amazarashiの「名前」という曲に対人援助のエッセンスが詰め込まれている

https://www.youtube.com/watch?v=xFJfDigOo0g
amazarashi 『名前』Short Version

どうも、こんにちは。おかです。今日は真面目な記事……かもしれない。
ただ、対人援助に関わる人には「あたりまえ」と思われそうだけど、実際に行うのは非常に難しいエッセンスについて自己満足的に語っていきたい。

何度も記事の中で引用しているように僕はamazarashiというバンドが大好きで、自分の人生に結構影響を与えているようなバンドなのだが、今回はその中の「名前」という曲に注目する。

芸がないかもしれないが、歌詞のすべてを引用させていただきたい。
ちなみにこの歌詞はYoutubeの曲詳細部分に書かれており、決して著作権上も(おそらく)違反していないことを一応断っておく。
ただし、後でまた重要な部分だけ抽出して話を進めていくので、基本的には読み飛ばしていただいても構わない。

君の名前はなんだっけ? ふと思い出せなくなって
言葉に詰まって噴き出した ヘラヘラ笑ってごめんな
人は一人で生きてけない それは確かに間違いじゃない
必ずどっかに属していて 家族 学校 社会とか
君の名札に書いてある もしくは名刺に書いてある
もしくはカルテにかいてある ひそひそ影で呼ばれてる
肩書き 陰口 あだ名とか 全くもって僕は嫌い
ひとまず話しをしようか それで全部分かるさ
嘘つき 理想家 夢想家 鬱病 右か左か
僕らただ生きてるだけで 名前だけ入れ替えられて
社会性不安障害 ギターロック JPOP フォーク
何だっていいだろ 僕の話しをまずは聞いてくれよ
僕が小学生の時は “調子いい奴”と呼ばれたよ
人の顔色うかがって 人によって態度を変えて
音楽を始めてからは “バンドマン”と呼ばれたけど
高校卒業した途端 “フリーター”ってどうなのさ
僕自身はガキのまま 何にも変わってないけれど
時と場合と状況によって 名前は変わるらしい
だからそんな落ち込まないで 僕は君を知ってるから
「誰だお前は」と言われたって お前が先に名乗れよ
債務者 クズにろくでなし 無職に 自殺志願者
僕らただ生きてるだけで 名前だけ入れ替えられて
無神経 保守派 革新派 不登校 中卒 高卒
何だっていいだろ 君の話しをまずは聞かせてくれよ
時には大げさな看板を背負わされて 
時にはいわれない不名誉を着せられて
君のこれまでをいっぺんに語る事が出来る 
名前なんてそうそうないよな 
だから
どんな風に呼ばれようと 好きにやるべきだと思うよ
君を語る名前が何であろうと 君の行動一つ程には雄弁じゃない
ゴロツキ 被害者 加害者 負け犬 傍観者 容疑者
僕らただ生きてるだけで 名前だけ入れ替えられて
愉快犯 情緒不安定 ホームレス 日雇い労働者
何だっていいだろ 君のやるべき事をやり遂げてくれよ
君の名前はなんだっけ? ふと思い出せなくなって
ちなみに最近の僕はよく “皮肉屋”って言われるよ

もしかしたら読み飛ばした方が多いかもしれないが、僕としても歌詞を眺めるより曲を聴いていただきたい。ただ、曲はもちろんとても良いが、この歌詞の中に対人援助に関わる人が本当に大事にしなければならないエッセンスが多分に含まれていると思う。

君の名札に書いてある もしくは名刺に書いてある
もしくはカルテにかいてある ひそひそ影で呼ばれてる
肩書き 陰口 あだ名とか 全くもって僕は嫌い
ひとまず話しをしようか それで全部分かるさ

まずはここだ。特に医療者的には「カルテにかいてある」という部分になるのかもしれないが、心理職も含めて確かに「カルテにかいてある」情報をもとに治療を行うことが非常に多い。ただし、それはこの曲で言われているように「名前」でしかないのだ。そして、それに対して「ひとまず話しをしようか それで全部わかるさ」と返している。

嘘つき 理想家 夢想家 鬱病 右か左か
僕らただ生きてるだけで 名前だけ入れ替えられて
社会性不安障害 ギターロック JPOP フォーク
何だっていいだろ 僕の話しをまずは聞いてくれよ

もう少し話を続けなければわかりにくいかもしれない。

ここでも、「鬱病」「社交性不安障害」と僕ら心理屋としては気になるワードが並べられた後、それに対してまた、「名前だけ入れ替えられて」とし、「何だっていいだろ 僕の話しをまずは聞いてくれよ」と憤っている。

君のこれまでをいっぺんに語る事が出来る 
名前なんてそうそうないよな 
だから
どんな風に呼ばれようと 好きにやるべきだと思うよ
君を語る名前が何であろうと 君の行動一つ程には雄弁じゃない

そして、極めつけはここだ。「君を語る名前が何であろうと 君の行動一つ程には雄弁じゃない」。この歌がもっとも言いたいのはここなのではないかと思う。

少し話が冗長になってきてしまったが、たとえば医者は「大うつ病性障害」「バイポーラー」「自閉スペクトラム症」と「名前」をつけることで診断し、薬を処方したり、社会資源を使いやすくしたりというのが仕事だ。

ソーシャルワーカーも同様に、名前というレベルではないかもしれないが、やはり「ホームレス」「困窮家庭」という「名前」を基に支援を行っていく。

また僕たち心理屋も、もちろん例外ではない。医者によってつけられた精神医学の名前はもちろん、「自己愛」「防衛」「母子分離の不全」「愛着障害」「不登校傾向」と「名前」を基に支援を行っていく。

しかし、これら対人援助職全員が忘れてはいけないことは、「君のこれまでをいっぺんに語る事が出来る 名前なんてそうそうないよな」ということではないかと思う。

僕らはどうしても、一つの枠に当てはめて考えてしまいがちだ。そしてそれが有用なことのほうが本当に多い。しかし、たとえばAさんがうつ病であったとしても、それは”A is depression”となるわけではない。あくまで、”A with depression”なのだ。なんなら、withですらないかもしれない。

似たような話としてアスペルガー「障害」の話がある。それはあくまで定型発達の人と比べたら「障害」となるのであって、定型発達を目指そうと思えば障害になる。しかし、全員がアスペルガー障害であれば、それは障害ではなく、「差異」でしかなくなるのだ。

これは、医療人類学者のアーサー=クラインマンが言っていることと全く同じことだろう。クラインマンが言うように、対人援助職者は「名前ベースの援助」を行うのではなく、「人ベースの援助」を行っていく必要がある。

「名前」は確かに便利だ。そして「名前」をつけることこそ人を救うことができる。しかし、一方で、「名前」をつけることによって尊厳を阻害されてしまうかもしれない。僕らはあくまで「僕」であって、「うつ病」「ADHD」「後天性免疫不全症候群」など、所詮後からつけられた名前でしかないのだ。

まずは「名前」ではなく「その人」を見る必要がある。しかし、それは言うは易く行うは難しの典型例である。
ただ、このamazarashiの「名前」という曲は、人として、上述したようなことを根源から訴えてくるものがある曲であり、僕がだらだらと稚拙な日本語を並べて述べても本当に理解しにくいことを、たった数百小節で、心に直接訴えかけてくるほどに表現してしまっているのだ。

真面目なことを語ってきたように思うが、僕が言いたいことが結局ぶれてしまった。要は、「amazarashiの「名前」って曲聞けばそこに対人援助職のエッセンスがある、四の五の言わず聞いてほしい」ということだ。というかamazarashiを聞いてほしい。

amazarashiは、「名前」という文化にちょくちょく警鐘を鳴らしているように思う。思えば、「ジュブナイル」という曲でも

僕らに変な名前を 付けたがるのはいつも部外者
君が君で居られる理由が 失くしちゃいけない 唯一存在意義なんだ
ここに讃えよ愚かなジュブナイル 最後の最後に 笑えたらそれでいいんだよ
物語は始まったばかりだ

と歌っている。「名前」に振り回されるなよというメッセージが伝わってくる。

これは僕自身にも必要なことなのかもしれないが、「どんな風に呼ばれようと 好きにやるべきだと思うよ 君を語る名前が何であろうと 君の行動一つ程には雄弁じゃない」ということもまた、覚えておいてほしいと思う。

僕らがなんだかんだと「自己愛の問題」「不安症」などと名前をつけることも、所詮「名前」でしかなくあなたを1ミリほども表現できていない。

ただ……たくさん歌詞を引用してしまったからまた僕は「ポエミー」「中二病」となじられるかもしれない。怖いので絶対にやめてほしい。

たくさん偉そうなことを言ってしまったが結局、そんな僕も「名前」をつけられるのは怖いんだなぁと思うし、結局は「名前」をつけられることを怖がらないというのが一つの本当の勇気の形なのかもしれないと思うのだ。

(以下、興味がある方は参考にしてほしい著書たち。(なにいってんだこいつ)ってなったけど、それでも何言ってるかわかりたいという物好きな方は読んでみてもいいかも)

・病いの語り—慢性の病いをめぐる臨床人類学 | アーサー クラインマン
・アスペルガー症候群への解決志向アプローチ—利用者の自己決定を援助する る|V.ブリス;G.エドモンズ
・寝ながら学べる構造主義|内田樹
・あなたへの社会構成主義|ケネス・J. ガーゲン

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