再評価が進んでいると思います。

だいたい、ラフマニノフがどれだけ評価されていなかったかというのを、レコーディングの歴史から見ることができます。私は交響曲第2番について自分の知る限りのことを書きますが、指揮者でいうと、フルトヴェングラーもトスカニーニもカラヤンもワルターもクレンペラーも、録音していないではないか!私の知る限りにおいては、ショルティもジュリーニもアバドもメータも小澤征爾も録音していないです。交響曲第3番はもっと録音されていないと思います。(ストコフスキーは交響曲第2番は1946年のライヴ録音が残りました。交響的舞曲の録音は残りませんでした。取り上げているのですがライヴ録音がひとつも残らなかったようなのです。惜しいですね。ストコフスキーが亡くなった数日後には、交響曲第2番の初のセッション録音が計画されていたということで、つくづくストコフスキーは早すぎる死だったと思います。)

そもそもストコフスキーがラフマニノフをフィラデルフィアに呼んだのだ、という話を聞きます。ラフマニノフがフィラデルフィア管弦楽団を世界最高のオーケストラと呼んだのは有名な話ですが、ストコフスキーは当時からラフマニノフへの評価が高かったことになります。ラフマニノフの「死の島」についてストコフスキーは作曲者への手紙のなかで「すばらしい作品であり、カットされずに演奏されるべきものです」と書いていると読んだことがあります。実際、先述のラフマニノフの交響曲第2番のライヴ録音は、この曲のノーカット録音のうち最も古いものです。(この点について最近、ツイッターでつぶやいたところ、そうではないというご指摘を受けました。確かにストコフスキーのラフマニノフの交響曲第2番の録音について、第4楽章にわずかのカットがあると書いている記事が多いです。ただし!私は音楽図書館でストコフスキー盤を聴きながらスコアを読みました。カットはないです。これは、「インターネットで多くの人が言っているからといって正しいこととは限らない」という典型例となっているので注意を要します。お互いにブログ等でガセを引用しあっているうちに本当のことのように思えてきた例でしょう。ネットにはこの手のガセが多いという教訓になります。)とにかくチャイコフスキーであれだけカットをするストコフスキーがラフマニノフでカットをしないというのは顕著な特徴です。ラフマニノフをチャイコフスキーの延長であるかのように評する評論家も多かった時代があります。(評論家の言うことがあてにならないことは先に見た通りです。)ラフマニノフが最高の指揮者と評したのはトスカニーニですが、ストコフスキーはラフマニノフを指揮するとき、トスカニーニになったかのようです。速めのインテンポ。

このCDは、もともとのLPレコードそのものの収録だと考えられます。ヴォカリーズが入っているのは、当時の状況(ここまでラフマニノフの再評価が進んでいなかった。いまから半世紀くらいは前の録音ですから)からして、有名な曲を入れたいというレコード会社の考えでしょう。ストコフスキーも、いろいろの編曲でラフマニノフのヴォカリーズを録音してきていましたが、この作曲者のオーケストレーションでは久しぶりになります。(ストコフスキーの弦楽作品集に収められたヴォカリーズは個人的には傑作ですが。それはトスカニーニ流ではなく、ストコフスキーらしさを発揮した演奏です。晩年の前奏曲「鐘」のストコフスキー編曲の録音とともに、まことにストコフスキーは一筋縄で行かず、おもしろいです。)そして、お目当ての交響曲第3番です。ここまで述べた通り、ラフマニノフ語法を知り尽くしたベテラン指揮者による演奏です。すごい!この録音が残されたことは大きいです。あえて言いますと、ストコフスキーの最晩年の録音は、バランスの悪い演奏が混じっています。とくにティンパニが大きすぎる。ストコフスキーの若いころの録音を聴けばわかる通り、ストコフスキーはティンパニが大きすぎて音量のバランスを崩すのを嫌っていました。このラフマニノフ3番は、ときどきストコフスキー美学に反した打楽器のバランスの問題がありますが、それは大目に見るしかありません。ストコフスキーはライヴ録音でもこのラフマニノフの交響曲第3番は残らなかったので、この演奏はなおさら貴重なのです。

こういうわけで、私の身のまわり(「知人」という意味ではありません)に、ラフマニノフの音楽への理解の深かった音楽家がときどきいます。ストコフスキーと外山雄三でしょう。ホロヴィッツもでしょう。外山雄三はほかにパガニーニ狂詩曲(野島稔、神奈川フィル、記事にしたことあり)、および交響曲第2番(仙台フィル、記事にしたことあり)を生で聴いています。ホロヴィッツはインタビューで再三、作曲家としてまたピアニストとして、ラフマニノフへの尊敬を表明しています。

これからますます注目されるラフマニノフの音楽。この交響曲第3番は、まさにその筆頭に挙がると思われる名曲です。

ちなみに私が数学の授業前の音楽としてパソコンに取り込んでいるラフマニノフの音楽はこれではなく、ピアノ協奏曲第3番です(オボーリン、ストコフスキー、チェコフィル)。このオボーリンとストコフスキーとチェコフィルのライヴ録音は奇跡的な出来であり、「ラフマニノフをわかっている」というふうにしか言えないと思います。かのホロヴィッツでも対抗できまいと思うほどの出来です。オボーリンはピアノ協奏曲第2番もよい(渡辺暁雄、日フィル)。それにしても、ピアノ協奏曲も、第2番や第3番だけでなく、第1番や第4番もきちんと聴かれる時代が来ようとは!ストコフスキーは「3つのロシアの歌」の録音は残ったので、いずれそんな話も書きたいです。本日は長すぎますので。以上です!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?