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大人の遠足~①京都修学院離宮

修学院離宮の最寄り駅、叡山電鉄の「修学院」駅は、私の住む大阪から電車で約1時間半のところにあります。

小さな無人駅の修学院駅

修学院離宮

駅から北東に18分程歩くと、修学院離宮に着きます。
比叡山の山麓に向かって行くので、当然ゆるい上り坂になります。

10時のガイドツアーに予め申し込んでいました。

宮内庁管轄の修学院離宮は3つの離宮からなる

修学院の名は10世紀後半にここに修学院というお寺が建立されたのが始まりで、そのお寺は南北朝時代に廃絶したものの、地名は修学院村として残り、ここに後水尾上皇が1655年頃、造営工事を起こし、1959年頃完成したとされています。桂離宮に後れること30余年とパンフレットにありました。

確か、桂離宮の改築はこの後水尾上皇を迎えるためだったはず。(大人の遠足~修学院離宮→仙洞御所→桂離宮:参照)
ということは、もしかして、後水尾上皇は桂離宮を見て触発されて、この修学院離宮を造営したのではないか?と勝手な妄想をしてしまいました。

略図のように、下離宮、中離宮、上離宮と3つの離宮からなるこの修学院離宮は、最も見晴らしの良い上離宮に行くための休憩地点として、下離宮が設けられているようです。

中離宮の門

どの時代も近郊リゾートへの移動は2時間半が限度?!

後水尾上皇の住まいである現在の京都御苑内にある仙洞御所からこの修学院離宮までは約7km。当時、お輿に乗って2時間半かかったそうです。
2時間半と聞いて、ああ、やっぱり近郊リゾートってそれぐらいの移動時間が限度よねーと思わずにいられませんでした。
ゆっくり過ごすなら1泊、日帰りもOKの移動時間。
大阪なら特急電車で伊勢、日本海側の城崎、金沢方面。
東京なら箱根、伊豆方面。

京都の御所からのお輿を使っての移動で2時間半も揺られたら、とりあえず一服休憩しないと、見晴らしの良い上離宮まで登れません。

上皇は下離宮で休憩したあと、馬で松並木を通って上離宮へ上がられたそうです。

中離宮は内親王のための建物

動線として見ると、下離宮から上離宮で事は足りるはず。
横道に反れるようにある中離宮は、上皇の第八皇女光子内親王のために建てられた山荘に、上皇の妻であり光子内親王の母である東福門院(将軍徳川秀忠の娘:和子)亡きあとの女院御所の建物の一部を移築して拡張したそうです。

中離宮の庭園

中離宮の客殿には、桂離宮の桂棚、三宝院の醍醐棚とともに「天下の三棚」と称される霞棚があります。

天下の三棚の一つ「霞棚」

そして、随所に見られる飾り金具には葵の御紋が配されており、徳川家から嫁いだ東福門院の背後にひかえる幕府の権勢が示されているのです。

鯉が逃げないように網が描かれてる

この客殿には、鯉が描かれている杉戸があります。この鯉の絵の筆者は不詳なのですが、後から描かれた網は円山応挙の筆と伝えられています。
前にある池に鯉が逃げないように後から網を書き加えた遊び心。
こういうお洒落な落書き、大好きです。

メインの上離宮へ

回遊式庭園には橋で渡れる島もある

この修学院離宮の一番高い場所にある上離宮は、京都タワーの展望台と同じ高さがあるそうです。


左側の山の稜線に京都タワーの頭が見える

上離宮にあがると、隣雲亭がある。上の写真はそこから見える京都市内の景色で、京都御苑も右側に緑の固まりで見ることが出きます。
ここの軒下には、「一二三石」と言われる小石を漆喰に埋め込んだたたきがあります。

賀茂川の黒石と鞍馬の赤石を用いている

そして窮遂亭。ここは西に向かって夕日を眺めるように設えられています。

一段高いところが御座所
池にかかる土橋

広さと高低差のある修学院離宮

総面積54万5千㎡。これは桂離宮の8倍ほどにあたります。
見学の途中、道の脇にある畑で農作業する人を見かけました。
景観維持のために土地を買い取り、近隣の農家さんに委託しているそうです。
上離宮の背後の山、借景となる山林も修学院離宮の敷地です。

こうして無料見学だけの離宮でいいのか…何か「品のある」活用はないのか、少し考えさせられました。

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