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明日、彼女が踏みだす世界は何色なのか

 
 
登場人物
 
夏川環(17)芸名は市川環。大衆演劇の劇団・帝座の座長、市川章太郎の長男。次期座長。
木崎優(17)環の地元、静岡高校の同級生で元彼女。病気で横浜の病院に入院中。
 
市川章太郎(42)帝座の座長。
 
弥生竜二(18)帝座の座員。環や美咲と同郷。竜二と環は同じ学校に通っていた。
 
市川美咲(16)環の妹。
 
木崎直子(43)優の母。横浜の病院で優の付き添いをしている。
 
男友達(17) 地元高校の同級生。



 俺は大衆演劇が嫌いだ。
 実際にはその環境と云っていいだろう。
 大衆演劇は歌舞伎から発生した亜流の演劇で時代劇を主した公演をする。昔は杉○太郎や梅△○夫が大衆演劇から登場し、今は早△女○一が有名だか、それでも大衆演劇自体今でもマイナーな演劇だ。
 俺は夏川環。芸名は市川環。帝座の座長市川章太郎の長男だ。幼い頃に顔が細面なので座長から女形を強制的に仕込まれた。故にそこに自分の意思はない。中学になると次は男の芝居を仕込まれた。そして中三の夏に俺が次期座長だと告げられて、高校には行かず以後はみっちり修行して、二十歳の誕生日に跡目を継ぐように座長に云われた。その言葉を無視して高校に進学すると、親父、いや座長は激怒して俺を殴った。
 
「雲は天井の股旅烏。俺は地上の股旅烏。一天地六の賽の目を睨んで暮らすヤクザでも、意地と度胸には負けねえが義理と人情にはつい泣かされる。軒にその日の宿を借り、流れる雲を見上げながら、皆々様の幸せを神かけ念じておりますぜ」
 
 これは風天の空と云う人情芝居の幕切れのセリフだ。全てのしがらみを捨て新天地に旅立つ主人公が最後に口にしてキッパる。析頭(一の析)が鳴り軽快な音楽がIN。それに合わせて旅人姿の俺は花道を去っていく。たまきッと云うハンチョウ。歓声&拍手。析頭のキザミが入り幕が閉まる。芝居じゃ生まれ育った環境を簡単に捨てて颯爽と去っていくが現実では難しい。
 大衆演劇では舞踊ショーで個人舞踊を踊るとお客がお花をつける。ここで云うお花とはお札の事だ。この業界、給料はほんの小遣い程度だが、必須アイテムのカツラと衣装は個人持ちというシビアな世界。なのでお花はなくてはならない。そして何となくこの稼ぎが役者の優越を決めている。これが俺の物心がついた時からの日常で、もし座長を継げばこれが死ぬまで続く。
 
─嫌だ─
 
 最初は外に対する憧れだった。でも次期座長だと云う未来を実感したとき、俺の中の何かが跳ね返った。
 
─これがやりたい訳じゃない─
 
 そう思いながら踊っていると、大衆演劇では滅多にお目にかかれない制服姿の女子高生を客席で見かけた。地味な色合いだけど懐かしいその姿が胸を鷲掴みした。
 
「え……嘘。客席に優がいる」
 
 「お疲れ様でした」の声が飛び交う公演終了後の楽屋で、お花の額を数えている同期の弥生竜二に、客席にいた優の事を訪ねた。
 
「え、優って元カノの?」
「ああ」
「お前たちって何年も前に別れたんだろ。見間違いじゃないのか」
「別れたというか自然消滅……いや、客席の後ろに立ってた。地元の制服着てたから間違いない」
「俺は見てないな。なあ美咲、今日の公演中に地元の制服を来た女子高生を見たか」
「見てない。地元の子が観劇に来てたの?誰?」
「むかし環が付き合っていた優ちゃん」
「ああ、あの子か。うーん、分からなかった。今はコロナで送り出しがないから確認できないしね」
 
 竜二も妹の美咲も優を見てなかった。他の座員にも尋ねたが、誰一人優を目撃した者はいない。俺の見間違いか……。
 ところが次の日もその次の日も優は観劇にきた。もう見間違いはないはずだが、それでも優を目撃したのは俺だけだった。
 
「にいさん、それってヤバくない」
「どういう事だよ」
「幽霊だとか……」
「勝手に殺すな」
「でも、優さんって身体弱かったじゃない。もしかして……」
「待てよ。俺の勘違いとか。似た人をを見たって事もあるだろう」
「それはありうるかもだけど。ねえ、電話して確かめてみたら」
 
 元彼女の姿が俺にだけ見えているなんてこれは何かあるんじゃないか。現実味のない不安がチクリと背を刺したとき、着替え終えた座長が日課の小言を吐き出しに俺の前にやって来た。これ結構気が滅入る。
 
「お前さ、最近客に対する態度がよくないぞ。顔に出てるんだよ、顔に。俺たちはお客さんあっての商売だ。そんな事じゃ俺の跡目はだな……」
「俺、やっぱり次期座長なんですか」
「当たり前だ。お前が継がなきゃ誰が継ぐんだ。今のご時勢、座長の倅が十代や二十代前半で代がわりしなきゃ客が呼べないだろう」
「俺じゃなくてもいいと思うけど。若くて出きる奴なら竜二や美咲が」
「ちょっと、わたしは無理だって」
「お前は役者に専念したいから高校行かなかったじゃないか。なら女座長を目指すのはアリだと思う」
「でも……」
 
 美咲はチラリと座長を見た。そろそろキレ
るタイミングだと思ったのだろう。
 
「環。お前は劇団を辞めたいと洩らした事があるらしいな」
「え、誰がそんな事を?」
「誰でもいい。どうしても辞めたきゃ辞めてもいいが、戻ってきても元通りはない。竜二は亡くなった友人から預かった大事な子供で今は俺の倅同然だ。竜二はこの世界でやっていくと決心している。それに美咲の事もある。だから出戻ったらお前は平座員だ。他の座はどうだから知らないが、これは帝座の方針だ」
「ええと、はい……」
「いい加減腹を括れ。お前は旅役者の家に生まれたんだ。俺だって先代から座長を任されたときは不安だったが、努力して苦労を重ねて劇団を引っ張ってきた。お前は苦労がまるで足らない。もっと頑張るんだ」
 
 ここで曖昧な態度をとれば座長はキレる。でも座長、俺は納得がいきません。
 
「外の空気を吸ってきます」
 
 怒られるのはゴメンなので、ここは一番逃げる事にした。飛んできた怒号を背中で流し楽屋の非常階段から外に出ると、車や信号機の音を含んだ夜の気配が身体を包んだ。中と外では空気が違っていて、これがホっとさせてくれる。振り返ると、声をかけ辛そうな顔をして美咲が立っていた。
 
「なんか悪い。お前を引き合いにして」
「あやまる事なんてないから」
「俺たち物心ついた時から生活の殆どが劇団中心に回ってるよな。これからもそれが続くのかと思うと……」
「座長は必死なんだよ。跡継ぎがなくて潰れた劇団はそれなりにあるから」
「分かってる。でも……」
「でも納得してない」
 
 近くでクラクションが聞こえて顔を上げると、ナウシカに出てきたオームの攻撃色のような赤い光りを散りばめたビル郡の間に観覧車が見えていた。どこか現実味を欠いた景色だと思いながら、暫しの間ぼんやり眺めていた。
 
「変な事言っていいか?。俺はお菓子の家から出たいと思ってる」
「……なにそれ?」
「俺たちはお菓子の家に住む住人だって気がする。ここにいる限り何とかなるからその知識だけを持っていればいい。それで一生それなりに安泰。でもこれって、どうなんだろうって」
「なにその比喩。面白い」
「俺さ、自分が何をやりたいかよく分かってないんだ。だから外に飛び出してそれを見つけたい。でも劇団をやめて一人で何ができるのか。無理じゃないかって気がしてる」
「そんなふうに思っていたんだ。ちょっと以外だったな」
「悩んでいることがか」
「マジ話した事。兄弟でも本音トークってしないじゃん。親や友達でも言えない自分の本心をわたしに溢すなんて本気で悩んでいるんだなって思ったの。だったらわたしも本音を話す。わたしは兄さんとずっと劇団やって行きたい。だからやめてほしくない」
「心配するな。今は麻疹みたいなもので、多分続けてるよ」
 
 お菓子の家を飛び出したその先の世界は、厳しい現実が満ちた色のない風景が広がっている。そんな気がして、どうしょうもなく心が萎えた。
 
 次の日、気になっていた優の事を訪ねるため、俺は地元の友達に電話した。
 
「木崎優か。お前が去年転校した後に体調が悪くなって入院したぞ。それっきり学校には戻ってない。たしか横浜の病院に転院したって聞いたな」
「横浜の……。病院名は分かるか」
「ええと、なんて病院だったかな。横浜……うん、たしか横浜南総合病院」
 
 翌日の午前、俺はその病院に優の見舞いへ行った。受付から面会謝絶だと聞かされ驚いたが、地元の友達だと伝えると少し待つように云われた。……それにしても面会謝絶って……。ロビーで暫く待っていると優の母親が現れた。入院する優の付き添いをしているのだろう。
 
「あら、環君じゃない」
「お久しぶりです。友達から優さんが入院したと聞いてお見舞いに。いま横浜の演芸場に乗ってます」
「そうなの。でも驚いたわ」
「すみません。連絡もせずに突然来ちゃいましたから。それで優さんの様態は?」
「せっかく来てくれたんだから会わせてあげたいけど、優は集中治療室に入っているの。今は薬で眠っているわ。時々覚醒するんだけど、そのときは夢うつつみたいでね。だから……」
「それじゃ優さんが外出するなんて有り得ないですよね」
「もちろんよ。あ、そうだ。昨日目が覚めた時、演芸場で環君の公演を観劇したって言うのよ。よほど見たかったのかしらね」
 
─マジか─
 
「話せなくていいので会わせていただけませんか。お願いします」
「そうね……少しだけなら」
 
 案内されて入った集中治療室のベットに優は寝ていた。心電図の電極とチューブに繋がれ、酸素マスクをつけて。
 
「優、同級生の環君がお見舞いに来てくれたわよ」
「え、優さんが薄目を開た。彼女は今起きているんですか」
「いいえ。話しかけると反応する事があるんだけど、本人には自覚がないそうよ」
 
 改めて見ると優は可愛そうなほど痩せていた。こんな状態で出歩けるわけがない。でも俺は確かに見た。なら考えられることは、これは中二病的発想たが、魂が抜け出て演芸場にやってきたとしか思えない。確かめるべきだ。
 
「明日演芸場に来ないか。待ってるから」
 
 俺は優の耳元でそう呟いた。
 
 翌日、俺は演芸場の入口で優を待った。今日は月に一度の休みの日で客は来ないし座員たちも出かけていない。だから誰にも邪魔をされずに話ができる。でも優は来るだろうか? もしかして俺は、馬鹿な妄想に飛びついただけじゃないのか。
 
「環くん」
 
 顔を上げると、いつの間にか目の前に優が立っていた。当たり前のような顔をして、懐かしい笑顔を称えていた。集中治療室で見た悲惨な面影は微塵も感じなかった。
 
「来てくれたんだ」
「うん。でも今日お芝居休みなんだ」
「月に一回ある、役者にとっては貴重な休みの日。ブラックだと思わないか。一ヶ月に一日しか休みがないなんて」
「気の毒。でも好きで役者をしているんでしょう」
「残念ながら違う。ほぼ強制」
「え、そうなんだ」
「ああ。なあ優、俺に話したい事があるんだろう。とにかく入れよ。今日は誰もいないから水入らずってやつ」
「いい方古くない」
「大衆演劇の役者ってこんなもん」
 
 俺は演芸場に優を招き入れた。そして薄暗いロビーのソファーに二人で腰掛けた。
 
「聞いていいか。今の状態って自覚あるの」
「あるよ。最初は夢だと思っていた。でも耳元で待ってるって言われてここに来れたから、ああそう言う事かって納得した。わたし、身体を置いて来ちゃってるんだね」
「簡単にいうけど、これって凄い芸だと思うぞ」
「もう。芸って言い方は勘弁してよ」
「ああ悪い」
「少し前に看護婦さんから大衆演劇の劇場が近くにあるって聞いてね。今はどの劇団が乗ってるんですかって訪ねたら、環君ところの劇団だったから驚いた。それで久しぶりに会いたいな、会って話がしたいって思っていたら、こんな感じになっちゃった。なんだかキモイね」
「そんな事ないさ。奇跡みたいなモノだけど、とにかく話せて嬉しい」
「わたしも」
「以前はゴメンな。仕事で地元を離れるしかなくて、ろくに話もせず別れた形になった。それ卑怯な気がして後悔してたんだ」
「わたしはお別れの言葉が聞きたくなくて顔を合わせないようにしてた。だからお互い様。それでさ環くん、聞いてほしいのは、わたしの病気の事なんだ」
「ずいぶん悪いみたいだな」
「このままだと、あと五年しか生きられないって言われた」
「え……」
「手術を受ければ助かる見込みはあるけど、とても難しくて成功率は低いらしいの。それに手術が成功しても元通りの生活ができる保障はないって、お医者さんが……」
「そんな……」
「わたしの両親は手術を拒んだ。助かるかどうか分からない手術をどうしても選べなかったみたい」
「気持ちはわかるな。それにこの先、新しい治療法ができるかもしれない」
「でもわたしは手術を選んだ」
「ど、どうして?」
「あと五年で死ぬならそれが私の人生のすべてなのに、病気という殻に閉じ込められて終えるなんて有り得ない。だから可能性に賭ける事にした」
「そうなんだ……」
「でもね、怖いの。死んじゃうかもしれないし、成功しても元通りの生活に戻れないかもしれない。考えると怖くて震えてくるし涙が止まらない。どうしょうもなく心細いの」
「それを両親に話したか?」
「言えるわけないよ。自分から手術を受けるって云ったんだから、これ以上心配かけたくない。でもね誰かに聞いてほしかった」
「で、俺を頼ったのか」
「うん。それで三日後手術なんだ」
「三日後。すぐじゃんか」
「だからかな。ただベットで寝てるだけなのに、不安が一杯で……」
 
 優が抱きついてきた。魂だけのハズなのにその華奢な身体は温かかった。
 
「お願い。少しだけ勇気をください」
 
 俺には震える肩を抱きしめる事しか出来なかった。とにかく頑張れは、この場合駄目な回答だろう。何とかしてあげたい気持ちは空回りするばかりだった。
 
「ゴメン。別れたのにこんな重い話をして」
「なあ聞きたい事がある。怖いって云ってるけれど、それって手術を受けると決断する前から怖かったんじゃないのか。なのに受けるって決めたのか」
「うん」
「自分で自分の背を押したのか」
「そうだよ。怖いけど進みたいの」
 
 優の肩がまだ少し震えていた。不確かなモノしか持ち合わせてない彼女が、自らの意思で踏みだす世界は何色なのか。ただ黒く塗り潰されているだけなら、それは恐怖しかない。でも顔を上げて「怖いけど進みたい」と云った彼女の声は凛としていた。
 俺はこの時、優に対して今までにない感情がわいた。尊敬や憧れ嫉妬が入り混じり、同時に恥ずかしさと情けなさが胸を刺した。
 ……そういう事か。踏み出した先が何色なんて考えても仕方ない。大事なのは自分で決めて覚悟する。そして口にする事だ。
 
─改めて、俺はコイツが好きだ。
 
「優は凄いな」
「そんな事ない」
「手術の怖さは俺にはどうする事もできないけれど、術後なら手伝えるかもしれない」
「どういうこと」
「今後は俺が傍にいてお前の力になる。かわりに俺の本音を聞いてくれ。俺も色々と悩んでいるんだ。でも優に比べたら大した事ないけれど」
「本当に……」
「約束する」
 
 そうして俺たちは一旦別れた。
 
「……だから劇団をやめるだとッ」
「はい」
「冷静になれ。未成年が一人でどうするつもりだ」
「地元に家はあります。帰ってもとの高校生に戻る。そこから始めつもりです」
「二十歳になってからもう一度考えればいい。それがお前のためだ」
「今じゃなきゃ駄目なんだ」
 
 覚悟を決めて自分の気持ちを話したが分かってもらえなかった。同じ思いでない相手に気づいてもらうのは難しく、気持ちを伝える為に暴力を振るうなんて事もある。それを座長がやった。音の割には痛くはなかった。むしろ痛そうなのは座長じゃないか。そういう顔を俺に向けていた。
 
「焦りすぎだ。考えもなしに飛び出しても後悔するだけだ」
「後悔も経験です。それに一歩踏み出した実績は残る」
 
 俺は不確かな世界へ踏み出す。それは誰だって怖い事で、それが当たり前。俺はお菓子の家を出る。
 
 と簡単に宣言したがその後が大変だった。学校の先生に相談すると話し合えだとか、殴られたと云うと児童相談所だとか飛び出したが、結局親戚が身元引受人になってくれて話しは一旦落ち着いた。しかし座長の怒りは収まらず、もう舞台に立つなと云われて放り出された。まあ、そうなるわな。
 そして手術の当日、優の両親に昔付き合っていた事、そして今後も付き合っていきたいと話した上でここで待たせてほしいと頼みこんだ。そして彼女の無事をひたすら病院の待合室で祈った。
 
「おばさん」
「環くん、手術は無事成功したわ」
「よかった……。会えますか」
「ええ」
 
 案内されて病室の前に立ったとき、そのドアの向うに新しい何かを感じた。そしてドアが開く。窓から差し込む柔らかい光に照らされたリノリウムの床と白い壁。そして白いベットに寝ている優がいる。
 ここから始めよう。
 
「優、環くんが来てるわよ。彼、手術をおえてあなたが目を覚ますまで、ずっと待っててくれたのよ」
「分かるか……」
「た、ま、き、くん……」
「頑張ったな」
「うん」
「やっぱスゲーなお前。尊敬する」
「ねえ、わたし……」
「どうした」
「やくそく、本当に、したよね」
「だから今ここにいる」
 
  俺は彼女の手を握った。
 

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