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ダメ出しに隠れた愛情が、エネルギーをくれる

「動きたくねー・・・」

朝、目が覚めると重たく沈んだ気持ちだった。起きてから時間を確認するために携帯を手に取ったとき、ずっしりと来る感覚がした。

「この記事をそろそろ完成させたいのに、まだ途中だ。もっと進めようと思っていたのに、途中で寝てしまった・・・」
「あれもやっておこうと思ったのに、できていない」

こんな言葉が浮かんでくる。正直なところ、これが本当の理由なのか、それとももっと根深い理由があるのか…それは分からない。

ただ、こんなことが思い浮かんでくるときは、自分にかかる重力だけ強くなったみたいに動く気力がなくなってくる。ベッドに横になってしまう。

前向きに考えようという気力すら湧いてこない。


けれど、この感覚もまた愛の一つなのだと気づいたら、動く気力が湧いてきた。


これは、「ステキな考えだな」と思う人たちが教えてくれたことだ。

小学生の頃、ゲームは1日30分だか1時間と決められていた。しかし、ゲーム好きな子どもが我慢できるわけもない。なにかと親の目を盗んでゲームをしては、叱られていた。

いま振り返っても、その制限は必要なかったと思うが、親としては目が悪くなるのを心配したり、いろいろ気にしたりしていたのだと思う(その頃に「ゲーム脳」というあやしい言葉も生まれたので、ゲームのやり過ぎを心配する親は多かったのだろう)。

つまり、愛情から来るルールだったのだ。


「この記事をそろそろ完成させたいのに、まだ途中だ。もっと進めようと思っていたのに、途中で寝てしまった・・・」
「あれもやっておこうと思ったのに、できていない」

こんな気持ちが湧いてくるのは、自分の力や可能性を信頼しているから。もっと力を発揮したい、成長したい、稼げるようになりたい。

そのためには、もっと自分に厳しくしないとダメなんだ!

そんな無意識の働きなのかもしれない。自分への厳しさもまた、自分の愛の一つなのだ。それに気付くと、自分の奥にあるエネルギーに触れることができた。


とはいえ、愛であることと、その言葉の使い方が機能するかは別の話ではある。

実際、「あれができてない、これができてない」と思うと、気力は落ちて、動けなくなるわけで。愛から来る心配が、むしろ邪魔をしている。

自分の中にある愛には感謝する。自分のエネルギーだから。それだけで、気力が湧いてくる。
でも、言葉の使い方は少しずつ見直していきたいと思う。自分で自分のエネルギーを下げてしまうのではなく、いろんな面白さを味わっていきたいから。



もし少しでも心が軽くなった、ちょっと違う考え方ができるかも、と思ったら「スキ」を押してもらえるとうれしいです!



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