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十分の一税
キリスト教において、果たして「十分の一」は、献金か?それとも税か?
普通は「十分の一献金」と言います。ほんとうに(収入の)十分の一も献金しているかどうかは別として。
献金と税では、逆ですね。ささげるか、とられるか。
しかし、新共同訳聖書に、「十分の一税」という言葉が出てくる箇所が、(続編を除いて)1か所だけ、あります。アモス書4章4節。
聖書協会共同訳のパイロット版では、福音書においても、「十分の一税」が頻発していたのです。問い合わせました。2018年に刊行された聖書協会共同訳では、(続編を除いて)「十分の一税」という表現は、なくなりました。アモス4:4からも、消えました。私の意見が通ったということかどうかはしりませんけど。
ところで、今、消費税が、10%で、ちょうど、「十分の一税」なんですよね。
以上でした!
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