食べ物への誉め言葉に「くそみたいに」とつけてしまう言語感覚

このnote、想像以上に多くの人に読まれているんですかね。
「宣言通り毎日更新しろ」と怒られました。びっくり。

あとその読んでくださっている方から日本語のご指摘がありました。
僕、よくnote中で「数奇な人」と言っているんですが、どうやら「奇特な人」が正しいらしいです。日本語の間違いは本当に恥ずかしいので他にもあったらこっそり教えてください。

さて、今回はそんな日本語の話になる。といってもタイトル通りだ。
僕はよく、良い意味で「くそみたいに」という表現を用いてしまう。

この前も部屋で友人と話していた際に「くそみたいにうまかった」と言ったところ、友人に「ん?」「食べ物の誉め言葉にくそみたいにはおかしくない?」と指摘されてしまった。

確かに、食べ物の誉め言葉で、「くそみたいに」はいささかおかしな話だ。だって食べ物なんだからクソではない。そしておそらくクソはあまりおいしくはない。
と思ったが、一部の方でその味が好きな方もいるのでその議論はここでは行わないでおこう。

しかし、上述した「数奇」や「くそみたいに」のように、自分の言語感覚はどこかおかしなところにあるらしいということにこの齢になって気づく(数奇は間違えてただけかもしれないが)。

先日も同じような事例があった。ある飲み会中とある男性を膝枕していた際、僕はなんともいえない顔をしていた。すると先輩に「満更でもない顔してるな」と言われたので「いや、むしろ満更です」と言い返した。
すると先輩方が「満更なんて言葉あるの?」と言ってきた。

調べたところ”満更”は必ず否定形を伴って使うらしく、基本は”満更でもない”という用法で使われるようだった。……なんてことだ。

ただ僕は、「世界は僕を中心に回っている」と思っている節が1割くらいあるため、(”全然~ない”の全然が単体で使われ始めたように、僕が満更という言葉を使いまくればいつかそれが辞書に載るはずだ!)と声高に叫びたがったのだが、残りの9割の僕が必死になって抑えてくれた。結局言った。

どうやらこんな言葉の使い方をする人はあんまりいないらしい。これは僕が特別だとかそんなことを言いたいわけではないのだが、逆に僕はこの言葉の使い方をどこから輸入してきたのだろうか。

と思ったけど、最近流行っているマジ卍よりはましな気がしてきた。記号やん。

マジ卍の意味を調べていると「意味はない」「とにかくやばいことに使う」など好き勝手だ。こんな言葉が許されて僕の「満更」が許されな……ん…?

満更⇒MANNZARA⇒(Nは横にするとZである)MAZNZARA⇒なんやかんやある⇒マジ卍

やはり僕は時代を先取っており、世界は僕を中心に回っている。

#エッセイ #cakesコンテスト

サポートいただけたら今後の執筆活動・研究活動に使用させていただきます。