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ハルカス美術館との10年

「尾張徳川家の至宝」展に行ってきました

名古屋の徳川美術館が所属する徳川家の美術品が大阪のあべのハルカス美術館にやってきました。

そもそも徳川美術館が名古屋にあることも知らず、徳川家のお宝が見れるんだー!なんてお気軽な気持ちで足を運んだのです。

脇差 銘 吉光 名物 鯰尾藤四郎

この展覧会で私が最も見入ったものは脇差でした。撮影不可なので写真が貼れないのが残念です。

まったく刀剣のことはわからない私でも、美しい!とはこういうことと思わずにいられない佇まいです。

鎌倉時代に作られたあとの所有者がまたすごい!織田信長の息子の信雄、豊臣秀吉、秀頼、家康と続きます。

天下人が代わる度に「これをどうぞ」なんて譲るわけもないと思うと、戦って城を攻めて、この刀を探した…。家臣が見つけて殿に献上するという絵が浮かびます。そうやって戦国時代伝わってきた刀が2024年の自分の目の前に、美しい姿のままあることに感動しました。

コロナ禍になって欧米の作品の来日が難しくなり、コロナ禍が終わったあとは円安で作品の渡航時の保険料が急騰して、なかなか海外作品の展覧会が開催できないと聞いています。

最近、歌川広重などの版画作品や今回の徳川家の至宝といった国内の美術館所蔵のものの巡回が多くなっているのも仕方なく、だからこそあらためて日本の芸術の良さも再確認できていいのかもしれません。

ハルカス美術館10周年

今年の春でこのハルカス美術館は10周年になりました。
今回の「徳川の至宝」展も10周年記念のひとつの展覧会です。

大阪市内南部のターミナルJR天王寺駅と近鉄電車阿倍野橋駅に直結するビル、「あべのハルカス」の16階に美術館はあります。
私の家から歩いて15分。家の窓からも「あべのハルカス」は見ることが出来ます。

近鉄百貨店阿倍野本店の建て替えで着工された「あべのハルカス」なので、最初はその中に「美術館が出来る」と聞いても、百貨店の中の「美術画廊」ぐらいのイメージでした。
ところが出来上がってびっくり!
百貨店は地下2階から地上13階。
美術館はまったく独立していて16階。
実際に美術館のミュージアムショップではデパート商品券は使えません。

これまで開催された展覧会を見ても、ここが「美術画廊」ではないことがよーくわかります。巡回している展覧会の東京での展示は国立の美術館ということもあるのです。

ありがたいの一言です。
東日本大震災の直後、汚染された日本には美術品は貸し出せないという風潮があったときに、平和でお互いに信頼関係がなければ海外の作品は見れないんだと初めて感じました。
しかも国立でも公立でもない、歴史の浅い美術館にこうして貴重な美術品の展示を許可してもらえる。
きっとお金だけの問題ではなく、学芸員さんの努力やこれまでの日本開催での美術品の取り扱いに対する信頼のたまものと思います。

3回行ったカラヴァッジョ展

どちらかというとルネサンス時代の西洋絵画が好きだった私にとって、この10年で見たハルカス美術館の展覧会の中で、特に心に残っているものは

ミラノ 華麗なる貴族コレクション 2014年5月
春信・写楽 フィラデルフィア美術館浮世絵名作展 2015年10月
ギュスターヴモロー展 2019年7月
カラヴァッジョ展2019年12月
リヒテンシュタイン侯爵家の至宝展 2021年1月
コレクター福富太郎の眼 2021年11月

2019年は7月に父が亡くなり、その一連の行事が落ちついた頃、カラヴァッジョ展が開催されました。
カラヴァッジョはバロックの天才画家と言われましたが、あちこちで事件を起こし、逃げながらイタリア本土、マルタ島、シチリアに作品を残しています。大阪人の私にとってのイメージは「イタリアバロックの横山やすし」。

窓からハルカスを見ながら、「あー、あそこにカラヴァッジョあるんだー」と会期中は何度も思いました。ヨーロッパに行かないと見れないものがあそこにある。ご近所にカラヴァッジョ来てる!っていう感じです。

2020年5月コロナ禍でハルカスが励ます

生きていくのが困難な人のために芸術はある

最近読んだ現代美術家の森村泰昌氏の「生き延びるために芸術は必要か」という本にあった言葉です。
私は「困難」というほどではないけれど、この10年は両親の介護が始まり、そして見送り、子供の独立と、本当なら心にポッカリ穴が空いたという状態になっても不思議ではないお年頃だったはずですが、そうはならなかった。

それはこうして近くにある美術館に足を運んで、好きな絵画に没頭するということが一助にある気がします。
つらいとき、しんどいときに美術、音楽、小説…芸術は寄り添ってくれるということなのかもしれません。

幼いころ、夏に近鉄沿線にあるPLランド(あの高校野球で有名なPL学園の関連施設の遊園地)のプールに父に連れて行ってもらって、その帰りに旧近鉄百貨店阿倍野本店にあった屋上ビアガーデンで、父はビールを飲み、私と妹はアツアツの鉄板にのって運ばれてくるお好み焼きを食べる。冷えたお腹が急に熱くなる感覚を覚えています。

その場所に、今ある美術館で、亡くなった父への気持ちを慰められるって不思議な気持ちです。

これからも私も含めて多くの人の心に寄り添ってくれる美術館であり続けてほしいと願っています。

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