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モスクワからキエフへモルドバ国鉄で行く話

 ↑前シリーズ 2019年冬のスラヴ国境周遊記シリーズ

【!温かい提示!】

 皆様ご存じの通り、2021年末現在も新型某感染症の影響により鉄道国境の閉鎖が続いています。元の世界へと戻るにはまだまだ時間がかかることでしょう。しかしながら本記事および本シリーズでは、あくまでも当時の旅行記をそのまま記載するという理念に基づいた上で、また感染症終息後に各鉄道路線の運行再開が無事に行われるようにという切な願いも込めて、2019年夏当時の情報をそのまま記載します。実際にご旅行をされる場合は最新の情報に十分注意してください。

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モスクワ・雀が丘から モスクワ郊外の夕べ

 ロシアとウクライナ。戦火を交え、航空便が停止された両国間であっても、やはり相互移動の需要は根強く存在しづけるものだ。その代表的な輸送手段が鉄道であり、両国の首都を結ぶ国際列車は複数存在する。
 前回、2019年2月の旅では両国の首都を直結する№5列車に乗車し、モスクワからキエフへとむかった。その際の乗車記のリンクを、本記事冒頭に「前シリーズの初回作」として掲載している。

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№5列車 モスクワ・キエフスキー駅にて

 №5列車はロシア・ウクライナ間で運行されているものの中でも看板列車ともいえる存在で、両国間の国境を越える際にはぜひ乗車しておきたい列車だろう。
 しかしながらこの列車、キエフ駅の到着が7時前とあまりにも早いのだ。もちろんそのぶんモスクワを出発する時間が19時過ぎと早めになり、一見就寝する分には問題なさそうだが、ここで取り上げているものはなんといっても「国際列車」である。

 飛行機とは違い、大抵の列車は始発/終着駅で国境検査などという丁寧なことはしない。たとえ国境到着が真夜中であっても車掌が大声で旅客たちを起こしにかかり、深夜にもかかわらずご苦労なことに警備隊や税関職員たちが堂々と乗り込んでくる。当然ながらその作業は出国側/入国側の両方でなされるもので、№5列車はそのタイミングが夜中の0時~3時くらいに当たる上に7時前にはキエフ駅に放り出されてしまうというわけだ。これほど睡眠リズムに悪いスケジューリングもなかなかない。となれば、次にモスクワからキエフに行くときはもう少しマシな列車を選びたいというのが心理だろう。

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モスクワ・キエフスキー駅電光掲示板(2019年8月24日)

 さて、ここで2019年夏当時のモスクワ・キエフスキー駅電光掲示板をご覧いただきたい。リヴィウ行やオデッサ行など隔日運行の列車もある(参考までに、Ежедневно:毎日運転/По четным:偶数日運転)が、この日は«№65 Кишинёвキシナウ»  «№5 Киевキエフ»  «№47 Кишинёвキシナウ»  «№23 Одессаオデッサ»の4本が国境を越えてウクライナへと向かい、キエフを経由する列車であった。
 では、どれに乗るのがよいか検討してみよう。まず№65列車は時間が早すぎるので除外、№5列車は先述の通りで除外する。となると残るは№47列車か№23列車になるが、ここで私は「モルドバ国鉄による運行」という表示に惹かれて№47列車を選択(ちなみに№23列車はウクライナ国鉄による運行)した。

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赤く囲われているところがモルドバだ [Yandex.Maps より引用]

 そもそもモルドバとはどこか、聞き慣れない方も少なくはない国名かもしれない。モルドバはウクライナ南部、ルーマニアとの国境線の狭間に位置する小さな国家で、その首都こそが列車の行先でもあるキシナウだ。東部には沿ドニエストル共和国という、一部のコアな有識者にはかなり名の知られた未承認国家が存在している。
 先述の電光掲示板にキシナウ行が2つ存在したが、それは沿ドニエストル共和国内を通過するものとしないものがそれぞれ1本ずつ存在するからである。モルドバに行く場合、沿ドニエストル共和国領内を通過する列車に乗ってしまうとモルドバの入国スタンプが押されず後々かなり面倒なことになってしまうため、十分注意する必要がある。しかしながら今回はキエフまでの乗車なので面倒な話は割愛させていただき、本筋に戻ろう。

 №47列車はキエフを20時16分に発車し、途中のキエフには翌朝9時35分に到着する。№5列車の40分後に発車したのにも関わらずキエフ到着では2時間以上の差が開くが、これは№5列車が単なる看板列車ではなく運行上も特別急行扱いされていることによるものだろう。もっとも、急ぐ旅ではない上にゆっくり寝られるとなれば個人的には№47列車の方がぴったりである。

モスクワ・キエフスキー駅 エキゾチックな時計台が特徴的

 それでは早速乗車記へと移ろう。以前も紹介した話かもしれないが、旧共産圏の鉄道は日本と違いドアを閉めるギリギリまで乗降扱いをしているわけではない。特に低床式プラットホームの駅などは発車時刻5分前には乗降用タラップをしまい始め、本格的な発車準備を行うようになっている。一部の国際列車に乗車する場合、また敢えて紙の切符が欲しいという旅行者は駅の窓口で切符を受け取る必要があるため、駅には遅くても必ず30分前には到着しておくことを強く推奨する。
 これに加えて、水や食料などを十分に確保しておく必要もあるだろう。車内にて販売しているのは紅茶・コーヒーくらいである。一方でその紅茶・コーヒーを淹れるための給湯器サモワールもまた確実に存在しているので、カップに入ったインスタント食品を持ち込むこともできる。
 幸いキエフスキー駅前には比較的大規模なショッピングモールが存在しているので、地下の食品売り場で食材を確保しておくと良いだろう。

基本的にここから長距離列車は発車しないので注意

 事が済んだら早めにホームへと向かおう。駅舎を出ると美しいドームに覆われた空港行きの急行列車アエロエクスプレス近郊電車エレクトリーチカが発着するプラットホームが広がっている。長距離列車は写真に向かって左手を、線路に沿って進んだ先にある。

なんとも味わい深いモスグリーンの客車

 発車まではまだ20分近くあったと記憶しているが、キシナウ行モルドバ国鉄の客車はすでに停車をしていた。電灯と架線が雑多としながら宙に浮かぶ光景はどこか不思議と旅情をかき立ててくれる。

47列車のサボ 上はルーマニア語で書かれている
各寝台に備え付けられているクロスはモルドバ国鉄のオリジナルデザイン

 いざ切符に記載された号車へと向かう。今宵の車掌さんはモルドバ国鉄のおじさん車掌で、(この辺りの国際列車ではごくごく一般的なことではあるが)英語は解さずロシア語で意思疎通を図る。当然ながらルーマニア語も解するのだろうが、私の乗っている車両にはルーマニア語話者らしき人を見かけなかったので正確な実情は不明である。例のごとく怪しい東方の島国の旅客に身構えているのだろうか、彼の態度はどこかぶっきらぼうなものだった。

お馴染み3等寝台Плацкартプラツカルト

 自分の中ではもはやお馴染みになった三等寝台に荷物を置き、腰を据える。隣接するコンパートメントの旅客はウクライナ人の老夫婦と、国境を越える直前の街ブリャンスクまで乗車するという若い女性だった。

モルドバ色のクロスを通しながらモスクワと別れを告げる

 20時16分、定刻通り列車は静かに動き出した。夜8時にしてはやけに明るかった空も、モスクワの市街地を離れるうちにみるみる暗くなっていった。
 しばらくすると車掌がシーツを配りにやってくる。この客車の車内表示にルーマニア語を見かけた記憶はなく、基本的にロシア語のみで占められていたことからモルドバがソ連であった時代から使い続けられているのだろう。それゆえ客車は外見、内装共に経年劣化を否めない姿になっているが、トイレ洗面所ともにそれなりに清潔に保たれているので実際のところは快適に過ごすことができる。
 しかしながらこの時配られたシーツが少し湿っていたのには一瞬渋い顔をしてしまった。きっと乾燥が足りなかっただけだと思っておきたい。

 モスクワ郊外を過ぎると列車は暗闇の中を突き進む。市街地を離れると携帯の電波もろくに繋がらなくなるため、寝台に寝転ぶか本を読む以外の選択肢がなくなってしまう。退屈といえば退屈だが、ここまで選択肢が限られてくると案外楽なものである。こうして国境まで、ベットメイクをして時々うとうとしながら過ごすこととした。

 目が覚めるとちょうど国境駅に到着するところであった。深夜の国境駅は夏場でも肌寒く、煌々と駅を照らす灯が幻想的に思えた。しかしその情緒に溢れた光景も、ずけずけと乗り込んでくる国境警備隊たちによってすぐにかき消されてしまった。いざ、緊張の瞬間である。
 まずは国境警備隊に菊紋が描かれたパスポートを呈示し、例のごとく一瞬気まずい空気が流れる。続いて「ロシア語は喋れるか?」とロシア語で質問がなされ(ここではロシア語が分からないフリをした方が単なる旅行者と分かってくれるので楽である)、さらにビザの詳細なチェックがなされる。ロシア国境警備隊は周辺国と比べ幾分威圧的な雰囲気が強いが、あくまでも出国審査なので特段不備がなければスタンプ自体は押してくれる。
 問題は税関検査だった。前回(2019年2月)に同じ国境を越えた際は荷物検査を求められなかったのだが、今回はどういうわけかスーツケースを開けて荷物を取り出せとの指示を受けたのだ。特段怪しいものを持ち運んでいたわけではないので焦ることはないのだが、折角整えた中身をひっくり返すのは面倒極まりない。税関係員からはスーツケースの底が見えたところで「大丈夫、いいよ」と言われたが、これから再びパッキングをしなければならない私にとっては何も大丈夫ではない。まあ、身に覚えのない白い粉が出て来なかっただけ良しとしよう。

 何はともあれ、ロシアを無事出国して列車は動き出した。しばし仮眠を取り、再びウクライナ国境で叩き起こされることとなる。
 ウクライナの国境警備隊はロシアと比べるとかなりマイルドなことが多く、特段深入りもされないので楽である。但しロシアのスタンプでクリミアに入国していないか(クリミアはロシアとウクライナの領土係争地であるが、現在はロシアが実効支配している。ウクライナにとってクリミアにロシアビザを取って入国されるのは許されざることなのだ)確認するためだろうか、かなり執拗にパスポートのスタンプを確認された。
 パスポートをチェックしていた警備隊員がほかの隊員に「日本人ってビザいらないよな?」と確認し始めた時は少しひやりとしたが、当然ながら日本のパスポートがあればウクライナはノービザで入国できるため、無事すぐにウクライナのスタンプが押された。税関検査もすぐに終了し、国境関連の手続きは無事すべて片付いた。これにてようやっと安心して眠りにつくことができる。

コノトプ駅 対面にもモルドバ国鉄客車が停車しているが、これはモスクワ行きなのだろうか?

 目が覚めると駅に停車していた。夜明けの空は清々しく、また空気もどこか澄んでいるようであった。

老夫婦がいなくなったコンパートメントから

 横のコンパートメントに乗っていた老夫婦はすでに降りてしまったらしい。これ幸いと、自分の寝台は畳まずそのままの状態にしておいて幅広いコンパートメントに腰掛けた。列車は駅を発車するとすぐに鉄道防風林に入り、木々の間を駆け始める。

この列車のスタカン(カップホルダー)には特段意匠が施されていないようだった

 車掌が通りかかったら紅茶を頼もうと思ったのだが、やって来そうな様子がなかったため直接車掌室を訪ねた。車掌は豪快にも車掌室の椅子にもたれ掛かっており、「紅茶がほしい」と伝えると「砂糖はそこにあるから好きに取ってくれ」と言いつつ茶葉とお湯の入ったスタカンを渡してくれた。見ると箱に入った角砂糖が給湯器サモワールの横に置いてあったので、3個ほど手に取る。多くの列車はシュガースティック(列車によってはオリジナルデザインのもの)を渡してくれるのだが、この列車はどうもワイルドな配り方をしているらしい。

自分の寝台を眺める 高身長なヨーロッパ人にとって三等寝台はひどく窮屈そうだ

 車窓を眺めながら紅茶を飲む幸せなひと時を過ごし終えると、スタカンを車掌室に返却しに行く。乗り込んだ当初は不愛想だった車掌だが、何故か今日は期限が良いらしく切符を返却するするついでに車掌室に招き入れてくれた。彼が話す内容はあまりよく聞き取れなかったが、とても人懐っこい笑顔は今も印象に残っている。

キエフ郊外の高層アパート

 森林が徐々に開き始め、草原に建造物が出現するようになるといよいよキエフが近くなる。郊外の高層アパート群はくすみながらも色とりどりに塗られており、独特の雰囲気を醸し出している。いかにも「キエフらしい」眺めである。

ドニエプル川橋梁から丘の上の教会を眺める

 ドニエプル川を渡り、キエフの懐へと忍び込む。車窓からは丘の上に佇む世界遺産・ソフィア大聖堂が素晴らしいほどによく見えた。いよいよ「キエフにやって来た!」という実感が強くなり、胸が一層高鳴る。

キエフ駅 №47列車が目指す先はまだ遠い

 9時35分、比較的真新しいビルがぽつりぽつりと点在する地区を抜け、列車は定刻通りキエフ駅に到着した。さすがはウクライナの首都というだけあって、乗客の乗り降りはかなり激しい。ここでは20分停車した後、再びキシナウに向かって走り始めるようだ。一晩世話になった車掌に別れを告げ、一段低いキエフのプラットホームにそろりと降り立つ。

キエフ駅舎の大ホール

 前回は濃密な雰囲気に圧倒されてしまったキエフ。今回は半年ぶりということもあって以前よりは土地勘もあり、慣れた心地でSIMカードを手に入れ荷物をロッカーに預けることができた。そうはいっても相変わらず荘厳な駅舎と、モスクワと比べるとかなり野性的な駅前の雰囲気には思わずたじろいでしまう。少しばかり身をすくめながら、まずは美しき丘の上へと向かうためにメトロの入口へと向かった。

ヴォロディミルの丘から 輝かしいキエフの夏


(つづく)




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