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天満敦子の思い出

 (これは、私がときどき書く、クラシック音楽オタク話です。おもしろいかどうかはわかりません。いまから25年も前の演奏会の思い出を、当時のプログラムを見ながら書くものです。そんなのでもよろしければお読みください。)

 私の大学オケの先輩がたがたくさん乗っている(参加している)あるハイレヴェルなアマチュアオケの演奏会で、ソリストとしてヴァイオリンの天満敦子(てんまあつこ)を聴いたのです。(前にも書いて恐縮ですが、アマオケのいいところのひとつは、有名ソリストが、かなりお手頃な価格で聴けてしまうことです。たとえば私はゲルト・ザイフェルトによるモーツァルトのホルン協奏曲第3番や、ヴォルフラム・クリストによるバルトークのヴィオラ協奏曲も聴いていますよ。ちなみに私自身は「協奏曲で有名ソリストと共演!」という経験はないですね。)

1996年8月24日。その日のプログラムは、バッハ=ウェーベルンの「リチェルカータ」、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番、ブラームスのヴァイオリン協奏曲、でした。つまり天満さんは、2曲、協奏曲をお弾きになったのでした。当時、個性的な演奏をすることで有名だった天満さんでしたが、プロコフィエフ、ブラームスとも、オーソドックスな名演奏でした。体は一定の姿勢を保ちながら、しかし、体をゆするように弾く天満さんの姿が印象的でした。アンコールはお得意の「望郷のバラード」を、オケ伴奏版で。ブラームスの第2楽章には長いオーボエのソロがあり、それが異様にうまかったことを覚えていますが、そのオーボエの先輩はのちにプロになり、いまはたしか国内のあるプロオケの首席奏者をなさっているはずです。

 さて、いっしょに聴いた友人で打楽器の者がいて、彼はヴァイオリンも弾けるらしかったですが、えらく天満敦子を気に入ったようで、1997年1月15日の「天満敦子 無伴奏ヴァイオリン・リサイタルもいっしょに聴くことになりました。つまり天満敦子ひとりだけのステージです。間宮芳生(まみやみちお)の無伴奏ヴァイオリン・ソナタ、バルトークの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ、テレマンの無伴奏ヴァイオリンのための12の幻想曲より第7番、バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番、でした。ヴァイオリンのレパートリーに詳しくない私は、わからないことも多かったですけど、最後のバッハは有名ですね。かの「シャコンヌ」が出てくるやつです。だからこの曲が最後だったのでしょうけど。前回の協奏曲の夕べより、こちらのほうがより個性的だった?アンコールは再び「望郷のバラード」を無伴奏で披露なさいました。このときのホールはやたら遠くてたいへんだった記憶がありますが(インターネットも携帯電話もない時代ですよ)、とにかく彼と待ち合わせて聴きました。これもいい思い出です。ちなみにこの2つの演奏会のあいだに、その打楽器の友人の出演する教会での本番があり、チャペルコンサートだろうと思って気安く「行くよ」と言ってしまったらそれは「音楽礼拝」であり、そんな知らない宗教の儀式だとわかっていたら行かないのですが、しようがないから行き、それで私はキリスト教と出会った、ということもありました。20歳、21歳の出来事です。

 そんな彼とも長く音信不通。天満敦子さんがいまどうなさっておられるか、調べてみましたが、ご存命のようでしたね。以上です!

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