ダルムシュタット=クラニヒシュタイン鉄道博物館

 いよいよ語学学校での最終週で観光を思い立った。月曜には学校の周辺を、火曜にはシュトゥットガルトを見て回った。シュトゥットガルトはかなり都会だった。中央駅の周辺しか見なかったが、たくさんの人が歩いていたし広場やお店はにぎやかだった。

 昨日はダルムシュタットへ行った。特急を買ったので移動はあっという間だった。車内で適当に調べた2つの博物館に行くことにした。そのうちのひとつがダルムシュタット=クラニヒシュタイン鉄道博物館だ。発車間際だったのでとりあえずとダルムシュタット中央駅までのきっぷを買っていたが鉄道博物館は中央駅よりふた駅北にあった。乗り換えの際に券売機でもたついていたら電車を逃してしまった。次の電車は30分ほど後で、鉄道博物館は30分余りしか見られそうになくなった。

 鉄道博物館のあるクラニヒシュタイン駅は無人で、あたりは住宅街だった。線路が何本も走っていて、降りた地点のちょうど向かい側に博物館はあった。だから踏切が離れたところにしかないのがもどかしかった。

 鉄道博物館の建物は全然博物館らしくなかった。地上階しかなく、小さな事務所のような雰囲気だった。受付と書かれた部屋に入ったものの、そこでは食堂のようにいくつかの大きなテーブルのまわりに椅子が並んでいて、10人ほどの男性が談笑していた。戸惑う私に気づいたひとりが話しかけてくれた。彼が何を言ったかは聞き取れなかったが、つっかえながら博物館を見たいとドイツ語で伝えた。料金を支払い、少ししたら職員が私を迎えに来て外の展示を案内すると言われた。館内の展示には小さな鉄道模型、歴代の鉄道員の制服、きっぷ、昔のきっぷ売場などがあった。

 館内を全部見終わらないうちにひとりの職員が来た。建物は小さかったが私の入場が閉館のたった40分前だったのだ。彼は私が全然ドイツ語を聞き取れないのを見て英語で話してくれた。日本から来たこと、語学学校でドイツ語を勉強するために来たこと、ドイツには4週間滞在することなどを聞いてくれた。物腰柔らかなおじいちゃんだと思った。

 彼の説明は館内の展示から始まった。昔のきっぷ売場には係員と客を隔てるガラスが直径となるように円形のターンテーブルがあるのだか、自分の側の半円に係員はきっぷを、客はお金をそれぞれ置き、回転させると係員はお金を、客はきっぷを手にできるという仕組みがあった。また鉄道員は制服のマークに誇りをもって働いていたこと、鉄道の各地への発達の仕方なども聞いた。

 外の倉庫には電車が並んでいた。彼はそのひとつひとつを丁寧に説明してくれた。「この管には水が流れて、加熱されて水蒸気になって……、1リットルの水はどのくらいの水蒸気になる?」「線路を枝分かれさせるより、このような回転台に載せて電車を回転させたほうが進路変更のための場所は小さく済む」「この車輪は前に動いたり後ろに動いたりする」「この車両の車輪はあまり大きくないものがたくさん要る、摩擦が大事だから」「これはディーゼルで動く、車のFordとのマークもあるでしょ」「ファイアマンはまずシャベルで石炭を放り込んで、でもそれだけじゃ燃えない、こうやって扇ぐ、さらに2秒に1回ふたを開け閉めする、やってごらん、片手で、重いから」何もかもを原理や仕組みから教えてくれた。英語が聞き取れないことよりもむしろ、わからないところを適当に英語で聞き返せないことのほうが問題だった。きっと彼なら得心のいくまで解説してくれただろうに。質問はないかと訊かれ質問したときも、言いたいことはうまく伝わらなかった。

 ポストカードを買って帰りたいと伝えると、彼は自分の撮った写真のをプレゼントしてくれた。閉館時間はとっくに過ぎていた。楽しかった、おもしろかった、親切にしてくれてありがとうと言ったつもりだったが、果たしてどのくらい伝わっただろうか。

 授業での劣等感とか、誘いあって小旅行するほどの友人がいない寂しさとか、単なる疲労とかあったからか、鉄道博物館のおじいちゃんの優しさが身にしみた。それ抜きにして充実した訪問だったのももちろん間違いない。英語でのやりとりには体力を使うので、正直に言うと鉄道博物館の1時間ほどの滞在でも結構疲れてしまっていた。それでも鉄道博物館を去るときの後ろ髪の引かれかたには少し堪えがたいものがあった。

 今日、「ドイツに友人はできた? もしドイツに知り合いが欲しければ、ドイツに住むようなことになるかもしれないし、もちろんあなたがよければだけれど、私の連絡先を教えよう。私の名前は……」という鉄道博物館のおじいちゃんの言葉を思い出した。そして感謝の気持ちはちゃんと伝わっただろうかと再び不安になった。しかも名前を教えてくれたのに、帰りの電車ではすでに思い出せなくなっていたのだ。ふとポストカードに写真の撮影者の名前が書いてある可能性に思い至った。プレゼントされたポストカードを確認したら案の定だった。名前はなぜかふたり分書いてあったがおそらく片方があのおじいちゃんで、なんとなく聞き覚えがあった。これで手紙なんかは書けるかもしれない。文章なら、思い出してもらえるように私と話したことや、訪問日時や、なにより感謝の言葉を落ち着いて準備することができる。もう一度ありがとうと言えることに気がつくと、私はつい昨日のことなのに鉄道博物館が懐かしくなって、そわそわと落ち着かなくなった。

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