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アルフレッド・リードの思い出

 (すみません。これは私がときどき書く、クラシック音楽ネタです。しかも今回はそのなかでもマニアックな吹奏楽の話です。いや、日本の吹奏楽人口の多さから考えると、吹奏楽ネタは、一般のクラシック音楽ネタよりマニア度は低いのでしょうか?とにかくそんな話題でもよいというかたは、どうぞお読みくださいませ…)

 アルフレッド・リードは、吹奏楽の世界で、非常に有名な作曲家でした。とっくに亡くなっていると思いますが、1996年7月に、私の友人が、あるアマチュア吹奏楽団で、アルフレッド・リードの指揮で、演奏会をやったのを聴きましたので、その感想を、四半世紀が過ぎてから書こうと思います。私がキリスト教に出会ったのは1996年10月のことですから、それよりも前です。

 まず、なぜ彼をフルネームで呼ぶかと言ったら、「リード」という名前の有名な吹奏楽の作曲家は複数いるからです。少なくともオーウェン・リードという作曲家がいます。つまり、オーケストラの世界での「ヨハン・シュトラウス」と「リヒャルト・シュトラウス」みたいなものです。それに、クラリネットなどの吹き口につけている音を鳴らす器具も「リード」と言いますので、「リードミス」と言ったら、そのリードのミスなのか、作曲家のリードの指揮ミスか、わからなくなります。とにかく以降は彼を単に「リード」と書きますね。

 その日のプログラムを見ますと、以下のようです。「乾杯の歌」「グレン・ミラー・メドレー」「オブラディ・オブラダ」「スクリーン・ミュージック・メドレー」。なかなか吹奏楽の演奏会らしいプログラムです。ついでリードの自作自演です。「『ハムレット』への音楽」というものをやりました。休憩をはさんで、プロのトランペット奏者である池田英三子さんをソリストとして、ハイドンのトランペット協奏曲をやりました。この曲は、この日のプログラムで最も「有名な」曲であり、もちろん本来は吹奏楽の曲ではなく、オーケストラ伴奏の曲です(オーケストラでなら私もやったことのある曲です。団員ソリストで)。リードの編曲でしょうか?この1996年という年は、この曲の作曲からちょうど200年という記念すべき年で(ハイドンのトランペット協奏曲は1796年の作曲)、それをプログラムに書く人はいないのか、と思いながら聴いたことを思い出します。いま思えば、それはリード氏も池田氏も気づかなかった点であり、団員の誰も気づかず、この演奏会が終わって25年が経過するいまでも、私しか気づいていない点だろうと思います。池田さんという人のその後の活躍は知りませんが、アマチュア吹奏楽団とはいえ、「リードの指揮で協奏曲の演奏経験あり」というのは池田さんにとってプラスの経歴になったと想像します。普通にモダンスタイルのいい演奏だったと記憶します。

 最後の曲は、またまたリードの自作自演です。「交響曲第5番『さくら』」というものでした。さっきの「ハムレット」が(プログラムによれば)1971年作曲・初演の曲であったのに対し、この「さくら」は、1995年の浜松での「世界吹奏楽会議」で初演されたもので、1996年当時、最新作であったことになります(吹奏楽の世界は、オーケストラの世界よりずっと、新作が歓迎される傾向にあります。作曲家にしてみたら、「吹奏楽」というジャンルは、きっとやりがいのあるものであろう…と勝手に想像してしまいます)。この曲は、第2楽章に、日本古謡の「さくら、さくら」が引用されます。さきほど、この曲をYouTubeで、25年ぶり2回目に聴きました。20分くらいの短い交響曲です。

 その、日本古謡の「さくら」を自作に用いる点や、そもそもこのような日本のアマチュア吹奏楽団を指揮しに来ることも含めて、リードは「日本が好きだった」ということが言えそうです。

 その、出演した友人から聞いた話を付け加えますね。リードはどういう練習をしたか。「音程をそろえましょう」「縦の線をそろえましょう」と言っていたらしいです。あるとき、私が行っていたあるアマチュア吹奏楽団の友人にこの話をしたら、めちゃくちゃにウケていました。「アルフレッド・リードほどの世界的大作曲家が、練習でなにを言うかと思えば、普通の指揮者と変わらないじゃないか!」というわけです。でも、そんなものなのでしょう。また、生で見るリードは、たいへん太っていました。練習中も「あのタプタプ」と陰口を言う仲間もいたそうです。

 最後に。リードの曲は、いわゆる前衛的なものではまったくなく、聴きやすい作風です。「さくら」は20分かかりますが、もっと短い曲(数分のもの)も多いです。いわゆる「いかにも吹奏楽だな」という作風です。というべきか、「リードみたいな作曲家が吹奏楽曲のイメージを作ってきた」といったほうが正確でしょう。伊福部昭の音楽が時代劇みたいなのではなく、伊福部昭みたいな作曲家が時代劇の音楽を作ってきた、というのが正確な言い方であるように、あるいはホルストの「惑星」が宇宙っぽいのではなく、のちの時代の映画音楽作曲家が宇宙の音楽を作るときに「惑星」の影響を受けている、という言い方が正確であるように…。

 以上で、アルフレッド・リードの思い出を終わります。お読みくださりありがとうございました。

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