心理学やってますって言ったら「じゃあ私の心読んでみて♡」と言う女

更新することに息切れを感じているが、まぁ2日おきでも偉いと思って書く。

この前、友人Yのツイッターでこんなツイートを見た。
無許可で引用することを今回は見逃してほしい。
「飲み物お伺いしますに対して「チーズフォンデュ♡」って返す女多すぎ問題、幼稚園児からやり直すかここでチーズフォンデュ30秒で飲み干せ」

このツイートを見た瞬間、ただ一言「最高かよ」という感想が思わずこぼれ出た。面白すぎる。このツイートには僕のあらゆるツイートも勝てない。

まず、何が面白いってその罵倒のセンスだ。僕は、やむを得ず悪口や愚痴を言う際でも、できるだけ面白く言いたいという信条を持っている。
しかし、ここまで面白い罵倒は思いつかない。「チーズフォンデュ30秒で飲み干せ」という言葉には正直脱帽するしかない。罵倒と脱帽と脱毛で韻を踏める。
「飲み物お伺いしますに対して「チーズフォンデュ♡」って返す女」の溢れ出るパワーワード感もすごい。ここまで最高の「ステレオタイプフォトジェニック女」を指し示せるワードがあるだろうか(いやない)。

さて、本題に入る。「心理学をやってます」と言うと、本当に時々「じゃあ私の心読んでみて♡」という女がいる(もちろん男にそういう人が今までいなかっただけで、別にここで女である必要はないのだが便宜上女ということにしてておく)。

大人げない話かもしれないが、こういうときなぜか僕は無性に腹立たしい気持ちにさせられてしまう。「それがわかんねーから心理学やってんだろうが!」という思いが沸々と湧き上がってくる。

でもそんな時、思いが湧き上がるだけで、その怒りに身を任せることもできず、「え~「おかのこと好き」とか?」とはぐらかしてしまう。
申し訳ない。見栄を張ってしまったがそれすらも嘘だ。
「あっ…ぶっ……えっと……うっ…わかんないよ…」というのが精々だ。そんな粋なことを言えるくらいなら、こんなネット上のチラシの裏みたいなところに記事を書かない。

そういう時、心の中で言うだけでもいいので何か面白い罵倒を思いつきたいと常々思っている。しかし、「心読んでみて♡」に対する罵倒は本当に思いつかないのだ。

先ほどの友人Yの言葉を借りるとすれば「幼稚園児からやり直すかここで俺の心を読み切れ」と言い換えることができるのだろうが、やっぱりなにか違う。
結局人の言葉を借りてきただけで、そこには何か、虚無さというかこれじゃない感が残る。

僕個人が持つボキャブラリーというか、罵倒センスの問題は間違いなくあるし、というかそもそも別に怒りを感じずに、「この子はしょうもないことを聞くもんだ」と聞き流せばいいだけの話なのだ。

しかしこんな自分にも譲れないところがある。「じゃあ私の心読んでみて♡」女との戦いはおそらく人生をかけたものとなるだろう。

しかし、この記事を書いている間も、河合隼雄が言ったとされる一言が僕の中に響く。
「心理学をやっていますというと、間違いなく「じゃあ心を読めるのか」という問いをされます。そんな時僕はいっつも「人間の心はわからないもの」ということを一番わかっているのが心理士だと返すことにしています」。

……かっこよすぎる。「あっ…ぶっ……えっと……うっ…わかんないよ…」とはえらい違いだ。

#エッセイ #cakesコンテスト

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