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「消費者」として生きること

情報を収集するのは好きなので、noteを初めとするSNSを覗くことはしょっちゅうだし、podcastを聞きながら作業をすることも多い。「ながら作業」ができるのは、音声コンテンツの強みだよね、と実感する毎日である。

自分のアカウントにはちゃっかり鍵をかけているので、基本的には「覗くだけ」のスタイルを10年を超えて続けている結果になる。

誰もが「発信者」となれる世の中で、「消費者」として生きること、これはこれで手軽に非日常に触れる機会を得られるので、とっても便利だ。立場を享受している。

ただ、自分が何も「発信」していないかと言われると、そうではない。仕事の上ではメッセージを出すこともあるし、チームメンバーへの業務上の指示なども、見方を変えれば立派な「発信」だ。「発信するもの」と「発信する相手」を選択して行っている。これは、誰しもが自然に行っていることだと思う。

「発信」とは手段であり、その目的がなんなのか(金銭的利益、承認欲求etc.)は人によって異なる。僕の場合「発信」という手段は、あくまでも「タスクをこなしていくためのツール」の一つということだろう。

誰もが「発信者」となれる世の中だから、「発信すること」はポジティブなことだと受止められている。極論を言って炎上することだって、いわゆる「炎上マーケティング」としての手法に数えられている世の中だ。

その「発信」によって、何を変えたいのか?その目的意識を設定することが大事だと思う。例えば、オンラインサロンで学んだことはサロンの中だけで発信したって意味は薄いだろうし、Facebookで投稿して「いいね」を集めることも、否定はしないが、大きな声で叫ぶ独り言になっているかもしれない。

「批判」と「批難」は違う。アウトプットしたら、それに対してのカウンターが来ることは当然と受止めた方が良い。ここのさじ加減を間違えると、「判ってくれる人」の中で愚痴を言い続けるだけになってしまう。

それを否定はしない。本人がそれを理解しているか、ということだと思う。「なにがしたかったのか?」を忘れてしまうと、いつの間にか居心地のいいところに留まってしまうことになる。

これをサクッとまとめると、「コンフォートゾーンを出て、ラーニングゾーンに入りましょう」ということになる。ゾーンは自己を中心に同心円状で広がるとすれば、ラーニングゾーンはコンフォートゾーンに変化し、その外側に新たなラーニングゾーンが設定されるということになる、

自分のゾーンをどうやって広げていくか、を考えることが、意外とこれからやりやすい生き方なのかもね、という独り言

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