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モスクワからキエフへ列車で行く話

 ロシアとウクライナはめちゃくちゃ仲が悪い。どれくらい仲が悪いかというと隣国なのにもかかわらず直行便が一切飛んでないくらい仲が悪い。どうしてこうなったかといえば歴史的な因縁から今も続く戦闘まで様々な要因がある。詳細は各種文献にて確認していただきたいが、ここでは両国間の関係がめちゃくちゃ悪いということだけをお伝えしたい。

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(↑キエフの聖ムィハイール黄金ドーム修道院 ここを囲む壁にロシアとの争いで命を落としたウクライナ人兵士たちの顔写真が数多く貼られていた。) 

 しかしいくら仲が悪いとはいえ隣国は隣国。全ての人間が互いを恨み合っているわけではないだろうし、様々な理由で両国の間を行き来しなければならない人だって存在する。そういった需要に応える輸送手段の1つが列車だ。飛行機では最速プランでベラルーシの首都ミンスクを一旦経由する必要があるが、列車ならモスクワから一本でウクライナに入境することができる。行き先もキエフ、リヴィウ、オデッサなどと多彩なラインナップとなっている。一時期は列車の運行さえも取りやめる可能性があるという報道がなされ、つい昨年末にはウクライナがロシア人成年男性の入国を禁止するというきな臭い話が飛び込んできたが、幸いにも2019年5月現在では両国を結ぶ国際列車は通常通り運転中だ。私が東ヨーロッパを周遊する旅を計画したのが昨年末頃だったが、まさしく上記の入国禁止令が発せられた時であったので、ウクライナを経由する行程を組むことを非常に躊躇した。だが入国禁止令は30日ほどで解除され、列車も問題なく運行されていることが確認できたため思い切って列車の予約に踏み切った。日程も途中で余裕を持つように組み、有事の際にはラトビアとリトアニアを経由してポーランドに抜けることにした。

 国際列車の予約には制約がある場合も多いが、モスクワとキエフを結ぶ005/006列車についてはオンライン予約が可能だ。ロシア鉄道(РЖД)が出しているアプリが結構使いやすいので予約をする際はそちらがおススメ。VISAカードも問題なく使用することができる。

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(↑ロシア鉄道アプリの予約手続き画面 寝台でもシートマップから選択可能で、国内列車ならeチケットを家で印刷すればもうそれだけで乗車可能という優れもの。えき○っとの5000倍は有能だろう。)

 予約が完了すると下の書類が取得できるので印刷して出発前にロシア鉄道の窓口に持って行き切符に引き換えてもらおう。赤い四角の中には「このままじゃ乗れないから連邦内の窓口で引き換えろ」などという旨のことが記されている。一応パスポートも一緒に提示すると良いかもしれないが、キエフ行きの時は一瞥もくれずに返された。ウラジオストクやハバロフスクの駅でオケアン号の切符を引き換えた時はきっちりコピーまで取られたので、ロシア特有の「人次第」というやつだろうか。

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  (↑eチケット引き換え証 モノによっては引き換えが不要なものもあるが、どちらにせよ印刷は必要なのでくれぐれもお忘れなく。不安な場合は窓口に持っていくと怖いおばちゃんが仏頂面をしながら早口のロシア語で何かを教えてくれる筈だ。)

  それでは乗車記に移ろう。ロシア鉄道の長距離列車に乗車する場合、切符の引き換えや出発前の買い出し(夜行列車は意外と長旅になるので特に水分は欠かせず、周囲の人々は皆2Lくらいの水やジュースを持ち込んでいる)などを考えると1時間前には駅に着いておくことをお勧めする。バタバタしていると時間は意外とすぐになくなる上、列車の入線時刻もなかなか早い。モスクワは方面ごとでターミナル駅(ヴァグザール)が分かれているというのはよく知られている話だが、キエフ方面へと向かう列車は文字通りキエフスキー駅から発車する。メトロ5号線(茶色い環状線)の左下あたり位置し、大阪環状線で例えるならばだいたい芦原橋ぐらいのところにある。

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(↑キエフスキー駅の外観と内装 そちらも揃って息を呑むほどの荘厳さだ。)

 引き換え可能な切符窓口は地下にある。意外と空いていたので驚いたが、これもたまたまかもしれないので行かれる際は是非お早めに。買い出しとフランクフルト屋で腹ごしらえを済ませるといよいよプラットフォームへと向かう。キエフスキー駅は正面玄関に向かって直角に線路を囲い込む特徴的な構造になっており、ホームに上がる前は「どこに線路があるんだ?」と非常に不思議な気分になる。扉を抜けると壮大な鉄骨組みのプラットホームが現れるが、キエフ行きが発車するのは線路に向かって左奥に進んだところにある吹きさらしのホームとなる。

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(↑お目当てのキエフ行き列車は右側のウクライナ客車 ちなみに左の列車は国境の街ブリャンスク行き。)

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(↑客車にはウクライナ国章とウクライナ鉄道の印が記されている)

 青と黄色、ウクライナを象徴する2色に包まれた客車を従えた長大な列車が小雪の舞う夜のプラットホームに静かに佇んでいた。今からウクライナに旅立つ実感がないほどに気分が高揚していた。いよいよ乗車の時だ。切符に記された号車の乗車口にいる車掌にパスポートと切符を渡す。書き忘れていたが、ロシアの長距離列車は駅で改札を行わずに各乗車に乗務している車掌が検札を乗車口にて担当している。今夜の車掌は恰幅のいい女性車掌。私のパスポートを見て一言、笑顔で「ジャパン!」と言った。私も笑顔で「ええ」とウクライナ語で返す。今宵は良い旅になりそうだ。

 寝台は3等寝台プラツカルタ。対面式の寝台とプルマン式の寝台を組み合わせた、いわば線路幅の広さがあってようやっと成し得る様式だ。とにかく遮るものがないので治安の心配をされる方も多いかもしれないが、特に主要都市を結ぶ列車についてはかえって人の目があるので安心できる。何より2等の4人個室寝台だと同室の人々とコミュニケーションをとる必要が出てくるので3等の方が個人的には楽なのだ。もちろん防犯意識を高めておくことはお忘れなく。この旅ではプルマン式の下段を予約、上段寝台の人はやってこなかったが隣の4人ブロックのお兄さんが挨拶に来てくれた。どうやら空いている分上段を荷物置きにするようだ。そうこうしているうちに列車は滑るようにキエフスキー駅を発車、12時間の長旅が始まった。

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(↑寝台の様子 上の写真にあるテーブルを格納すると寝台が展開される。 下の写真のように寝っ転がって眺めるとかなり年季が入っているが、シーツが清潔なので寝る分には全く問題がない。またフックや網がちょうどいいところにあるので使い勝手が良く、居心地もいい。) 

 しばらくすると常夜灯から通常の灯へと切り替わり、車内が明るくなる。このタイミングで車掌が出入国カードを配りに来たが、ウクライナはもちろん周辺国の人間は免除なのか渡されたのは私だけだった。空路で入る場合は日本人ですら免除されるので、ある意味レアなものだ。

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(↑ブレブレで申し訳ないが、ウクライナの出入国カードだ。 とにかくマスが小さく、間隔も狭いのでどう頑張ってもはみ出て書きにくいことが分かっていただければ充分である。)

 いざ記入しようとすると横のお兄さんがいろいろ助言をくれたが、何を言っているのかが全然わからない。時々絞り出すように聞き慣れたロシア語の単語を言ってくれたので、おそらく彼はウクライナ語を喋っていたと思われる。ロシア語とウクライナ語は似ているようにも思われるが、実際はれっきとした別言語。ほとんどのウクライナ人はロシア語も解するという話は実際にウクライナの方から直接聞いたことではあるが、全ての人が母語のように自由に扱える訳ではないのだろう。しかし、スラヴ圏の人々は仏頂面でお節介を焼いてくるのでとても面白い。スラヴ人のこういうところがたまらなく好きだ。

 書類を書き終えると歯を磨き、しばし仮眠を取ることとした。この国際列車は乗車時に国境検査がないので国境で逐次検査を行う。国境通過時刻はロシア側が深夜1時前後、ウクライナ側が4時前後(いずれも現地時間、ロシア時間はウクライナ時間より1時間早い)となる。当然この時間になるとぶっ叩き起こされる訳で、日本でこんなことをすると5秒で廃止されてしまうだろう。審査官も眠いに違いないはずだが、殊に宇露間においては唯一の直通手段なので今でも毎晩行われている。列車が国境駅ブリャンスクに着く数分前に車掌が大声で車内を巡回する。そうすると乗客は皆眠い目をこすりながらパスポートを手にしはじめた。

 国境駅に到着だ。しばらくすると審査官が乗り込んでくる。審査官は手慣れた様子で客のパスポートを手持ちの端末でスキャンしスタンプを押し、時には荷物の開封を指示している。周囲は大体ウクライナかロシアのパスポート所持者なので、日本人の私のパスポートを手に取ると審査官が一瞬固まったのがわかった。一切やましいことをした覚えはなく、ある意味予想通りの展開ではあったがこちらも少し固まってしまう。そして彼女は「1人日本人がいるぞ!」と周囲の審査官に向かって叫んだ。まずこの国境を通る日本人はさほどいないだろうから、チェックは入念に行われた。スキャン、ルーペでビザと顔写真のチェック、各種照会などとにかくじっくりと時間をかける。ふと「ロシア語は喋れるか?」と彼女にロシア語で聞かれたので「いや」と返事をする。すると「喋れないの?」と返ってきた。しまった、ロシア語に対してロシア語で返事をしている時点でその返事はおかしい。慌てて「少しだけなら」と訂正した。続けて顔写真と顔をまじまじと見比べられる。正直目を合わせるのは結構怖いが、ここはロシア美女の顔(実際かなりの美人さんだった)を合法的にまじまじと見つめることができる貴重な機会と割り切ることにした。それでも怖いが。

 5分ほどでパスポートにスタンプが押されて返された。 すると今度は別の審査官がやってきてパスポートを見せろという。まだ何かあるのかと思ったが、パラパラとページをめくると礼とともにすぐ返却された。日本人のパスポートが珍しかったのだろうか。1時間もかからずに検査は終了し、再び列車は走り出した。私もまた眠りにつくことにした。

 3時間ほどが経ったのちに目がさめると、まもなくウクライナ側の国境駅に近づくところだった。つい数時間前のように車掌が大声で巡回し、停車後に検査が始まる。ウクライナ側の審査官も日本人のパスポートには少し戸惑ったようだったが、ロシアと違って特に質問されることもなく検査が終わった。もはやろくな睡眠時間は残されていないが、3度目の眠りにつく。

 最後の目覚めは到着30分前であった。共産圏的なアパートが、少しずつ白んでいく空の下にそびえ立っているのが見えた。

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(↑キエフ駅到着直前)

 キエフ駅に到着する直前の車窓には、霞んだ空の向こうに灰色で無機質なビル群が佇んでいる。煙突から吐き出される煙も相まって、その姿は自分が心の中に描いていた「東欧」そのものだった。息もつまるようなその光景に感動すると同時に、とんでもない異世界に来てしまったと心底恐怖じみた感情を抱いたのも事実だ。

 キエフ時間6時50分。少し早めに列車は終着キエフ駅に到着した。多量の荷物を抱えた人々がゆっくりと時間をかけて下車するので実際にプラットホームに降りる頃には7時を回っていた。各号車で荷下ろしを手伝う車掌たちの姿が印象的だった。ホーム上、地下通路、そして連絡橋まで石炭暖房の香りが充満しているキエフ駅はモスクワよりもずっと異世界そのもの。西口コンコースのATMで現金を手に入れた後、連絡橋の東端に携帯ショップがあった(なぜか現金しか使うことができなかった)のでsimを仕入れる。

 しかし、本当にえらいところに来てしまった。ベンチに座り込むとしばらくは動くことができなかった。昨晩モスクワで買ったパンを貪り食う。見渡すと目に入るのはウクライナ語の看板たち。多少のウクライナ語は覚えて来たが、今のままでは挨拶と否定と肯定、トイレの場所を訪ねることしかできない。モスクワからほんの一晩でこれほど空気が変わってしまうとは全くの予想外だった。実際はロシア語も問題なく通じ、何なら英語もロシア以上に通じる過ごしやすい街で、今となってはウクライナに留学することを決めてしまうほどにはウクライナを気に入ったのだが、その時はただただ衝撃であったのだ。

 しかし、こうしているわけにはいかない。明日のワルシャワ行きの列車のチケットを取らなければ永遠にこの東側世界からは抜け出すことはできないのだ。私はベンチから立ち上がり、荷物を抱え、窓口へと向かった。キエフの震えるほどの濃い空気感は写真を見るだけでは一切わからなかったが、このキエフ駅の震えるほどの美しさもその場に立ってようやっと心から感じることができた。

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↓次回 キエフからワルシャワの乗車記


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