前提-論理的前提と語用論的前提-

前提とは何か

a.行動・理論・表現などが意味をなしたり、合理的である根拠として想定される事態や命題。
b.発話が文脈に基づいて適切となるための必要条件であり、発話の中で話して・聞き手が共通に了解していること
c.文または命題が真理値をもつための必要条件であり、前提が真であって初めて他の文や命題の真偽が保証される

aが日常的に用いられる最も広義の「前提」
b,cは言語学において用いられ、cが最も狭義の「前提」である。

前提と呼ばれる現象の特徴、前提が対立概念とどう区別されるか、前提を含む意味分析がどうあるべきか、フィルモアは、文の前提の「否定の作用域」について述べる。

「投射問題」

前提を「断言」や「含意」と区別するため、
否定テストがたびたびおこなわれる。

表現全体の意味は部分の総和であり、複文の前提は、部分を成す単文の前提の総和と考えていた。しかし、単文の前提が複文に投射(保持)されたり、投射されないことがあることがわかり、これが「投射問題」とよばれている。

カルトゥンは、投射を3つに区別する必要があるとする。

:補文の前提をそのまま上位節の前提とする穴として機能する述語。know,regretなどの叙述動詞やmanage,forceなどの含意動詞など
:補文の前提を上位節の前提とすることを阻止する栓として機能する述語。say,promiseなどの発言動詞やbelieve,wantなどの心的態度を表す動詞
フィルター:特定の条件の下で補文の前提を無効にするふるいとして機能するif~then,and,either~orの3種

前提とその対立概念

「前提と断言」
前提は話し手が真理値との観点から、当然の事としていること、あるいは聞き手もその想定を共有しているにいう。談話ではこの前提に支えられ、新しい命題が展開されていく。この命題を提示するのが断言。
前提と断言の違いは否定の作用域にも表れる。
「前提と含意」
前提は文を否定文にしても影響を受けない。含意は覆すことはできないが、前提は取消可能性がある。(この取消可能性は前言の発話に反対するメタ言語否定が機能する)

論理学と言語学

論理学:命題間の真理値にもとづき推論の規則を問題とする
言語学:真理値だけでなく、命題内容そのものを問題とする
質問・命令・願望・約束などの言語行為、あるいは話し手・聞き手にとって何が新旧情報であるか、何がトピックコメントであるか、などが問題となる。

論理学において含意のみを認めるべきか、その他に前提を認めるべきかについては古くから議論されている。
文の持つ意味と、実際の言語使用による「言明」での指示を区別している。ラッセルが伝統的な2値論理を主張するのに対してストローソンの真偽の他に、真でも偽でもない命題を認める3値論理を主張するものがある。

論理的前提と語用論的前提:意味論と語用論の関係

意味論は語句間や文間の意味関係(含意・矛盾・同義性など)を明らかにする。しかし問題は意味関係の中身である。
意味は文の真理条件、文とそれが記述する現実世界との関係に基づいて規定されるのか、
あるいはコミュニケーションでの文使用の条件、文と言語行為・発話者などとの関係に基づいて規定されるのかという古くからの問題がある(ケンプソン)
一般に前者の意味が意味論、後者の意味が語用論とされていた。
しかし、前提が言語学に導入されてから、両者の区別が困難になっている。
その結果、真理条件そのものが変化している。
ひとつは
記号と記述される世界との関係だけにもとづく伝統的な2値論理からなるもの
もうひとつは
文の意味を話し手・聞き手との関係せとらえ、3値論理を認めるもの

2値論理や真理条件意味論の背後には、推論過程を厳密にするという考えだけでなく、言語は客観的な現実世界を記号形式で表示するものだという「客観主義」がある。
これに対し3値論理の主張や真理条件意味論への意義は、言語と現実世界に人間の視点を付加したものである。
意味の分析において、意味論と語用論を区別する立場の他に、意味論を語用論に還元したりして両者を統合しようとする働きもある。
重要なのは、境界ではなく文を超えて発話を含む意味をいかに明示的に示すかということである。


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