「半日常」という概念


商売・経済・政治
あらゆるレイヤーで、「半日常」を制するかどうかがカギとなるのではないか。
最近そう思う。

非日常でも日常でもない、ハレでもケでもない。

<日常>
・毎日、家で食べる通常の食事
・家の風呂
・仕事や学業

<非日常>
・祭り
・誕生日
・旅行
・アフタヌーンティー/ホテルディナー
・旅行先での温泉

我々は、その非日常と日常をだいたい1〜2:9〜8程度の割合で繰り返しながら人生の時間を過ごしている。
と、ここまでは一般に知れ渡った日常・非日常論である。

企業視点で言えば、
インフラ⇄エンタメ
薄利多売⇄厚利少売

となる。

が、自分は思う。人間は日常の中に、ちょっとした祭りを入れているのではないか。
大きな祭りは金がかかり、準備のエネルギーも大きい。しかも、頻度は少ない。
それをカバーするのが「半日常」という概念である。
シェアハウスをコミュニティとして活性化させるためにどうすればよいか、考えた結果行き着いた。
何もない日常と、誕生日会や周年イベントの間に、ミニイベントを。毎週火曜のご飯会を入れることで、出会いという非日常から、まだ日常空間に入るのには抵抗のある人が、半日常の空間があることによって溶け込める。

<例>
・行きつけの飲み屋で、仕事終わりの平日に一杯
・銭湯でサウナ。からのアイス。
・テレビ→Youtube/Netflix
・友人との電話→SNS
・遠出しないデートあるいはセックス

日常の食(100円単位)ではなく、また叙々苑(万円単位)でもない、軽い飲み(千円単位)。
これらの、原価ギリギリではないがそこそこの頻度の見込めるものは、商売としてかなり利益を出しやすい。
テレビやSNS・Youtube広告、その辺の居酒屋、ラブホテル。いずれも利益を出しやすい領域だ。
自分の場合も、毎週火曜のご飯会は、ドタキャンが抑えられれば利益が出る。千円くらいならみんな高いと思わず出せる。

昭和までは人々の半日常の大部分を、テレビが担っていた。そりゃ世の中を支配してしまうわけだ。それが今は、Youtubeなどの動画配信サービスやSNSに流れている。

人を、継続的に動かすことのできる「半日常」。
選挙はよく祭りに例えられるが、実は半日常の人間関係こそが、政治を握るのかもしれない。

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