感謝日記に飽きたので別のことを書く話

クソッタレな人間でも
感謝くらいはできるだろうと思ってはじめた
感謝日記。

かれこれ30記事くらいは書いたと思う。
数えるのも面倒くさい。

当初は、ないものよりあるものに
目をつけようとたくさんの発見があった。

自分がいかに恵まれた環境にいるのかを
認められたのはよかった。

私がクソッタレな人間だと評価を下すときには
いつも頭の中に「借金」と「後悔」が存在している。

借金がある自分はクソだ
後悔してクヨクヨしている自分はクソだ

と惨めな自分を責め立て
クソッタレと言いながらも

誰かに
君はクソじゃない
と褒められるのを待ち望んでいた。

クソッタレ思考の最終形態である。

もし、
このまま惨めな自分を
演じていたいのなら
変化しない選択をとっていただろう。

私は、変化したかった。

理由は一つ。

こんな男と誰もHしたくない

と思ったからだ。


私は変わろうと
日頃の感謝からはじめたのである。

そう、目的は、

クソッタレな自分からの脱却。

手段はnoteに感謝日記を綴ること。

人間というのは、往々にして

手段と目的とが入れ替わる。

かくいう私もそうであった。

クソッタレな自分からの脱却を
目指すはずの感謝日記が

クソッタレを助長している可能性が
ある。

と最近気づいたのだ。

noteにさえ感謝を綴れば
その日はもう何もしなくて良い。
うんこをして
食えればそれでよい
あわよくばHもしたいが
無理は言わない。

その結果、

私は誰ともHできていない。

現実がある。

クソッタレ思考は無くなったが
現実、誰ともHできていないのである。

このままではまずい。


感謝日記をつづのをやめよう。
布団の中でnoteを書いてから
youtubeを見漁るをやめよう。


ほんとうにやるべきものを
見つけるためにnoteを活用していこう。


人間が変わる上で
最も意味がないのは
決意を新たにすることだ。

大前研一さん だったと思う

ということで
本日もありがとうございます。

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