『寂しい夜に…。』

昔から自分に自信が無い。 小さい時から自分は自分がしたい事・されて嫌な事・してもらって嬉しかった事を自分も、したり、しないようにと自分から動きたくて動いてた…。

家族・親友・同僚から『八方美人だね。』『自己満足だね。』『偽善者だね。』と言われ自分の行動に段々と自信を失った。

『自分が嫌だと思う事』『自分がしたい事』を素直に動いてはダメなのかな? 誰かの許可や多数決で考えの多い方を選ばないと変人扱いされても虐められても逆らっては、いけないのかな?

何年経っても何10年経っても何故か?…ふと悩み堅い殻に心が閉じ籠ってしまう。

『誰か助けて…自分1人では、これ以上、身動きが取れない。』と素直に言ったのに今まで自分の生き方に助けを求めても誰も自分の手を真剣に受け取ってもらえなかった。

逆に自分1人で、これ以上、身動きが取れない時に他の人の助けを手に取らないと自分の周りから『貴方は冷たい人だね。』『自分さえ助かれば他の人が助からなくても良いんだ。』と決めつけられ何度も何度も攻められた。

『自分は自分の為に動いちゃいけないの?』『自分は誰かの為に傷つく為に存在してるの?』と良く思いが浮かんでは消えた。(若い頃は特に考えたくなくても少し気が落ちると良く思い浮かんだ。)

しかし…歳を取り親を見取る体験をすると今までの自分の生き方の歪みに気が着いてしまった。 (本当は死ぬまで一生、気がつかない方が幸せだったかも知れない。)

人の為に生きても何にも良い事が無い方のが多かった。『自分は、お人好しなので泣き言を言われれば何でもしてあげる事を知られたから。』『何をされても争いが嫌いで何にも言わない事を知られたから。』

最初は自分が本当に動きたくて動いていたのに、いつの間にか都合の良い人に無意識に勘づかれ利用され、そのまま気が着かなければ良いのに気が着いて自分で勝手に傷ついた。

『どうしたら簡単に助けを求められるのかな?』『どうしたら自分が何も言わなくても相手の人に気が着いてもらえて助けてもらえるのかな?』

気が着いたら自分は人間不信に、なっていた。 誰かと関わったら必ず自分が何かをしなくちゃいけない気がして対人恐怖症に、なっていた。

『人に甘えるって、どういう風に?』『誰かに何も言わずに助けてもらうって、どういう風に?』 気づけば人付き合いの迷路に迷い込んで出口が見えないまま今も彷徨い生きている。

リアルの友人や家族には『今更そんな事を言われても…。』と見離され、ゲームが苦手なので、バーチャル世界で友人を作る事も出来なくて。

寂しく悲しくなった時、誰かの目に止まるか分からないけど誰かに聞いて欲しくて、こんな風に思いを綴ってしまった。