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2004年の早川正昭さんの2つの演奏会

さきほど、この話題は記事にしました。「どうぞお大事に~」と言う人の話は、どうぞそちらの記事をお読みくださいね。これは純粋にクラシック音楽オタク話です。

2004年1月31日(土)、東京大学音楽部管弦楽団(東大オケ)の定期演奏会を聴いたのです。あのころは学生でありまして、後輩の演奏はたくさん聴いたのです。いまだに東大オケはこの地にツアーで来るときは律儀に聴いていたものです。ただし、最近はもう東大オケを聴かなくてもいいかなあ、と思うようになりました。演奏の精度が落ちているし、ビーシェーン(アンコールの歌)の悪乗りが激しくなっているし、なにより東大ブランドを振りかざしてチケットは高いし。もう東大オケはいいや。


この日は東京芸術劇場での演奏会で、プログラムは、ボロディンの「イーゴリ公」序曲、コダーイの「孔雀」変奏曲(以下、ピーコックバリエイションと呼びます)、ラフマニノフの交響曲第2番でした。まずプログラムで驚きですね。いまでこそラフマニノフの交響曲第2番はアマオケがよくやる交響曲のひとつになっていますけれど、われわれが学生時代はこのような曲に決まることはまずなかったのです。おもに弦楽器に多かった気がしますけど「モーツァルトかベートーヴェンかブラームスでなければ曲じゃない」という「超正統派」がたくさんいたものです。ドヴォルザークでさえ嫌がられたものです。どこまでスノッブなのか知りませんけど、とにかく卒団してだいぶたつ2004年に、こんなプログラムが成立するのに驚いたのです。しかも前プロ、中プロが、ボロディンの「イーゴリ公」序曲とコダーイのピーコックバリエイション…。「隔世の感」とはこのことでした。そして、これからまただいぶたつ2010年にラフマニノフの交響曲第2番をやっていて、そのときは前プロがエルガーの「コケイン」序曲、中プロがヴォーンウィリアムズの「ノーフォーク・ラプソディ第1番」だったのです。せめて前半にドイツものが来るとかでもないのですね。もう「隔世の感」としか言いようのないことです。


指揮は、ずっと早川正昭先生だとアナウンスされてきました。当時はまだ早川先生が引退なさっていなかったのです。プログラムにも「指揮 早川正昭」と書かれています。しかし、当日は田代俊文先生が指揮なさったのです。早川先生は急病とのことでした。「これから聴きに行く」というタイミングで、当時の仲間が「田代先生、見せ場じゃん?」と言ったことが忘れられません。田代先生は五月祭と音楽教室などばかりでしたからねえ。あと入学式と卒業式。


とにかく田代先生の指揮で定期演奏会が行われました。ボロディンの「イーゴリ公」序曲はいまだになじんでいるとは言えない音楽です。「だったん人の踊り」はなじんでいますが、序曲はめったに聴かないのです。珍しいものを聴きました。コダーイのピーコックバリエイションもいまだになじみのない音楽です。当時、近所に「ピーコック」というスーパーがありましたが関係ありません。この曲はフルートが活躍するのでフルートで楽しみにしている仲間もいたのですが、でもなじみがないものにはなじみがないのです。


後半のラフマニノフの交響曲第2番はなじみのある曲です。これは東大オケの団員だったころ、候補曲に挙がり、当時はインターネットもなかったのでCD屋さんでCDを探し、ストコフスキー指揮ハリウッド・ボウル交響楽団のCDを見つけて購入したものです。いまでも持っていてよく聴く曲です。ラフマニノフには番号のついた交響曲が3曲ありますが、最もよく演奏されるのがこの2番です。私は3番も好きなのですが(ラフマニノフが交響的舞曲を作っていなかったら3番が最高傑作だったのではないかと思うくらいの超名曲だと思います)、ラフマニノフの交響曲のうち生で聴いたことがあるのは2番だけだと思います。この曲はいまではアマチュアオケの定番の曲のひとつになり、そのあと学生オケで2回、聴いています。また、プロのオケでは仙台フィル(外山雄三指揮)、名古屋フィル(川瀬賢太郎指揮)で聴いています。いずれも記事にしたことがあると思いますが、外山雄三は出色でした。話が脱線していますが、これは私がこの曲をアマチュアの演奏で聴いた最初の機会になります。


もうひとつの演奏会が、同じ年の暮れ、12月26日(日)に聴いた、あるアマチュア・オーケストラの演奏会です。これも早川正昭さんの指揮でした。今度は早川先生は病気ではなく、元気に指揮されていました。プログラムは4曲から成り、モーツァルトの「フィガロの結婚」序曲、モーツァルトの「フルートとハープのための協奏曲」、チャイコフスキーの「ロミオとジュリエット」、チャイコフスキーの「イタリア奇想曲」でした。アンコールはチャイコフスキーの「眠りの森の美女」ワルツでした。モーツァルトのソリストは、さかはし矢波さんと早川りさこさんでした。さかはし矢波さんは新星日響および東京フィルの下を吹いておられるフルート奏者であり、私が中学生であった三十数年前にラジオで共演したことがあります。覚えておられないだろうなあ。さかはしさんはそのころから有名人であったのだ。りさこ先生は私の記事に何度も出て来るハーピストであり、正昭先生のお嬢さんであられます。当時からすでにN響の団員であられました。


少し先ほども書いたことですが、これを、当時のあるインターネット掲示板で(SNSとかがなかった時代です。皆さんHTMLでこつこつとホームページを作り、掲示板でやり取りをしていました)、ある友人のオルガニストに報告したら「早川先生どうぞお大事に~」と書かれたのです。だいぶ違和感がありました。長いことこの違和感は言葉になりませんでした。かなり自分に正直になっていろいろなものが言語化できるようになった、18年後の私ならば、当時、私が感じた違和感を言葉にできます。このオルガニストはひとの話を聞いていない。早川先生が病気だったのは1年前なのだ!とっくにそんな病気は治って、つい先日も元気で指揮しておられる姿を見た、という話だったのだ!そのオルガニストは一見、思いやりがあるように見えます。しかし、実際には「病気」という2文字を見ただけで条件反射的に「お大事に」と言っているだけの人だったのです。このオルガニストの正体がわかったのはずっとのち、2015年の第1回ダウンのときではないな、2018年の第2回ダウンのときに頼ろうとしたらめちゃくちゃ冷たかったことから思いました。「困ったときに真の友がわかる」というのは本当です。いまの私は相当に困っていますが、当時の東大の仲間に頼ることができないでいます。「本気で軽蔑される恐れがある」。それくらい東大生(東大卒)というものは賢くないのです。同じ東大を出た仲間がこんなに困っていても「本気で軽蔑する」だけなのです。そんな人に頼ることはできない。プラスのことしか言わない、プラスのことしか評価しない人とは付き合えない。私のことを馬鹿にする人は馬鹿なのだ。私は東大の仲間からも本気で軽蔑される恐れがある。当時の仲間と連絡が取れないのは「プライド」のせいではありません。プライドなどとっくにないです。それよりも、馬鹿は相手にしたくないからです。


演奏会の感想からだいぶ話が飛びましたが、それでもいいです。


最後に、これらの曲の、私が普段、聴いている音源を挙げましょう。


ボロディンの「イーゴリ公」序曲はアンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団です。しかし、あまりなじんでいるとは言えません。コダーイのピーコックバリエイションは、コダーイの自作自演(少しカットあり)もしくはドラティ盤ですが、そもそもそんなによく聴く曲ではありません。ラフマニノフの交響曲第2番はよく聴きます。最新盤のティチアーティ指揮ベルリン・ドイツ交響楽団による2020年2月セッション録音も聴いています。さきほどのストコフスキー盤は、確認できる限り最も古いこの曲のノーカット録音ですが(1946年録音)、ライヴ録音であり、冒頭の低弦の音程の悪さ、ときどきコンサートマスターのソロが聴きとれないところがあることを差し引いても超名演奏であることは間違いないです。バランスが見事です。クラシック音楽ブログを書く多くの皆さんが勘違いなさっているのは、この曲の最初のノーカット録音はプレヴィン盤ではないということです。クレツキ指揮スイス・ロマンド管弦楽団の録音のほうが古いです(ストコフスキーはもっと古いですけど)。これは英語のウィキペディアが正しい情報を載せています。クレツキの演奏もとてもよいです。スヴェトラーノフのスウェーデンでのライヴもすごい演奏だと思います。新しいものではノット指揮、東京交響楽団がすぐれていると思います。新しいものは大概、ノーカットです。第1楽章の繰り返しもすることが多くなりました。クラシック音楽にもゆるやかなはやりすたりがあり、ラフマニノフという作曲家は見直されつつある作曲家であると言えましょう。


モーツァルトの「フィガロの結婚」序曲は、ストコフスキー指揮ロイヤルフィルの最晩年のライヴがすぐれています。この短い曲で遊びまくっています。これを超える演奏はそうないだろうと思います。高校のころやった、なつかしい曲でもあります。この曲で記事を書いたことはありませんが、いずれ書きたいものです。「フルートとハープのための協奏曲」はことあるごとに取り上げられる有名な曲で、私はある学生オケが、2人とも団員のソロで演奏するのを聴いたことがあります。これは私がフルートを始める前、小学生のころに、実家にあったカセットテープで、ニコレ、シュタイン、リヒター指揮ミュンヘンバッハ管弦楽団の演奏を聴いたときにハマった曲です。世の中にはこんなにいい曲があるものかと。のちにフルートをやることになり、さまざま聴いて来ましたが、やはりランパルとラスキーヌによるパイヤール指揮パイヤール室内管弦楽団のものはなかなか超えられないだろうと思います。ライネッケのロマンティックなカデンツァが好きです。デボストもパユもゴールウェイもうまいですけどね。一期一会のライヴとしてはデボスト、サバレタ、フルネ指揮スイス・イタリア語放送管弦楽団ライヴという白熱しているものがあります。ミスだらけですけど、なぜか聴いてしまう。ニコレとホリガー夫妻による録音はニコレの調子が悪すぎて聴くにたえないものがあります。


チャイコフスキーの「ロミオとジュリエット」は、アマチュア・オーケストラで数えきれないくらい聴いた曲で、東大オケだけでも何回聴いているかわからないほどです。これはストコフスキーのおはこであり、かなりたくさんのライヴ録音が残っていますが、あえてひとつ挙げるなら、ニューヨーク市交響楽団による長いこと眠っていた録音があります。映像ではスイス・イタリア語放送管弦楽団のライヴがあります。指揮者の山田和樹さんが紹介していましたね。ストコフスキー・マジックです。これと真逆なのが外山雄三指揮、大阪交響楽団によるもので、遅めのインテンポで、あえて盛り上げない分析的な演奏がこの曲の別の面を表していると思います。でもいい曲ですよね。「イタリア奇想曲」は最近、記事にしました。吹奏楽でならば私もやったことがあります。これは「チャイコフスキーのイタリア奇想曲をやった」うちに入るのか?「バナナはおやつに入りますか」みたいな話ですね。ストコフスキー指揮アメリカ交響楽団ライヴがものすごいです。最後に「イヤッホー!」と叫ぶお客さんの声が入っていますが、そう言いたくなる気持ちはわかります。


「眠りの森の美女」ワルツもやったことがあります。東大オケの駒場祭のアンコールです。ピッコロを吹いてとてもおいしかったです。短いけれどもいい曲で、アンコール向けです。これで記事を書いたことはないと思いますが、いつか書きたいですね。ストコフスキーは「眠りの森の美女」も得意にしましたが、ワルツは前奏を省いて録音する傾向にありました。ピッコロはほぼ前奏しか出番がないのだけどなあ…。

以上です。

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