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自分の原体験を振り返る。だんだんスイッチが入った自分。ビジョンはあったが「ミッション(使命感)」は後からついてきた。

こんにちは。佐藤奨(さとうつとむ)です。

ふと自分の「原体験」に触れてみる。もともと楽しい場所をつくりたい、というやんわりとした想いがあり、それがきっかけでテーマパークで働いて、花火のときの満足そうな表情や、ショーで大勢の人たちの喜ぶ姿をみて、すごい!と思う反面、嫉妬もしていた。いつか、自分も「創る側」にまわりたいなと。

そんな気持ちを持ちながら転職し、ウェディングの仕事なり広告の仕事なりメディア作りなどに携わり、バチっと背筋にきた瞬間がある。それがロンドン五輪のメダリストパレードだ。取材者としてその場に居たのたが、数十万人が「笑顔」になる瞬間を目の前で見て、スポーツの本質的な凄さに気づかされた。

この当時、自社でサッカーメディアの運営をしていて、サッカー選手と一緒にスポンサー獲得活動にも関わっていたりして、スポンサー獲得の難しさを肌で感じていた。ゆえに、マイナーにカテゴライズされるスポーツは、さらに活動が難しいことも肌感覚で分かっていた。正直何しても難しいとも思っていた。

ただ、メダリストパレードを目の前で見て、これだけの人を熱狂させるスポーツ半端ないと思った。そんなとき、たまたま声がかかったのが自転車メディアのリニューアルの仕事。パレードを見る前までなら、正直断っていたかも。。でも自分は「スポーツの可能性」を感じていた。だから関わることを決めた。

幸い自転車メディアのリニューアルはうまくいき、これまでにない価値の見出し方を探ることもできた。その延長線上で知ったのが「BMX」であり、今の「YBP」である。普通に造成したら数千万以上のお金がかかってもおかしくないBMXコースを、現役ライダーがほとんど一人で造成していた。バカ野郎だなと。(念のため、愛すべきバカ野郎という意味の褒め言葉です。笑)

数千万円かかってもおかしくないBMXコースをゼロから個人で造成しようとしていて、現地を見てマジで凄いことしてると思った。話を聞くとあれこれと構想があるではないか。でも完全に資金は底を尽きていて、この先も手作業しか進める方法がない。これは、まだ東京五輪が決まる前の2013年春の話である。

色々と構想を聞くと「BMXレース」は五輪正式種目なのに世界基準のコースが国内に一つも存在ない。世界に通じるための「激しめなコース設計」のトレーニングコースをまず完成させたい。そのために8mスタートヒルの造成が必要になる。じゃあどうするか?というところから、今の私の役割に繋がったのだ。

YBP PROJECTの沿革

最初はふんわりしていた気持ちが、メダリストパレードを観て感じたことや、スポーツの現地現場の課題に直面する中で、徐々にやらなければならない。というミッション(使命感)に変わって行った。

ということで、自分の「原体験」から今の仕事への繋がりを書いてみた。

「楽しい場所を創りたい」という気持ちがその後の仕事にも繋がり、今のイベントプロデュースにも繋がっている。自分のことを書くのはこっぱずかしい気持ちがあるが、自分の「原体験」を振り返ってみた。

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