大抵、逆になっている。

いつの頃からか、 “知り合いが多いですね” “友達が多そうですね”みたいな事を、他人から言われる機会が増えた。

私が本当に友達が多いのか、知り合いが多いのか、全然分からないし正直興味が無い。ただ、自分以外の他者、つまり人には恵まれてきたと思うし、そのおかげで何とか今まで生きてこられたとも感じている。

“人脈”という言葉は、嫌いな言葉の一つで、自分からは決して使わないが、その理由は何かと考えてみると、その言葉の背後に見え隠れする “自分のために利用できるもの” “多いのを自慢するもの”といった世間一般のニュアンスが混じるのを嫌っているのだと思う。人は物ではない。

そもそもごく一般的に言われている、 “人脈は大事だ”というのは本当だろうか。おそらく正しいのだろう。正しいとは思うが、その言葉にほとんど意味は無い。例えるなら、 “空は青い”と言っているのとほとんど変わらない。

私は普段から、一般的に何となく共有されている正解と、この世の真理は大抵の場合逆になっていると感じている。仮に私が、友達が多いとする。それは、友達を増やすのを “目的”として〇〇パーティーや、△△勉強会や、××セミナーみたいなものに参加した訳では全くなく、あくまで世界に興味を向け、自分の人生を探求してきた中で事後的に獲得した “結果”にすぎない。なぜだか、そこを逆に語られることが多いのは不思議でしょうがない。

“自分に対する絶望感”や “自分には何も無い”といった感覚を10代、20代で嫌というほど認識できた私はラッキーだったのかも知れない。中学生頃までは、自分の努力で何かが出来ると信じているような人間だったが、それは単純に “井の中の蛙”だっただけの話だ。なまじ、中途半端に色んなことが出来てしまう私のような人間ほど、そういった罠に嵌まりやすい。

井の中の蛙、が自分の姿をしっかりと認識するためには、大海に出ていかないといけない。私は今後も、 “自分に対する絶望感”を感じ続けられるような環境に身を置き続ける事を選択していくだろう。出来れば死ぬまでそうしたい。絶望の先にしか本当の希望は来ないと思っている。

ここまでつらつらと書き連ねてきて、他人の文章を読むように自分の書いた文章を読んでみた。こいつ、友達少なそうだなー、と思う。

#エッセイ #バーテンダー #店主 #孤独であること

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