コーヒーは映えない
前田将之助さんという料理人さんがいる。
彼は『えんの厨』というポップアップレストランを企画されている、新進気鋭の若手料理人さんだ。
まだお伺いしたことはないが、私もポップアップでカフェをやっている身。
この方のやっていることの凄さと、楽しさはよく分かる。
このnoteはスキ100回くらい押したいくらいスキ
勉強させていただこうと思いTwitterを拝見すると、そこは「宝石箱やぁ〜」と言いたくなる程の素敵な料理の数々…
しゅごい…語彙力無くす…
と、舌鼓を(妄想で)打っているとき、ふと思った。
「コーヒーって、どう撮ってもコーヒーだな」
往々にして、コーヒーは黒、もしくは茶色い液体だ。
ミルクを加える、クリームを乗せる等すれば華やかにもなるが、エチオピアの豆で淹れてもコロンビアの豆で淹れても、見た目は大きくは変わらない。
それを写真に撮っても、あまり面白いものではない。
今風に言えば、映えない。
もちろん、コーヒーカップの違いや、店内の雰囲気も含めて写真に収めるのは面白いが、それは果たしてコーヒーを撮っていると言えるのだろうか?
店側からすれば、エチオピアとコロンビアの違いを楽しんでほしいはずなのに、どちらも一緒くたに茶黒い液体として写真に撮られるのは、その商品そのものの魅力を伝える機会を損失していないだろうか?
そこで一つ思い出した。
先日お邪魔したSTARBUCKS RSERVE ROASTERY TOKYOでの出来事だ。
注文を済ませ、カウンターでコーヒーを待っていると、店員さんが1枚のカードと共に豆の説明をしてくれた。
曰く、このカードはそれぞれ豆によってデザインが異なり、実際にデザイナーがコーヒーを試飲しながらコーヒー農家のことも調べながらデザインをするそうだ。
この話を聞いたとき、随分と手の込んだことをするものだと思った。
ブランディングか、コレクター欲求を揺さぶられているのかと。
けれども、今考えてみると、このカードはコーヒーを映えるものにするためのツールだったのだ。
つまり、豆の個性をデザインに落とし込むことで、茶黒い液体の代わりに視覚に訴えかける役割を担っているのだ。
ただ映えればいいというものではないが、コーヒーのように種類を変えても見た目に分かりづらい商品は、視覚的に訴求し続けることが難しい。
このカードは、そんなコーヒーの違いを可視化したものだった。
コーヒーに「映え」を求めるのは邪道な売り方なのかもしれない。
けれども、味や香りがネットの海を未だ越えられない以上、それ以外のコーヒーの楽しみ方があってもいいと思う。
一つ、勉強させていただいた。
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