見出し画像

イナカの子(3)

街の少女、イナカへ行く


【第3話: どっすん】


子供の遊びには、
その地域で独自に進化した
個性的なものが多い。

アラタが越してきたイナカにも、
見たことも無い
珍ゲームがあった。

その名は『どっすん』

必要なものは、4人以上の参加者。
それと、ちゃんと跳ねるボール。
あとは、広い地面とヤル気だけ!


まず、土の地面に、
大きな円を描く。

棒で描いてもいいし、
足で擦って描いても良い。

次に、描いた円を十文字で
4分割したら、それぞれ

天・1・2・3

と表記したコートにする。

天は、バレーボールで言う
サーバーのようなもの。

ゲーム開始の1投目を打つ。

ルールは、己の拳で
ボールを打ち、必ず自陣で
ワンバウンドさせ、
次のコートへ送るのだ。

ノーバウンドで送ったり、
次の番号と違うコートへ入れたり
円の外へ出せば、アウトだ。

自分の足が、自陣から出ても失格

ミスすると、降格になる。

天を頂点に、数字が小さいほど
立場は強い。

下剋上を成し、目指すは天!

最下層の3がミスると、
控えのプレイヤーと交代だ。
つまり、戦力外通告である。

如何に拾いにくいボールを打つか
プレイヤーたちはしのぎを削る。

中々、凝った作りの球技だ。

コートが広ければ広いほど、
難易度が増し、疲労も増す。

運動場や公園や空き地など、
広い遊び場に恵まれた
イナカならではの遊びである。

アラタはこれにハマった。

面白い遊びなのに、
この田舎町以外では
行われていないようだった。

後々、生活圏が広がっても、
どこに転居しても、
『どっすん』をプレイしている
子供を見たことが無い。

やはり、この町固有の
子供遊びなのかも知れない。

だとしたら、
開発したのは、いつ、誰なのか?

その子は天才か?

子供の遊び文化を研究する人が、
もしこれを読んだら是非
『どっすん』の歴史や
分布状況を調べてみてほしい。

とても興味深い。


イナカの小学校の校庭には、
お馴染みの鉄棒、雲梯、
高鉄棒や、登り棒に加え、
令和の今では危険とされて
撤去の憂き目に遭った遊具が
いくつも揃っていた。

メジャー所は、
丸い回転ジャングルジム。
怪我をしやすいと言う事で、
最近は置かれなくなった。

丸太を鎖で吊り下げた、
遊動円木。
これも確かに、しばしば落ちて
その上、丸太で頭を打ったり
鎖に指を挟んだりと、
保健室の世話になりがちの
遊具であったと思う。

それから、アラタお気に入りの
通称『空中シーソー』

普通のシーソーも有ったのだが、
これは鉄製の、背の高い物で、
支柱の上に、梯状のシーソーが
やじろべえの如く、乗っている。

両端の取っ手を二人がそれぞれ
掴んで、交互にジャンプする。

まるで、
競技トランポリンのように、
高く舞い上がる爽快感は、
他の遊具には無い楽しさだ。

勢いがつけば、
とんでもなく高く跳べるので、
もし手を離したら大怪我をする。

令和の学校では、
絶対に排除の対象だろう。

アラタの周りでは、
かすり傷以上の怪我を
した子など居なかったが…

当時の子供と現代の子供。
どこが違っているのだろうか?


逆に、神戸の学校では
流行していたが、
イナカでは誰も知らない
遊びもある。

『ジャン蹴り』は、その筆頭だ。

男子の遊びだが、使うのは
女子向けの玩具“お手玉”

『ジャン蹴り』とは、
お手玉を使ってサッカー選手の
如く、また平安貴族の蹴鞠の如く
リフティングの回数を競うもの。

手は使わない。

これが強い男子は、
かなり女子にモテた。

アラタ自身も、転校前は、
学年一の“ジャン蹴リスタ”
(ファンタジスタみたいな?)
には、淡い憧れを抱いたものだ。


こうして見てみるに、
子供たちが編み出す遊びとは、
与えられた遊び場の中で、
限られた道具を用いながら、
五感と身体をフルに使って
屈託なく楽しむアイデアが
たくさん詰まっている。

勝ち負けや、強弱が生まれても、
メンタルが傷むことも無い。

都会には都会の、
イナカにはイナカの、
それぞれの遊びがあって、
子供たちは笑っていた。

素敵な事だと思う。

あの、カッコ良かった
ジャン蹴リスタの彼も、
今は家庭や仕事を持っている。

どっすんの達人だった彼も、
親の田んぼを手伝っている。

彼らから、その子供たちへと、
あの楽しい遊びは伝わって
いるのだろうか?


大人になったアラタが
久々に訪れたイナカの母校には、
あの遊具たちは存在しておらず、
鉄筋の校舎が、整備された校庭を
静かに見下ろしていた。

アラタはその片隅に、
小さく『どっすん』のコートを
靴先で描くと、学校を後にした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?