し 神武東遷(じんむとうせん)

画像1 宮崎神宮 https://miyazakijingu.or.jp/publics/index/3/ 御祭神 神日本磐余彦天皇(神武天皇) 「天皇は生まれつきご聡明で武に富みご性格もしっかりした方でしたので、御年十五歳の時皇太子に即(つ)かれ、日向国で政治(まつりごと)をお取りになりました。」
画像2 都農神社 https://tunojinjya6.webnode.jp/  御祭神 大己貴命 「・・・・次に甘漬(あまつけ)や都農(つのう)では武運長久(ぶうんちょうきゅう)のお祀(まつ)りをされ、・・・」
画像3 宇佐神宮 http://www.usajinguu.com/  「・・・皇軍の向かうところ風雲自ら静謐(せいひつ)となり、海路速吸之門(はやすいなと)(豊予海峡)も無事に、菟狭(うさ)、岡水門(おかのみなと)、埃宮(えのみや)にお寄りになり、・・・」
画像4 吉備津彦神社 https://kibitsuhiko.or.jp/about.html 「・・・高嶋宮に到り、3年をかけて軍備を整えられました。・・・」
画像5 竃山神社 https://www.jinja-net.jp/kamayama-jinja/index.html  御祭神 彦五瀬命(ひこいつせのみこと 神武天皇の長兄) 「・・・それから浪速(なにわ)の河内国草香邑(かわちのくにくさかのむら)に上陸されたのですが、生駒山の要害に拠る賊酋長髄彦(ぞくしゅうながすねひこ)は天皇の軍を遮りなかなか降伏しなかったことから、遂に道を改め、海路紀伊国へ熊野路から攻め入られたのです。 此の間、皇兄五瀬命(いつせのみこと)は戦傷の結果遂に薨去(こうきょ)され・・・」
画像6 熊野速玉神社 https://kumanohayatama.jp/ 「・・・また熊野灘では海上暴風の為めに皇兄三毛入野命(みけいりぬのみこと)と稲飯命(いなひのみこと)のご遭難を始め幾多の将兵を失われるなど、苦戦艱難(かんなん)をなめさせられました。・・・」
画像7 橿原神宮 https://kashiharajingu.or.jp/about/9669.html 「・・・熊野に上陸すると天皇は、険しい山々を踏破され、高倉下(たかくらじ)や頭八咫烏(やたがらす)の忠勤によって遂に大和を平定遊ばされたのです。丁度日向をご出発になられて7年目の正月朔日(ついたち)、畝傍(うねび)の橿原に宮殿を建てられ「八紘(あめのした)を掩(おお)いて宇(いえ)と為(な)さむ」とおっしゃって、 第一代の天皇にご即位遊ばされました。 ここに我が国の建国はめでたく成就されたのです。」

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