見出し画像

夢がなくてもいいかもしれない

無職になったことを機に、
ここ最近ずっと、生き方と働き方を考えている。


この職業に就きたいとか、
こういうモノやサービスを作りたいとか、
こんなキャリアを歩みたいとか、
私にはそういう夢が、昔からない。

具体的な夢といわれても、
ただ楽しく生きていきたい。それだけ。
ずいぶんとぼんやりしている。

夢がなくても、その時々で直面する物事に対しては一生懸命取り組んできた。

日々を一生懸命生きていれば、自然となにかが見えてくると思っていた。

まだ積み上げが足りないのだろうか。
それとも、足りなかったのは一生懸命さだろうか。
もしくは、実はもう在るものに、気付いていないだけなんだろうか。


明確な夢がある人は、どうしてその夢を追いかけるに至ったのか教えて欲しい。

そしてなぜ、頑張れるのかを是非とも知りたい。


私のやりたいことはなんだろう。
やりたくないことだったら、いくらでもあるのに。




とりあえず、いまの目標ともいえる「楽しく生きる」の中身を、できるだけ具体的に考えてみた。

■楽しく生きることの内容リスト
・本、映画、舞台、美術館、ライブなどを楽しむ
・家族や、気の合う友達と交流する
(会話、食事、旅行など)
・創作をする
・美味しいご飯を食べる
・一人旅をする
・バレーボールをする
・スポーツ観戦をする
・温泉に行く
・やりたいことが制限されない、自由な環境にいる
・海外に行く、異国文化に触れる
・たまに気合いを入れたメイクをして着飾る
・不安や心配ごとがない
・ストレスがない
・必要以上に気を使わない

(今後、まだ見ぬ楽しいことに出会うかもしれないし、全く違うことに楽しさを見出す可能性もあるが。)


いまの現在の自分にとって、どれが一番なんだろう、と考えた。

結局は、「家族や、気の合う友達と交流する」が一番かもしれない。

私の「楽しく生きる」がそういう意味だったとは、自分で言語化して今回初めて気付いた。



最初に思いついたのは、
「本、映画、舞台、美術館、ライブなどを楽しむ」だった。

それは本心だし、間違いではない。
実際楽しい。

けれど、ぜんぶ並べてみて、「じゃあ一番は?」と聞かれたら、これを一人で楽しんだからって、「人と楽しさを共有する」ことに到底かなわないと思った。

だから、「家族や、気の合う友達と交流する」に軍配があがる。


映画の感想を言いあったり、一緒に興奮したりする時間は、他の何にも代えがたい。
最高に楽しい。


一人旅もそう。

「いつもは誰かと一緒に行くけれど、たまに一人で行く一人旅」が好きだ。

毎回一人旅じゃ、たぶん嫌なんだろう。



だいたい出尽くしてからは、後半の

・やりたいことが制限されない、自由な環境にいる
・不安や心配ごとがない
・ストレスがない
・必要以上に気を使わない

が思い浮かんだ。


これは、「楽しく生きる」というよりは、その土台になるものだった。

土台がなければ楽しめないのに、絶対に真っ先には思い浮かばない。不思議。

それほど、当たり前のものだからだろうか。


じゃあ、その当たり前の状況とはどんなだろう、と考えてみた。

・肉体的にも、身体的にも健康であること。
・人間関係が良好であること。
・金銭的に不安がないこと。

今思いつくのはこの3つだった。

これが、私が「楽しく生きること」のベース。
やっぱり、最低限のお金は必要だ。


そう考えたら、私がこれからも楽しく生きるために、働けばいいんだな、と思った。

好きな人たちと楽しい時間を共有する、そういう愛しい人生のために。

そのために働こう、頑張ろうと思える。



少し脱線するが、
私は両親が定年退職を迎えたときに、海外旅行に連れて行きたいと、つねづね思っている。

その時まで、あと数年というところまで来ている。

特に母は、海外旅行に行ったことがない。
若い時はツアーコンダクターになることを考えたとも言っていた。
それほど旅行が好きな人だ。
出産と育児でそれどころではなくしてしまった。

父は長い年月、家族を養うために働いてくれた。
私がいま30代で働くことを投げ出しているのに、父は30年以上も、ずっと、勤めている。

心が震えあがる。

すごいことだ、本当に。
尊敬する。

おかげで何不自由なく、生活できた。

だから両親の行きたいと言う場所に、今までの感謝をこめて連れて行ってあげたい。

おそらくエジプトだと思う。
母は昔から王家の紋章のファンだ。
母がリクエストしたエジプトなら、父は、じゃあそうしようと言う人だ。

私のいまある資産で連れて行けないこともないが、まあごっそり無くなりそうだ。

それに、せっかく行くならお金のことは気にせず楽しんで欲しい。

いいグレードのホテルの、質のいいベッドで、心地よく寝て欲しい。

両親が楽しんでくれたら、私も楽しい。

一般的な夢とは少し違うが、これも夢とカウントするなら、目下の夢になる。



夢がないから、働き方の軸を見つけるのに苦労した。
「夢」と「働く」を結べなかった。片方がないから当たり前だ。


けれど、根底の部分を考えたら、案外単純なのかもしれない。


社会貢献も奉仕もあったものじゃない。
ご立派な夢じゃない。

働こうとする理由がこれでいいだろうか、とも思うけれど。

何もないよりは、マシだろう。
今のところは、私が楽しく生きるために働きたい。


自分の働く意味が、ひとつ明らかになって良かった。

また働きたくなくて迷子になったら、一度エジプトを思い出そう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?