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生涯でいまがいちばん幸せなのかもしれない

 私は新卒で16年勤めた私立中高を、あと数日で辞めさせられます。生まれて初めての無職です。私は46歳の既婚男性で、6年前の40歳の5月に発達障害の診断がくだりました。それゆえにできないことが多すぎて、叱責につぐ叱責でいまの学校を2年近く休職し、休職期間が満了するので退職になります。こうなるとは思っていなかった十数年前に買ったマンションがあり、多額のローンがあります。経済的には極めて厳しいです。しかし、最近、痛感することがあります。生涯でいまがいちばん幸せなのかもしれないと。なぜかというと、両親の洗脳からようやく脱しつつあるからです。

 発達障害とは持って生まれた脳のかたよりです。「生まれつきちょっと変わった人」だということです。それゆえに整理整頓が苦手で、電気のつけっぱなしや忘れ物、なくし物が多くて、担任や両親から「なさけ」のない厳しい叱責を毎日のように受けました。私が小学校に上がってからずっと受け続けたメッセージをひとことで言うと「お前はダメだ」でした。幼過ぎて反発することも知らなかった私は、ひたすら「自分はダメだ」と刷り込まれて育ちました。その結果、著しく自己肯定感の低い人間となり、のちに発達障害の二次障害(二次災害みたいなものです)である重い精神病になりました。そのころ私は博士課程の学生でした。現役で東大に行き、東大数理(数学の大学院)に行き、すぐれた修士論文を書いて博士課程へ進んだ直後の25歳のときに、重い精神病となり、博士論文を書く能力を奪われました。私は数学者(数学の研究で食う人)になれるだけの能力はありました。しかし、二次障害でなれなくなった私は、やむを得ず30歳のときに博士課程を単位取得退学して、ある見知らぬ土地の私立中高の数学の教員になりました。徹底的に向いていなかったです。学校の先生とは「人間力」の仕事であり、発達障害の私にはまったく向いていなかったのです。ダメ教員を11年やらされたのちに教員をやめさせられて事務員にさせられました。事務員はもっと向いていなくて、休職と配置換えを繰り返して今日に至り、まもなく無職になります。46歳、キャリアなしです。このように、すべては6歳ごろの両親の「なさけ」のない叱責が原因で、いまこんなに困っているのです。ですから、1年くらい前までは、両親への恨みばかりでした。しかし、つい最近は違ってきています。

 大きいのは妻子の存在です。本当の親の愛を知りました。愛することとはゆるすことです。就職と同時に結婚したので、もう16年いっしょにいますが、ここ数年で、お互いの理解が急速にすすみました。私は親からゆるされなかったので、愛を知りませんでしたが、「なさけ」のある妻、そしてその愛をいっぱいに受けて育っている子から、真の愛とはなにかを肌で学びました。また、いまの私には、親切な友達がいっぱいいます。毎日、親切な人からメールが届き、電話をし、また直接会います。46年かかって、私は、両親が言っていたことはすべて間違いであったことを認識しつつあります。私はありのままでよかったのだ。自分で自分を受け入れることが出来つつある。それは多くの人の善意に触れたからです。経済的には非常に困っていますが、数学者になれなかったことをずっと恨んでいた私は、実は今が生涯でいちばん幸せなのかもしれない。本気でそう思います。

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