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「新体制」についてと、私の「これから」について

こんにちは。佐藤奨です。

今回は、私事ですが、理事 兼 事務局長をしてきたBMXの普及団体YBP PROJECTの「新体制」についてお話させていただきます。

今月頭に、YBP PROJECTの「新体制」についてアナウンスしたところ、facebookを中心に大変多くの反響をいただきました。

活動内容と共に「新体制」への移行は2020年からとなりますが、今回はこの「新体制」で予定していることと。私の「これから」についてを書きたいと思います。

YBP PROJECTから「bb project」へ

YBP PROJECTは、BMXの競技普及団体として活動してきました。

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今後の活動については、BMXのコース運営やクラブチームを運営する「YBP」と、コンテンツ制作を行う「bb project」に分社化します。

私がこの活動に関与したのは2013年の春から。映像クリエイターである継松に誘われて、山梨の今のコース(YBP)がある場所に連れられ、栗瀬裕太がたった一人で造成していたコースに魅せられ、そこから約6年半に渡りBMXの普及活動に関わらせてもらいました。

ざっくり、これまでのYBP PROJECTの活動を整理すると・・・
・国内初となるBMXレースの世界基準コースの造成(2013年 - )
・日本代表選手のトレーニング、合宿の受け入れ(2013年 - )
・民間での一般向けBMXコース運営開始(2014年 - )
・出張型ショーの連携、拡大(2015年 - )
・クラブチームの創設(2018年 - )
・国内外トップ選手を集めたイベントや大会の創設
・BMXを利用した新競技の開発
・5000人を盛り上げるショー(ハーフタイムショー開発)
・1万人を集客するイベント(2014 - )年2回ペースで主催
・東京五輪合宿の誘致(合宿誘致立候補、BMXフランス代表の合宿誘致決定)
などを行いました。詳しくは下記の沿革をご覧いただけたらと思います。

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(YBP GAMES 2017 / photo by Motoyoshi Yamanaka)

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(YBP GAMES 2017 / photo by Motoyoshi Yamanaka)

YBP PROJECTの沿革はこちらhttps://www.info-ybp-project.com/pages/10665/PROJECT

(2012-2017 YBP PROJECT HISTORY / Movie by 継松彰宏)

2013年7月に世界基準コース(YBP)が完成し、2014年6月の一般向けのコースの造成をしてグランドオープン。このグランドオープンのタイミングに合わせて2014年5月に法人化し、法人設立のタイミングで、私も役員として、事業に責任を持つ一人として関わりはじめました。

YBPのコース利用者はオープン当時に比べると約10倍近くとなり、2018年にはクラブチームも立ち上がり、上記の通り、コース内外でのイベントやコンテンツ制作に関与して今に至ります。

「BMX」から「スポーツ」「クリエイティブ」に特化へ

「bb project」の今後は、これまでのYBP PROJECTでのBMXに特化した普及活動から「スポーツ」「クリエイティブ」に特化していく形になっていきます。

「体験価値」の向上に向け、全体のプロデュース、コンテンツ制作、大小様々な方法で関わっていく予定です。

イベント制作、スポーツの大会の創出や盛り上げ、映像コンテンツ、SNSを利用した企画、会場を盛り上げるコンテンツ制作等々、さまざな切り口でエンターテインするクリエイティブ集団として動き出します。

一言でいえば、スポーツを軸とした「プロダクション」となります。

この6年半の間、自前のコンテンツ制作を中心に行ってまいりましたが、これからは、これまでの強みを活用して、これまで通りBMXの普及活動に関わる他、MTBや、その他のスポーツにも強み活かして関わっていく形となります。

(JumpersStoreと連携して行う「AIR TRICK SHOW」)

引き続き「AIR TRICK SHOW」や「アクティブキッズフェスタ」、「パンプトラック」を利用したイベント、Bリーグのハーフタイムショーの企画は、我々「bb project」が担う他、それ以外のコンテンツ開発も、自前または協業の形で行っていく。と伝えさせてもらえれば、これまでの活動をご存知の方には理解していただきやすいかと思います。

「bb project」の名前に込めた想い

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bb project の名前は、我々の最初の活動であるBMXの2種目であるBMXのレース、BMXフリースタイルの2種目の普及活動からスタートさせたプロジェクトであるということからBB→「bb project」としています。

また、このロゴはカミナリのようにも見えると思いますが「火花」をモチーフにしています。

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「bb」の文字を火花に見立てて図案化しています。未完成でも前へ押し進めることによって価値を何倍にも大きくしていくという意味を込めています。

ちなみに、こちらのロゴ・ロゴタイプは、格闘技団体の『RIZIN』やBリーグの『横浜ビー・コルセアーズ』などのロゴやビジュアルも手がけられているクリエイターの増田有氏に依頼し、制作していただきました。

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どうして「火花」か?

bbのBは、Bomb(爆弾)のBという意味を込めたい。Break(B-boy & B-girl)にも使われている「B」でもありたい。そうした意味合いから、魅力ある「主体」を見つけては、従来とは異なる切り口で魅力を見つけ、並走していきたい。という意味も込めました。なので「B」一つでなく「BB」で在りたいのです。

年内中はこの「bb project」を活動名、サービスブランド名として動き、2020年になるタイミングで一般社団法人bb projectとして社名の方も変更して活動いたします。

社内外問わず、さまざまなスポーツ、クリエイティブに関与するスポーツのクリエイエィブプロダクションとして活動していきますのでよろしくお願いします。

一般社団法人YBP PROJECTから「YBP」が独立し、一般社団法人YBP PROJECTから、一般社団法人bb projectに社名変更します。

ここまでが、会社としての業務的な話でした。

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ここからは個人的な気持ちをお話します。

ぶっちゃけ今の気持ちはどうなのか

業務的な話は分かった。で、ぶっちゃけお前の気持ちはどうなの?というところですよね。つまり、一緒に、2014年に創業者の一人として、会社を設立する際に法務局に提出する書類である「定款」に3人でハンコを押し、心中する気持ちで創業メンバーとして運命を重ねた役員同士が、別々の会社になるということはどういうことなのか。

ここのリアルをお話ししますと、私は大前提として、自分が創業メンバーだろうと役員だろうと、自分が経営者というスタンスで関わっています。心中する気持ちでというのは素直な気持ちであり、それ相当の思い入れで創業メンバーとしてやっています。

そして「YBP」というコースは、私が関わる前からも、そして関わってからも非常に多くの方々に支えていただいた場所なので、絶対に潰せない。何があっても、維持ができなくなれば全てが「0」であり、それ以外の選択肢はない。維持が当たり前。白か黒かでしかないと思っていました。大げさかもしれないですが、もう生きるか死ぬかくらいの感覚です。

だからこそ、日本唯一となる世界基準コースを維持運営するために、これがだめなら、次はこれ、それでもダメなら次のアクションを繰り返し、ここまで活動を維持することが出来たのかもしれません。

そんな気持ちを持ちながら、どうして今回の「分社化」を選んだのかといえば、ライダーである栗瀬裕太がYBPを中心に、とことん好きなこと、自分がやりたかったことをやる体制にシフトしていく。年月をかけて、自立できるようになった「YBP」を、自分の力で、自分の責任の範囲内でやりたいという彼の想いを尊重したい、ということからです。

「YBP」が自立できる下地ができたこと。クラブチームの運営もでき、通常の営業や、旅行客の利用者も安定的に増加できたこと。そしてコースのファンコミュニティがつくられてきている状況です。大前提として、この下地がなければ、私は分社化を選ぶことはしませんでした。それがなければ自分の責務は果たせていないと感じるからです。

もっと言えば、支え続けてきたものに関与できなくなるという捉え方より、いや、そもそもビジョンを応援するために最初は関与したのだよな、と。そのビジョンがこの6年半の歳月と共に、カタチになってきているのならば、とても素晴らしいことなのではないかと捉えています。

分社化を選ぶタイミングで、これを機会と捉え、私や、継松自身も、やりたかったことに特化し、チャレンジしていく。双方ともに、再びチャレンジャーになるというカタチを選びました。

昨年に分社化の意向の話を切り出されたときは驚きもありましたが、そこからしっかりと向き合い、1年かけて双方で準備をし、今後の方向性を模索していく中で、改めてこれからのチャレンジについて見つめ直す機会をつくることにつながりました。

そもそもなんで私がBMXの普及団体に関わったのか

これまでの活動名はYBP PROJECTという名前ですが、YBPとはYuta's Bike Parkの頭文字を利用したもので、このYutaとは、ライダーである栗瀬裕太の名前からとった活動名です。

BMXの普及団体であるYBP PROJECTは、このライダーである栗瀬裕太がたった一人で動き出した世界基準コース造成に、私と映像ディレクターの継松が関わったところから動き出したプロジェクトのため、YBP PROJECTという名前で活動してまいりました。

どうして元ライダーでもない私がBMXの普及団体に関わっのかは、BMXだから関わったのではなく、栗瀬裕太のビジョンに対して、強烈にわくわくしたからです。その流れでBMXのとてつもない魅力に惹きつけられたという順番です。今だからさらけ出すと、関わった段階まで、BMXが五輪種目であることを知らなかったくらい、BMXに対して無知でした。

「正直しんどかった」と「やりきった感」が同居する

私が関与したこの6年半は、コースの運営というより、コースの運営を維持するためにさまざまな方法を模索してきました。

元々、私が独立した後(自分の企画会社を2011年に設立後)に、最初にビジネスとして関与したスポーツが「サッカー」であったこともあり、メジャーであるサッカーでさえ、これだけマーケット環境が厳しいのか(それでも戦っている現場の方、すげーな)と感じていたため、それ以下の環境にあるマイナースポーツには何があっても関わらないぞ、という気持ちでした。ストレートすぎてすみません。

50年前もメジャーだったスポーツが今でもメジャーで、その頃から知られていないスポーツは今でもマイナーだよねと。興味があるかもしれないけれど、よっぽどスポーツのマーケット環境が変わらなければ、自分も食べていけなくなる。

儲からないから関わらないとかではなくて、スポーツが好きすぎるので、頼まれるとやりたくなる。でも、その気持ちがあっても、もし関わっちゃうと、中途半端では何も景色が変えられず、全力投球しないとヤバい世界に飛び込むことになる、ということをあらかじめ理解していたのです。

実際に、その頃に相談を受けていたマイナースポーツの活動協力のお誘いは、全てを断っていました。

気持ちに変化があったのが、2012年のロンドン五輪の銀座のメダリストパレード。

この銀座のメダリストパレードで、バスに乗ったメダリストたちを見た沿道に集まっている数十万人が一気に笑顔に変わっていく瞬間を目の前で見て鳥肌がたちました。こりゃすげーって思いました。

イメージが湧きますかね。自分の目に隙間なく入っている人たちの表情全員がブワーって、スポーツの会場などでたまに起こるウェーブのように、全員がどんどん笑顔に広がっていく瞬間です。これはほんとにすごかった。

これを見て、スポーツの可能性ヤバい。って思ったのです。それから、メジャーとかマイナー関係ないやんと。そう感じていたちょうど良すぎるタイミングで、自転車専門のウェブメディアのリニューアルの相談を受けたのです。

そこで、自転車専門のウェブメディアのリニューアルに関わり、アクセス増、ユーザー数増加などの成果が出て、サイトの成長に携わることができ、その流れで、このサイト運営に関わっていた継松から、実は山梨の八ヶ岳の山の中に、こんな人が居てね、と栗瀬裕太を紹介してもらったのでした。

上述の通り、マイナーなスポーツに関わる場合は、中途半端が許されず、しんどくなることは事前に自分で理解していたわけです。そして、実際に関わってきた今、感じている気持ち。

想像よりも100倍くらいしんどかった。です。

と当時に「やりきった感」もあります。

何がこの「やりきった感」に繋がっているのか、といえば、コースを運営していく過程で、今のBMXレーサーの日本でのトップクラスの選手の多くが、この6年半の間で練習場所としてYBPを利用してくれている、ということ。

この環境下で誕生したクラブチームが、八ヶ岳の山の中の場所にも関わらず、45名近くのクラブ生に恵まれて、すくすくとクラブ生が成長している姿を見られていること。運営を続ける中で、直接繋がらせてもらったクラブ生の親御さんがfacebookなどにアップしてくれる映像や写真がタイムラインに流れてくるのを見て、幸福感を味わえています。環境をつくった先の光景とはこれなのか、と。これからも見守りたいと思います。

そして2020年の五輪に向け、フランス代表の合宿誘致が決まったこともあり、来年以降も「YBP」が維持できそうだということ。また日本唯一の世界基準コースとして、この競技育成の責任を感じていたところに、2020年五輪のコースが完成したこと。埼玉県の秩父に五輪規格のコースの完成予定であること。ここまで来れば、日本に世界基準の練習環境がゼロにはならないところまで維持することができた、と感じています。

(YBP GAMES 2016 決勝戦 BMXレーサーに装着したカメラからの映像)

ちなみに、YBPの完成時に、この世界基準の激しいBMXコースを走破できるライダーは10名も居ませんでした。スポーツに関わる方々ならイメージが湧くと思いますが、この少人数のために、マイナーである「競技専用」の大規模なコースを民間企業で維持運営し続けるとはどういうことか。さらに協会の支援や行政からの資金の補助も受けないで運営していく。これがどれほどの難易度なのか。それを経て今があるのです。これらが「やりきった感」の正体です。

ここまで、維持し続けることは「正直しんどかった」ですが「やりきった感」も同居するのはこのような理由からです。

私には夢がある

自分のやりたかったことをやる、とはどういうことか。それは、私は楽しい場所をつくりたい。というのを常々言い続けていて、ちょうど人生の半分くらいの期間、これを言い続けて今があります。昔からの友人もおそらくそれを知っていて、今の私の動きは、アイツはやっぱりやった。やっぱりバカだな、とか思われているはずです。笑

楽しい場所って何よ。抽象的すぎて分からん、と思われると思いますが、人が”楽しい”って思うこと自体が時代によって変容するので、これというもの自体も変化しています。

ただ、場所をつくる、そう感じさせる空間って何?といえばコンテンツが必要で、コンテンツをつくり、それらを通して人に楽しんでもらうことがやりたいし、そういうことをやるのがとことん好きです。

コンテンツを開発したり、一緒にそれを伸ばしたりして、楽しい場所に繋げていくことをしたい。

これからも、何か「おもしろい」と感じることを見つけては、コンテンツを開発したり、一緒にそれを伸ばしたりして、楽しい場所づくりをしていくこと。それが夢であり、今もその夢の渦中にいます。

今の私は、スポーツに取り憑かれていて、この魅力あるコンテンツを活用して、「おもしろいこと」「楽しいこと」をつくっていきたいと思っています。

これから「bb project」の活動がスタートします。

具体的にどのようなことをやるのか、またその運営体制についても、これからTwitterやこのnoteなどをつかって発信していきます。

活動のスタートは「2020年」からとなりますが、どうぞよろしくお願いいたします。

長文となりましたが、この文章を、ここまでお付き合いいただいた方、どうもありがとうございます。

引き続きよろしくお願いいたします。

佐藤奨より

追記 2月11日

「新体制」について発表する準備が整いましたので、2月20日に新体制発表会を渋谷にて実施いたします。

詳細はこちらです。関係者だけでなく、活動にご興味をお持ちいただいた皆さまにご参加いただける内容となっております。

よろしければ詳細ページをご覧ください。





お読みいただきありがとうございます!これからも情報配信していきます。