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今と昔

  本日は月曜日なのですが、昨日少し思ったことがあったので書き殴っていこうと思います。

  昨日の出来事なのですが、ウチの息子が
「パパ、カービーの体験版あるからやっていい?」

  と、任天堂Switchの無料で遊べる体験版があるらしく、無料だし特に駄目な理由もないので
「ご自由にどうぞ」

  と言って、息子がやり始めた『星のカービィwiiデラックス』なるものを私もボーッと眺めていたのですが

  ゲーム性としては横スクロールゲーだったので、少し懐かしさを感じつつ、見ていると

  目の前に巨大な敵が現れた


  こんなものいくら雑食のカービィでも吸い込めるはずがなく、こういったものは単純に吸い込むのではなくどう攻略するかなのだ。

  そうとも知らずに一生懸命に吸いこもうとする息子。
 
  こんなもの直感的に無理だとわかって欲しいものだと息子のゲームセンスのなさに少し残念な気持ちになってみていたのですが


  「ブォォォォ、ブォォォォ、ブォォォォ、キュン」


   いや、吸えるんかーい。


  どうやらセンスがないのは私のほうらしい。

  ゲームですら時代に追いつけていないことを知ってしまい残念な気持ちになりながらも、カービィもコード式からダイソンぐらいには吸引力がアップデートされているのだと、時代とともに成長していっているカービィ氏に少し感動もした。

  その後も、カービィ氏の動向を見守っていると、なにやら剣で次元を裂いたり、ひたすらドラゴンをぶっぱなしたりと、途中からどこかの幽遊白書にしか見えなくなってしまっていたのですが、まぁ気のせいでしょう。

  それにしても見ていて思ったのは昔との違いは、カービィ氏、めっちゃ無双するやん。敵めっちゃ飛んでくやん。

  明らかにプレイの爽快感が増していました。
  いや、増し増しでした。

  やはり今の流行りは、俺TUEEEEがいいのでしょうか。

  漫画、アニメも主人公はチート級の方々で溢れかえっておりますし、それが今求められているものなのでしょうか。

  私みたいなオジサン世代は、主人公は苦労するのが当たり前でどのようにして目の前の困難や強敵などを、乗り越え、倒すのかが見どころだったと思うのですが、単純に今はいかに気持ちよく主人公(自分に置き換えて)が無双していくみたいなのが好まれているような気がします。

  それは私もわからなくないのですが、確かに見ていて無駄なストレスがかからない分、楽な気持ちでこうスゥーット流れるように話が進んでいく感じですかね。

  なんか映画ドラえもんの、のび太の突発的なワガママから始まる街づくりをなんの邪魔もなく永遠と楽しく作っている感じでしょうか。

  確かに、面白いといえば面白いのかもしれませんがあまり記憶には残らない気がします。

  でもこれが、今多くの人から求められているから書籍化されたりアニメ化されたりしているのでしょう。

  それだけ今の現代人はストレス描写だったりを受け入れる余裕がないのかなと色々考えてしまいますが

  まぁちょっとよくわからなくなってきたので、それでもまだ少年の心の私は、胸熱展開のある漫画、アニメが大好きなわけでそういうのを勝手に楽しめたらなと思っております。

  こんな取り留めの無い話を読んでくださった皆さまどうも

  ア・リ・ガ・ト・ウ・ゴ・ザ・イ・ます!
 
  

   

  

  

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