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明るく楽しいクリスマス

 星野富弘さんの本に書いてありました。いま手元にないので記憶で書くことをおゆるしください。星野さんが大けがをして入院し、家族の人は星野さんにつきっきりになりました。星野さんの実家は農家です。畑が手薄になりました。その間、星野さんの家の畑は、周囲の農家の人がやってくれていたそうです。星野さんは、このようにして、「福祉」とか「ボランティア」とかいう言葉のあるずっと前から、村には助け合いの精神があったと書いておられました。これは、むしろ世の中に助け合いの精神がなくなってきたから、「福祉」とか「ボランティア」とかいう言葉をわざわざ作って言って行かなくてはならなくなったのではないか。

 高橋亜美さんという人がいます。アフターケア相談所「ゆずりは」の所長さんです。すごく有名です。テレビでも特集されています。とても簡単に言うと「人を助ける人」です。高橋さんが有名になって「こういう分野にも光が当たるようになってよかった」ということもできます。しかし、高橋さんのような人が有名にならざるを得ないほど、「人が人を助けることが当たり前でない」世の中であることもいえるかもしれません。もう少し人助けが当たり前であったなら、高橋さんはこんなに有名人にならなくてもよかったのかもしれない。

 私は発達障害(「自閉症スペクトラム」「注意欠如多動性症候群」)と精神障害(「統合失調症」)を持っています。発達障害は、落語に出てくる「バカむこどん」のようなもので、昔であれば「ちょっと変わった人だね」ということで笑ってすんだのかもしれませんが、いまは「障害」と言われて、障害者手帳を取得し、「合理的配慮」などということを言いつつ、生きなくてはなりません。これは、世の中が進歩したというより、退歩しているのではないか。

 教会で、クリスマスを待ち望む期間に、「明るく楽しいクリスマスが来ますように」と祈る人が多く、私はやや(いやかなり)違和感を持ちながらそのお祈りを聞いていた、ということがあります。実際には明るくも楽しくもないからです。仕事を休み始まったのが2020年5月12日で、休職中2回目のクリスマスとなりました。(※世間ではきょうでクリスマスは終わりですが、キリスト教ではきょうからしばらく、正月をまたいでクリスマスが続きます。)クリスマスは救い主(キリスト)の誕生を祝う期間ですが、神が救い主を世に送ったのもまた、困っている人がたくさんいるからではないか。その意味では「明るくも楽しくもない」からクリスマスが来るという言いかたが成立します。これから迎える年越しや正月もそうです。おめでたくないときにあえて「あけましておめでとう」と言うわけです。

 クリスマスや正月は、一般には明るく楽しい期間であるため、明るくも楽しくもない人にはかえって身に染みるさびしさとなります。教会では「孤独でさびしくて独りぼっちの人に、神様の恵みがありますように」と祈ります。でも、ほんとうは救い主(キリスト)は「友なき者の友となった」のです。「祈っているだけでなにもしない」のとは違った。主は「まぶねの中に産声をあげ」ました。それは私たちを救うためです。「福祉」とか「ボランティア」とか「障害者手帳」とかいう言葉のある前から、やはり人は困っていたのでしょう。救い主の誕生(クリスマス)がほんとうに喜ばしいものなのか、考えさせられます。

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