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3月3日

スマホの方が上手く撮れてる気がする。フィルムよりスマホの写真の方が好きかもしれない。それほどフィルムが下手なのかもしれない。それでも撮る。とりあえず動く。体を動かす。そしてみる。見るんだ。ひとまず見る。自信なんてものあるわけもない。それでも撮るのは、好きだからである。それしかない。
見る事とはそのままを見るということ。ありのままを見る。
映像が発展したこの世の中で果たして我々は本当に、見るという事ができているだろうか。幸せな瞬間のみを見ようとし、辛い瞬間から逃げようとしていないだろうか。
私は逃げてきた。逃げ続け、生からも逃げようとした。

僕らは見ているだろうか。

僕は見る事を覚えた。見ることが、生きることにつながる。

辛くなったらすぐ見よう。止まってみよう。じっと見よう。
コンクリートの割れ目から咲くたんぽぽを。換気扇の油汚れを。トイレの芯の裏側を。

そんな僕は、就活生にも関わらず、会社調べを一切せずに、岡山の地で余裕かまして生きてます。
現実全く見れてないかも。こんな人間の言う事だけは絶対信じるな。
とりあえず、辛くなったら、岡山へ行こう。

上記のものは、昨晩勢いに任せインスタに投稿した文章だ。朝になり冷静に考えて説教くさいと思ったので、そちらは削除した。ここには保存として残しておく。


母性について調べてみた。調べると言っても、僕の場合、高が知れているが、調べてみた。ずっと考えている、母性。女性だけでなく男性にも備わっている気がする、母性。

一階ラウンジで作業をしていた、カポさんにインタビューをしながら、母性とは、僕が感じる「あったかさ」とは何かを考えた。

カポさんは、見た目もそうだが中身も良い人である。見るからに優しい人。だからこそ、カポさんにインタビューをした。色々と離していくうちにカポさんが、今気づいた事があると言った。

「常に死に対する恐怖がある。昔からそうだった。だから私はものすごく生きたい。」

この言葉が僕の中で繋がりを持たせてくれた。

母性、あったかさ、優しさ、死、生、誕生、作品、作る、写真、内在、


今はまだ上手く言葉に纏められないが、何かが繋がった気がする。

ベンヤミンが言っていた、「一回性の遠さ」もそこに関係しているのだろうか。

今後も調査しよう。これ卒論になるのでは、、?

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