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マインドマップで歴史シリーズ②:北海道の歴史

北海道は日本列島の最北端にある島で、日本の総国土面積の約 5 分の 1 を占めています。気候はとても冷涼で、中央南北にはさまざまな山々が聳え立つ自然に溢れた土地。有名都市は「札幌市」。州の産業をはじめ、商業、観光の中心地です。

北海道はもともとアイヌの人々が暮らす領土でした。しかし、1869年に日本人の本格的な入植が始まり、さまざまな歴史が誕生することに。今となっては誰もが知る北海道ですが、今日の北海道が形成されるまでにはさまざまなドラマがあったのです。

この記事ではそんな北海道の歴史を詳しく解説していきます。マインドマップも用いますので、サクッと歴史をインプットしたい方も是非ご覧ください。

北海道の歴史

北海道の歴史
北海道の歴史

13~15世紀ごろ


アイヌ民族の社会および文化が形成されます。


15~16世紀半ば


東北地方から蝦夷島(北海道のこと)へ渡る和人(本州の人)が多くなります。これが発端で先住のアイヌ民族と和人との間で抗争が勃発します。


慶長9年~文政4年


松前慶広が将軍・徳川家康からアイヌ民族との交易の独占権を認可されます。ここからは幕府による直轄がはじまり、文政4年(1821年)には蝦夷地を松前氏に返還されました。


安政元年~明治19年


安政元年になると幕府は欧米諸国と和親条約を締結。箱館を開港場とします。さらに箱館付近を直轄地とし、箱館奉行を置くことになりました。

その後は松前周辺を除く全島がふたたび幕府の直轄地となり、明治時代に突入すると明治政府が開拓史を置き、蝦夷地を「北海道」と改名します。明治15年になると開拓使は廃止され、「函館」「札幌」「根室」の三県を置かれました。

しかし、明治19年になると三県は廃止され、北海道庁を置かれます。


明治20年~昭和2年


明治20年になると本州からの移民が増えはじめ、開拓が急速に進んでいきます。

明治34年には「北海道会」が開設され、北海道十年計画と呼ばれる具体的な開発プランが発足。明治43年には「第1期北海道拓殖計画」が発足し、昭和2年には「第2期北海道拓殖計画」が発足しました。


昭和25年~昭和27年


昭和25年になると北海道開発庁が設置されました。その2年後の昭和27年には、北海道総合開発計画が発足します。これによって昨今の北海道の原型が作られていきます。


昭和47年


1972年になると第11回冬季オリンピック札幌大会が開催されました。これにより北海道をはじめ、札幌市の知名度が急上昇します。


昭和48年~


昭和48年以降は北方領土問題が続きます。ヤルタ協定では南樺太がソ連に返還、千島列島はソ連に引き渡される内容。サンフランシスコ平和条約では千島列島を放棄する内容でしたが、いずれも効力がないこともあって今現在も北方領土問題は継続しています。

また、次のような変化がありました。

  •   第二次産業の石炭鉱業はエネルギー革命により衰退の一途をたどる

  •  漁業は北洋漁業や遠洋漁業に依存していたものの、200海里水域制定などで徐々に減少

  • 稲作は自主流通米制度によって北海道米が劣る品質のために不利に

  • さまざまな変化によって道民たちは札幌や東京などの大都市に移転

  • 国鉄路線の廃止が相次ぐ

  • アイヌ民族については平成に「アイヌ文化振興法」が成立したことで、アイヌ民族初の国会議員萱野茂氏が誕生している


北海道のトリビア

北海道のトリビア
北海道のトリビア
  • 北海道は極寒の地として知られるものの、コタツの所有率が全国最下位

  • 北海道の車はリモコンでエンジンをかけられる(乗車前に暖められる)

  • 北海道の小学生は、氷柱(つらら)を噛じって水分補給する(全員ではない)

  • 北海道の学校では、校庭を凍らせてスケートリンクを作るケースがある

  •  暖房のない部屋に置いた物はほぼ確実に凍るので、凍らせたくないものは冷蔵庫に入れる

  • 道民は暖房を効かせた暖かい環境のなかで薄着で過ごすため、本州の人と比較すると寒さに弱い

  • 北海道では「ガラナ」と呼ばれる炭酸水がコーラに匹敵するくらい人気

  • アメリカンドッグには砂糖をまぶすのが定番

  • お葬式で香典を渡すと領収書を返される。また、葬儀よりも先に火葬が行われる


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