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おなかの赤ちゃんと一緒に過ごした記録

これは私がおなかの赤ちゃんと過ごしたトツキトオカの間、毎月の振り返りをnoteに下書き保存していたもの。産まれてからしばらく放置してしまい、出産直前の話は最近ようやく追記できたので、妊娠がわかってから約一年が経っての公開。
妊娠中も出産後も、つぎつぎに新しい悩みがでてくるのでその当時のことって本当にどんどん忘れていく。自分のためのメモのような記録だけれど、あまり編集せずそのときの気持ちをそのまま残しておいてみる。

■ 妊娠がわかったとき

## 2020年9月某日
体調が悪いな、そういえば生理もこないな、ということで夫と一緒に妊娠検査薬を買いに行き、家のトイレで確認。妊活は意識していたので、期待しちゃだめだ、でも期待しちゃう、そんな感情のなか、一本の線が見えたときは静かに喜んだ。声が出なかった。心を落ち着かせたあと、「いえ〜い!」と部屋に飛び出した。(色気のなさw)夫は「まずは病院で確認してもらわないとね」と言っていたと思う。本当にいつもいつも冷静だなー。
つぎの日、産むならここがいいなと考えていた産婦人科に電話をした。元職場の先輩に人気の産院はすぐ埋まると教えてもらっていたので、妊娠がわかる前から、希望の産み方、お金のこと、通いやすさ、などを調べて比較していた。私は無痛分娩を希望していて、通常であれば総合病院のほうが何かあったときのために安心という意見があるけれど、コロナが流行している状況下では、逆に不安を感じながら通うことになりそうだと考え、産院を選ぶことにした。

## 両親への報告
たまたま少し先に近場の家族旅行が予定されていたので、そこで直接報告しようと決めた。生モノや酒類など、食事で注意が必要なこともあり、父が予約をしてくれていた旅館には、事前に電話をして妊婦であることを伝えた。
当日、昼間はいつもどおりの様子で観光をし、夕食の席でエコー写真とともにサプライズ報告をした。隠し事が下手なので、ばれないかヒヤヒヤした一日だったけれど、みんなとても驚いて、喜んでくれたので大成功だったと思う。このとき夕食にでてきたサラダにグリーンピースが乗っていて、「いまグリーンピースくらいの大きさだよ」という会話をした。
子どもが産まれたらきっと両親と娘だけでの旅行の機会はあまりないと思うので、この家族旅行は最後かもな、としみじみした。

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■妊娠3ヶ月(9月〜10月)

## 食べつわり
空腹になると気持ちが悪くなる「食べつわり」タイプだった。朝が一番つらくて、気持ち悪くて目が覚めることも。寝る前にカロリーメイトゼリーを枕元に置いておいて、起きたらとりあえず飲む。これまでお昼と夜ごはんしか食べない生活だったのに、朝ごはんにおやつも加わって、「あ〜こりゃ体重増えるわ」と思ったら、一回目と二回目の検診時の体重が0.1gも変わらなくてびっくり。それだけエネルギー消費してるってことなのかなと勝手に理解して、栄養バランスを気にしつつモリモリ食べまくる生活がはじまった。

## チームメンバーに伝える
平日にも検診へ行きたかったのと、どうしても疲れやすくなって遅くまでがんばれない日も増えたので、本当であれば安定期まで待てればよかったけれど早めに伝えることにした。一緒に働きはじめて日は浅いながら、信頼関係を築けはじめていたところだったのでそれを裏切りたくないという気持ちと、スタートアップ時期にも関わらず、120%どころか100%の力で働けないもどかしさがあった。子育ての経験があるメンバーはいない環境の中で、妊娠の事実を伝えたところで大きな変化があるわけではなかったけれど、ひとりで抱えるしかなかった気持ちを共有できたことで自己満足した。
これは妊婦さんの多くが経験することと思うけれど、妊娠がわかってからしばらくは誰にも言えず、傍目では"妊婦さん"でもない。経験したことのない体の変化や不安と一人で戦う期間。私だけが知っている命、まだ見ぬ我が子との絆が芽生えつつある。

■妊娠4ヶ月(10月〜11月)

## マイナートラブルに翻弄される日々
妊婦アプリをたまごっちのように毎日欠かさず見る生活。「この時期はこんなことがあるよ」「○○に気をつけよう」とお知らせされるマイナートラブルが本当に起こるからすごい。食べつわりがおさまりつつあると思ったら、子宮がピキピキと大きくなり始めているのを感じ、腸が圧迫されることで便秘・頻尿に。夜中に頭痛がひどくて眠れなくなることもあった。薬が飲めないので為すすべはなく「とにかく安静に」を意識するしかなかった。常に体調が悪い生活に疲れ始め、子育て中の友人を呼び出して妊娠当時の話を聞かせてもらったり、仕事との両立について相談したりした。手土産に千疋屋のゼリーをくれて、毎日同じ味のカロリーメイトゼリーを飲み込んでいた身体に優しさが染み渡った。
迷走神経反射・脳貧血も頻発するようにもなっていた。いままでは座っていれば大丈夫だったはずが、電車内で座っているときや、通っている金継ぎ教室での作業中にもクラクラときてしまい迷惑をかけてしまった。金継ぎ教室で一緒になる方が「私もよくなるから」と飴をくれて、それから私もお守りのように持ち歩くようになった。

## 我慢してる、という気持ち
癒やしだった鍼灸院や、サウナにも行けないから、リフレッシュのタイミングがみつからない。こんなに好きだったかと驚くほどお鮨の写真に敏感になり、テレビで港町の海鮮丼が特集されているとチャンネルを回した。
採血もあり、ふらふらだった検診帰りにどうしても食べたくなったたこ焼きを買ってから職場へ向かったら「昼からたこやき?」と言われたけれど、そんな他愛もない会話にも笑顔で返せない。こんなに我慢してるのに、こんなに頑張ってるのにとイライラしては反省し、疲れきっていた。

## ちゃんと生きてる?
つわりがあること=赤ちゃんが生きている証だった。はじめは2週間おきだった検診が4週間おきになって、つぎの検診でもしも心拍が確認できなかったら、と毎日毎日不安だった。2回目の検診で心拍が確認できたのにも関わらず、3回目の検診で「あ、動いてないですね。今回は残念でした」とあまりにもサラッと伝えられた。私はお股を開いたあの状態のまま放心状態になった。(女性なら経験したことがあるであろうあの屈辱的な体勢…)
その数秒後に「あ!ごめん!動いてた!」と。その途端に涙が溢れて、もうこんな経験は絶対にしたくないと思った。思い出すだけでも恐怖で涙がでる。初期の流産は遺伝子の問題であり、お母さんのせいじゃない、よくあること。いま思えば、先生はあえてサラッと伝えたんだと思うけれど、あまりにもショッキングなできことだった。

■妊娠5ヶ月(11月〜12月)

## 安定期突入とともに胎動がはじまる
待ちに待った16週を迎え、ひとつ壁を乗り越えた気持ちでいたちょどその週の11月18日、はじめて胎動を感じた。ぽこぽこと、うんちやガスではない何かがお腹の中で動いている。妊婦アプリには「胎動を感じはじめる人もいるかも、でも胎動がなくても心配しないで!」と書かれている時期。そのわりにはあまりにも元気で、仕事中に「ウッ」と声を出しそうになるくらいだった。長時間座って仕事をしているとお腹が苦しくなることもあった。制度や環境は整っていないけれど、自由で慣れた職場のため「自分を守るのは自分」ということで枕を常備し、気になったらすぐに横になれるようにした。

## 赤ちゃんグッズを調べはじめた
体調が少し落ち着いて、ようやく産まれたあとのことを考えられるようになってきたのでまずは定番のアカチャンホンポへ。妊娠中に会員登録をするといいことがあると聞いて、社会科見学のような気分で行ってみた。ネットやインスタグラムで情報収集はしていたものの、商品がずらりと並んでいるのを店内を見るとまた勉強になる。その日は戌の日とも重なっていて、必要なマタニティグッズをお安く買って帰った。
赤ちゃんグッズのブランドや店舗は、セールやキャンペーンも多く、インターネット上のマタニティ仲間たちに触発されてかなり調べるようになった。

## YouTube「カジサックTV」の大ファンに
そんななか出会ったのが「カジサックTV」。ヨメサックさんと5人の子どもたちの家族コンテンツにハマった。はじめは「出産前に買ってよかったもの」とか、そのコンテンツに乗っかっている知識情報を求めて観ていたのだけれど、だんだんとカジサックファミリーのファンになった。
カジサック・ヨメサックさんが子どもたちとお話するとき、よく「どうしてそう思ったの?」と質問をしていた。それに対してうーんと考えて言葉にする子どもたちの姿に立派だなぁと感じた。子どもたちそれぞれの性格や年齢によって話す内容が違うので、それもまた学びになる。私はとくに二人目のお子さんで長女の、かんちゃんとカジサックの会話が好き。

■妊娠6ヶ月(12月〜1月)

## ついに性別がわかった!
「これは完全に男の子だね」先生に説明されながらエコーの動画を見ると立派にゾウさんがついていた。ママのことが大好きで、ママを守ってくれる男の子(幻想)がほしいという憧れはあったけれど、自分が姉妹育ちなのもあって、女の子を育てるイメージしか湧いていなかったことに気がつく。性別がわかったことにより、より母となり家族をつくっていく現実味が増した。夫にはジェンダリビールケーキで発表したよ。

## 子をどう育てるか?
正直これまでは、妊娠というはじめての経験に戸惑い、体調にも振り回されるばかりで「子育て」について真剣に考える余裕はなかった。昔からふつうの独身と比べて、子どもや子育てへの興味、教育みたいなものに関心は高いほうではあったけれど、いざ、自分の子どもとなるとわからなくなる。
手始めに「モンテッソーリ教育」「ジーナ式」といった巷でよく聞くワードについて学ぶべく本を読むようになった。自分が陥りそうな思考パターンに対して、なるほど!と気付かされることも多く、「モンテッソーリ教育」っていうのがね、と両親に力説したところ、ポカーンとされてしまう。周りの人たちに理解と協力を得るのは大変なのだと気付かされ不安に感じていた夜、「何ごともベストエフォートだよ」と旦那が励ましてくれ、本当にいいパートナーだなと思った。
子育て本を読んでいると「信頼すること」「与えるのではなく引き出す」というようなことが書かれていることが多く、これは仕事で感じてきたこととも通ずる。子どもを子ども扱いせず、対等にひとりの人間として接するようにしたい。

■妊娠7ヶ月(1月〜2月)

## 産休育休に向けての準備
産休育休をいただくにあたり、引き継ぎをはじめた。現職でいまのサービスに関わりはじめたのは約半年前。散らばったボールを拾っては、なんとかまっすぐ転がすのをやってきた。これまでの経歴・経験なんて関係なしの業務ばかりで、棚卸しをしてみるとかなりのマルチタスクになっていた。さすがに自分を褒めてあげたい気にもなったが、いざ引き継ぎをする際には、もっと「効率よく」「きれいな」状態まで持っていきたかったと反省した。そんな状態でも、新しく入社したメンバーが頼もしかったので、安心して引き継ぐことができた。
よく耳にする妊婦・子育てママの悩みは、復帰後に自分のポジションはあるのか、元のチームに戻れるのかということ。その悩みに関してはむしろ、サービスも組織も発展途上で一年後には数十倍、数百倍にも大きくなっていることを期待したいので、必ず違う仕事をするのだろうと思っているし、もしも同じ仕事をするのであれば会社がヤバイ状況ということだと思っている。復帰後に役に立てるのかという不安は少なからずあるけれど、まずは産休にはいるまでの残り期間でしっかりとやり切りきって、気持ちよく子育てに専念できるといいな、という気持ちのほうが強い。

## キャリアと子育て
私はいまのところ、育休を一年間いただく予定としている。会社第一号の産休取得者になってしまったことによる不安も大きいし、これまでに産休にはいる女性を送り出し、復帰するまでを見届けた経験がないため、リアルに想像することができず、人生経験の足らなさが悔やまれる。
我が子を育てるかのようにサービスづくりにのめり込んでいたあの日々を経験してから、仕事をしていない自分を想像することができないのでとても怖い。子どもが産まれたらそんなこと考える余裕ないくらい大変と聞くので、心配しすぎなのかもしれないし、逆に子離れできず仕事復帰したくない〜となる可能性だってある。
若い頃はお給料なんか二の次でサービスに尽くせたけれど、年齢も年齢で、子育てをするとなるとお金やキャリアのことも考えないわけにはいかない。仕事のことだけを考えることができた時期って本当に幸せだったなとしみじみ。

■妊娠8ヶ月(2月〜3月)

## SNSで妊娠報告をして、仲間が増えた
お腹が目立つようになり、人に会うと目線が気になるようにもなってきたのでSNSを通じて報告をしてみた。お祝いや応援のコメントがとても嬉しかった。と同時に「実は私も産んだばかりだよ 」「同じくらいに産まれるかも」と続々と連絡をもらい、仲間が増えた気持ちになった。不安な日々だけれど、悩みを共有できる人や、産まれたら一緒に遊べる楽しみが増えたので勇気をだして報告してよかった!

## 産休まで元気に働くぞ
同じ週数くらいのマタ垢さんを見ていると、切迫気味で入院したり、有給を使って早めに休みにはいっている妊婦さんも多いようだった。初産の場合は仕事と自分の身体のことだけを考えていればよいのだけれど、すでに子育て中の経産婦さんのほうがしんどそうに見えた。
私は少しずつ有給消化をしつつもほぼ国のルール通りに産休にはいる予定だったので「絶対に最後まで体調崩さないぞ」「まだまだいけるぞ」と毎日意気込んでいた。

■妊娠9ヶ月(3月〜4月)

## いよいよ産休
無事に最終日まで元気に働くことができ、同僚のみんなに温かく見送ってもらった。仕事のない生活、制約のない自由な生活はとても危険で、いっきに怠惰になり自己嫌悪に陥るまでが見えていたので、自分を律するためにも毎日やることを与え、小さな達成感を感じられるようにした。幸い引っ越しを控えていたのでその準備や、身辺整理でメルカリ出品、子育て本を読み込む、などなど。臨月になるまでは、ランチの予定もたくさんいれて、気を病むことなく楽しく過ごすことができた。

## 後期マイナートラブル
産休前も、もはや通勤時間がいつもの倍くらいにはなっていたけれど、のそのそとしか歩けなくなっていた。すぐに息切れをするし、股関節が外れそうになったり、お腹が張ってお股がツーンときて、歩きながら悶えることもあった。一日中外出なんてもってのほか、すぐに限界がきて昼寝が欠かせない。

■臨月(4月〜)

## ギリギリの引っ越し
予定日までは時間があったけれど臨月となればいつ出てきてもおかしくないので、引っ越しが落ち着くまではお腹のなかにいてねと願っていた。リノベーションの工事が終わったら即入居。引っ越しも"おまかせパック"で荷造り&荷解きはすべて業者さんにおまかせ。はじめて利用したので、本当になにもしなくていいのかとドキドキしていたけれど、私はベッドの上で鎮座しているのみ。本当になにもせず、安静に過ごさせてもらいなんとか産まれる前に引っ越しを終えることができた。もうおまかせパックなしでは引っ越しできない!おすすめです。(臨月での引っ越しはおすすめできませんw)

## いつ産むか
はじめに伝えてもらっていた予定日は5月4日、通っていた産院は「計画無痛分娩」だったので出産日を予め決めて予約する必要があった。日曜祝日は麻酔の先生がいないので、そこで陣痛きちゃった場合は普通分娩ですと伝えられていた。(それが嫌な場合ははじめから他の病院を勧められる)5月4日付近はちょうどゴールデンウィークだったので、連休前にするか後にするか、検診で様子を見ながら決めようと先生と話していた。連休に差し掛かる前週の検診で、まだ子宮口が全く開いていなく、連休前にもう一回様子をみて産む日を決めましょうということに。
ゴールデンウィークは妊婦のまま乗り越えるであろうと思っていたけれど、結局その週末に本陣痛がきて産むことになった。びっくり。

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冒頭でグリーンピースサイズだった命は、一年後の現在7kgを超えていて、私の腕は悲鳴をあげている。一年でいろんなことが起きすぎてすごい。出産レポ的なことはまた別で記録しておこうと思う。


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