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マインドマップで歴史シリーズ⑥:長野県の歴史

長野県は日本のちょうど中心位置する自然があふれる県。その県土は全国第4位の広さで、広大な森林と済んだ水・空気もまた特徴のひとつです。

気候は各地域によって異なり、北部は豪雪地帯、南部は比較的温暖な気候となっています。自然以外の特徴としては、野菜や果物などの栽培が盛ん。私たちが想像する以上に多岐にわたる農産物が作られています。・

また、観光地としても有名で温泉をはじめ、スキー場などのレジャー施設が点在。あたりを見渡せば美しい原風景が広がる長野県は、国内はもちろん海外からも多くの観光客がおとずれています。

この記事ではそんな長野県の歴史についてくわしく解説します。マインドマップを交えて歴史とトリビアについてまとめているので、サクっと長野県の情報をインプットしたい方はぜひチェックしてみてください。


長野県の歴史


長野県の歴史
長野県の歴史

~4世紀

l  3万数千年以前 ナウマンゾウなど大型獣の狩人たちが野尻湖周辺などで狩猟生活を行う。これが信州史のはじまり

l  3万年前 最古の信州ブランドである和田峠~蓼科山産黒曜石資源の利用が開始される。その石器は当時、県外まで運ばれ利用されていた

l  1万3000年前ころ 気候の温暖化により、現在の日本列島が形成される。このころ、土器をつくったり狩猟採集生活をする人たちがあらわれる

l  5000年前ころ 八ヶ岳山麓を中心に大規模な集落があらわれる

l  2500年前ころ 稲作と金属器が伝わり、弥生文化がひろがる

l  4世紀 弘法山古墳(松本市)や森将軍塚古墳(千曲市)などの大規模古墳が造られる


600年~900年代


  •   665(天智4)年 科野の国に律令制草創期における地方行政組織が存在(この年の年号のある木簡が屋代遺跡群(千曲市)で発見される)

  •   704(慶雲元)年 信濃国の印がつくられ、これにより「信濃」の文字が公的に使用されはじめる

  •   721(養老5)年 信濃国をさいて諏方国をつくる。諏方国は10年後(731年)にふたたび信濃国と合併される

  •   741(天平13)年 国分寺建立の詔が出される。その後、信濃国では小県郡(現在の上田市国分寺)に国分寺と国分尼寺が建立される

  •   888(仁和4)年 信濃国の山がくずれ、河川が氾濫し、6郡(佐久、小県、更級、埴科、水内、高井)に被害を与える大災害となる


戦国時代


  • 938(天慶元)年 平将門、信濃国分寺付近で戦う(国分寺焼失の可能性)

  •   1180(治承4)年 木曽(源)義仲、以仁王から平家追討の令旨を受けて挙兵

  •   1197(建久8)年 源頼朝、善光寺参詣との言い伝え

  •   1214(建保2)年 親鸞上人、善光寺滞在との言い伝え

  •   1279(弘安2)年 一遍上人、伴野庄(佐久市)で踊り念仏をはじめる。善光寺参詣

  •   1333(元弘3)年 鎌倉幕府滅亡。北条亀寿丸(時行)諏訪に逃げ、北条氏再興を図る。(中先代の乱)

  •   1400(応永7)年 大塔合戦。信濃守護小笠原長秀、東北信の武士連合に敗れる

  •   1561(永禄4)年 川中島の戦(第4回)。上杉謙信と武田信玄の激戦

  •   1592(文禄元)年 松本城築城開始(石川数正父子による築城)

  •   1600(慶長5)年 関ヶ原の戦い。徳川秀忠軍、真田氏の上田城を攻撃するも苦戦し、関ヶ原の戦に遅れる


現代まで


  •   1783(天明3)年 浅間山大噴火。信濃全域で大風雨・洪水・降雹・大凶作

  •   1847(弘化4)年 善光寺大地震。岩倉山崩落により犀川をせきとめ決壊

  •   1864(元治元)年 松代藩士佐久間象山、京都で暗殺される

  •   1876(明治9)年 筑摩県の6郡を長野県に編入し、長野県成立

  •   1961(昭和36)年 三六災害で伊那谷が大きな被害を受ける

  •   1979(昭和54)年 御嶽山、有史以来の大噴火

  •   1994(平成6)年 松本空港ジェット化

  •   1997(平成9)年 長野新幹線開業。上信越自動車道の県内全通

  •   1998(平成10)年 第18回長野オリンピック冬季大会開催。長野パラリンピック開催


長野県のトリビア

 

長野県のトリビア
長野県のトリビア
  • 長野県民はりんごの種類に詳しい方が多く、りんごを見ただけで品種が何なのか言い当てることができる

  •   「信濃の国」という長野県の歌は長野県民であれば誰でも歌うことができる

  •   日本一長い川は「信濃川」だが、同川は長野県内を流れる時だけ「千曲川(ちくまがわ)」と呼ばれる

  •   長野県の家庭には野沢菜を漬けるための大きな樽がある

  •   お茶うけには高確率でお菓子と共に野沢菜が出される

  •   長野県民は長野市のことを「長野」と言い、長野県全体のことを「信州」と言う

  •   宴会や結婚式の最後は万歳三唱で締めくくる

  •   長野市と松本市は犬猿の仲

  •   年越しそばは大晦日に食べるのが一般的だが、長野県では年が明けた元旦に食べる地域がある

  • l  長野県はギターの出荷額が日本一。国産エレキギターのほとんどは長野県の松本市で生産されている


まとめ


長野県は別名「信州」とも呼ばれる日本から支持される県。なかでも「信州そば」や「信州みそ」など馴染み深い食べ物がたくさんあります。また、多くの県と隣接する県としても知られ、毎年数えきれないほどの観光客が押し寄せることでも有名です。

歴史を紐解いていくとそれなりに地味な印象を受けますが、長野県の魅力は年表から判断できません。観光名所として有名な国宝の善光寺や松本城や、地獄谷野猿公苑は日本が誇る観光スポットとして知られています。

おけに長野県は全国一の健康寿命県。移住したい都道府県ランキングでも14年連続1位。このように長野県は歴史よりもその存在自体がとても大きなものなのです。

さらに長野県について詳しく知りたくなった方は、ぜひ歴史の詳細をリサーチしてみてください。この記事に掲載しているマインドマップよりもさらに情報量の多いマインドマップを作成できるはずです。


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