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正論とは

以前正論を主張するということについてこのように考えたことがある。

「もともと正論という言葉が発話者が持ち出す言葉ではないのかもしれない。共同体内の共通認識として正論であるとされれば、その共同体内では正論とされる。もしくは発話者が持ち出しすぎることに主観を感じさせてしまう共同体に属する主体と発話行為を行う主体との同一性を持つ主体に生まれるアンビバレントさが正論を発話するという行為に対し不愉快さをもたらせるのだろうか。」

正論であるといえる時はどんな時なのだろうか、正論だと銘打って主張するときに感じられる傲慢さはどこからくるのであろうか。「正論」とはなにか。というところに深く考えてみたいと思う。

今回はphilosophical writingを参照に、正論の定義をみていく。

4つの定義

論証にはもっとも単純なレベルでは二つある
 -良い論証
 -悪い論証
良い論証とは、真の前提から真の結論に至るまでの合理的な方法を、対象が許す限り人に示すもの。
正論とはその人にとって相対的なもの。ある人を合理的に結論に導くものが、別の人を同じ結論に導くとは限らない。なぜなら、その人の背景の信念に大きく左右されるから。
現代の哲学者が正論と認めるものは、古代ギリシャ人も正論と認めるものではないことが多いのである。
正論という概念は、直観的なもの。ゆえに、1つ1つ定義を考えることでこの概念を正確にしていく。

1)論証とは、2つ以上の命題の例であり、そのうちの1つを結論とし、ほかのすべての命題は前提である。
2)健全な論証とは、有効かつ、真の前提のみを含む論証である。
3)論証が有効なのは、すべての前提条件が真であれば、結論もが真であることが必要な場合にのみ、論証は有効である。
4)説得力のある論証とは、健全な論証である。その構造と内容の提示により、そのように認識される健全な論証である。

1)論証とは、2つ以上の命題の例であり、そのうちの1つを結論とし、ほかのすべての命題は前提である。

ここでは、論証は一連の命題として特徴づけられる。
真か偽のどちらかである文のこと。論証は命題の連続であり、その命題は論理的に関連していると考えられている。これらの命題のうちの1つが結論として指定される。それが証明されるべき命題となる。これらの下位の命題も結論であり、それを裏付ける前提条件がある。前提条件は結論につながる命題。結論を正当化するためのものである。しかし、これではまだまだ定義が抽象的。

すべての人間は死すべき存在である。
ソクラテスは人間である。
したがって、ソクラテスは死すべき存在である。

この例の場合最初の2文が前提で、最後の1文が結論となる。
これは正しい論証であり、正論ではあるが、3つの文章が、合理的に説得力のある論証を構成することはめったにない。説得力のある議論をするためには、綿密な説明が必要となってくる。

(1)の定義は、論証が欠陥があるかどうかという問題に対して中立的である。欠陥のある論証とは何か、それがどのように正論の基準に達していないのか。
そこで、正論の定義をさらに深めるため、(2)の定義を考えていく。

2)健全な論証とは、有効かつ、真の前提のみを含む論証である。

この定義では、健全な論証には「有効性」と「真実性」という2つの側面があることがわかる。

では、議論が不健全なのはどんな時か。
無効である場合と、1つ以上の前提条件が誤っている場合の2つが考えられる。
したがって、論証の健全を示すためには、論証が有効、そして前提条件が真であることを示さなければならない。

では、有効性とはなにか。

3)論証が有効なのは、すべての前提条件が真であれば、結論もが真であることが必要な場合にのみ、論証は有効である。

有効な論証の結論は、その前提条件のすべてが真であるときには必ず真でなければならない、と(3)の定義では示される。(3)では妥当性は真理と必然性の観点から定義されている。(4)では説得力のある論証は、健全な論証という意味で部分的に定義される。また、(2)では健全な論証は論証の観点から部分的に定義され、論証は(1)において前提条件と結論からなるものとして部分的に定義されている。

このように、正論とは→説得力のある論証→健全な論証→健全な論証に必要な有効について→論証の中で健全な論証とされるもの→論証とは
と、順をたどり1つ1つ定義されている。しかし、この説明のプロセスはどこかで終わらなければいけない。そのため、真理と必然性については未定義のまま共通の理解に頼りすすめることとなる。

4)説得力のある論証とは、健全な論証である。その構造と内容の提示により、そのように認識される健全な論証である。

正論が正論と認識されないことはたくさんある。その論理形式が複雑であったり、前提条件が真であることを示す証拠が不十分であったり、そのような場合の論証は必然的に説得力が失われてしまうのである。認識可能であるという条件を満たされないと正論は説得力のないものとされる。
正論とは、現代では「説得力のある論証」という意味として用いられる。

上記の4つの定義を踏まえると
「正論」には「形式妥当性(構造)」「真の前提(内容)」「認識可能性」の3つの要素が含まれていることが言える。これらの要素が1つでもかけていれば、主張は説得力のある論証とはなりえないこととなる。

また、これらの3つの要素を詳細に語ることで正論とは何かの理解が深まることだろう。

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