おもろいこと書こうとするとおもんなくなるアレ
真顔日記
「スタバでaikoを聴いていたら隣にaiko的世界が生まれていた」http://diary.uedakeita.net/entry/2016/12/13/051753
こうツイッターとかでもそうだが、おもろいことを書いたり言おうとすると突然おもんなくなるのはなんなのだろうか。
突然だが、皆さんは上のブログをご存知だろうか。
「真顔日記」という、上田啓太さんという方が書いているブログだ。
僕の中には、上田啓太さんへの憧れが隠し切れないほどある。
このnoteの文体も自然と真似している部分があってもおかしくはない。
「憧れは理解からもっとも遠い感情だよ」、とどこかの隊長格に言われそうだが、どうしようもない。
まずタイトルが面白い。ずるい。
「スタバでaikoを聴いていたら隣にaiko的世界が生まれていた」
なんてずるくない?僕はこのタイトルだけで飯が3杯は食える。
内容もさらにずるい。いや特に書いている内容自体は本当に大したことないのだが、その書き方がずるい。面白すぎるといっても過言ではない。
内容については是非読んでほしい。少なくとも僕程度の文才ではこの面白さは一切表現できない。
こうやっぱり日常をただ語る中に非日常的な表現を織り交ぜるのが無茶苦茶うまいんだろう。
僕ら人間はなぜか非日常とかファンタジーに異常に魅かれる要素があるようだから、そこに訴えかけてくるものがあるのではないか(自分でも何を言っているのかわからない)。
話を戻すと、僕もこの人と同じくらい面白い文章を書きたいと常々思っているのだが、やっぱりおもろいこと書こうとするとおもんなくなるアレなのだ。
今「おもろいこと書こうとするとおもんなくなるアレ」という記事のタイトルでおもろいことを書こうとしておもんなくなるアレに陥っていて、なんだかもはや、ハイな気分になっている。
皆さんも絶対に経験したことはあるはずだ、おもろいこと書こうとするとおもんなくなるアレは。
ツイッターでも”これはおもろい!”と思ってツイートを編集する中で(やっぱりおもんないかも…?)と疑心暗鬼になってくる。
それで呟いたとしてもやはりふぁぼ(僕は”いいね”という表現は絶対に認めない)をあまり稼げない。
何気ないつぶやきのほうが逆にふぁぼを稼げる。
この現象に名前をつけたいと思って調べても答えは見つからない。
結局「おもろいこと書こうとするとおもんなくなるアレ」という現象はなぜ生まれるのだろうか。
とりあえず一つだけ言えることは、この記事のオチを作ろうとして一生懸命考えているのだが何を書いてもおもろくならない。なんなんほんまこれ。
結局おもんないままこの記事は終わるんだろうけど、多分人生ってそんな感じで進んで、そんな感じで終わっていくんだろうなと思った。
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